閉じる
すっぴんガールズに恋しました!

【長澤彩】ママになってリスタート!過酷だった産後復帰の道 それでも「走る姿を子供に見せたい」

アプリ限定 2022/10/21 (金) 12:00 22

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。10月のクローズアップ選手は長澤彩(34歳・福岡=106期)。選手をめざしたきっかけ、ビッグ優勝、結婚、出産、復帰。それでも走り続ける長澤彩の原動力とは。現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!

クローズアップ選手は長澤彩(ながさわ・あや)

バレーボールではなく美容師の道を選んだ人生の岐路

 長澤彩は岐阜県の南部に位置する各務原市出身で、3つ上の姉、4つ下の妹に挟まれた3人姉妹の真ん中。外で遊ぶのが大好きな活発少女で、小・中学時代はバレーボールに打ち込んだ。女子バレーボールで岐阜県内屈指の強豪高・県立各務原高へ進学すると、夏休みも正月休みもなく、来る日も来る日も練習に明け暮れ精神を鍛えてきたそうだ。だが、高校卒業後の進路は迷っていた。

活発だった幼少期(本人提供)

「バレーボールを続けるか、美容系に進むかで迷っていました」

 小さいころから髪の毛をいじることが好きで、密かに憧れていた美容師熱が再燃してきたという。高校卒業後に美容師になることを決意した長澤は、美容師国家資格を取るために美容系の専門学校で2年間みっちり勉強をした。専門学校を卒業すると、愛知県内に何店も店を構える人気美容院へ就職。美容師の仕事はハードだったが、楽しかったと振り返る。

「休む暇のない仕事でしたが、やりがいも感じていました。なにより接客が好きでとても楽しかったです」

 実はその職場の社長は大の自転車好き。社長の誘いで自転車に乗り始めた長澤は、よく顔を出していた自転車屋の店主の誘いで店主催の大会に出場することになったのだが、その出場が長澤の運命を大きく動かした。

「自転車が楽しい」美容師からレーサーへ華麗なる転身

 小学生の頃からずっと運動をしてきた長澤にとっての体に、自転車という刺激が入り、“スポーツで食べていきたい”と心の針が振れはじめた。美容師の仕事をしながら、休みの日にはロードで練習し、アマチュアの大会にも出場。そんなタイミングで耳にした『ガールズケイリン』の存在。挑戦することに迷いはなかった。

「ガールズケイリンの存在を知って、104期の試験を受けたんです。愛好会や師弟関係も知らなかったし、適性で受けました。大会に出たり、ロード練習はしていたけど、適性試験は不合格。一言でいえば準備不足でした」

 104期の試験に落ちてしまったが、諦めるつもりは1ミリもなかった。“もう一度106期でガールズケイリンに挑戦する”と決めてからは試験に向けてきっちり準備をし、練習の成果も実り、見事106期として合格を果たし、2013年に日本競輪学校へと進んだ。

「今思うと106期で良かったなと思います。1回試験は落ちてしまったけど、106期はいい子が多いし、学校生活も楽しかった。106期は自転車経験がない人(※)も多かったからみんなで強くなっていった。それでも学校時代から優香ちゃん、貴子ちゃんは強かったですね」

(※小林優香→バレーボール、高木真備→ハンドボール、奥井迪&石井貴子→スキー)

「106期で良かった」かけがえのない同期たち(左から青木美優、長澤、石井貴子、奥井迪 | 本人提供)

順調なすべり出しのデビューイヤー

 平塚で行われた卒業記念レース(決勝)で4着、在校成績は4位の結果で学校生活を終えた長澤は2014年3月末に卒業すると、約1か月後の5月3日に向日町競輪でプロとしての第一歩を踏み出した。

「デビュー戦からいろいろありました。今だから話せることだけど、1走目は発走後にクリップバンドが外れてしまった。手を上げることができず、周回中に何とか締め直して走ったけどパニックでした。2走目は1着が取れたけど、これは外国人選手が参加していたから、先輩たちが外国人選手だけをマークしていたから、自分はノーマークで走れた。気楽に仕掛けたら1着が取れてしまったって感じでした」と振り返る。

 デビュー2場所目は地元名古屋での開催。発走機に付くと美容師時代の仲間が応援にきているのが分かった。緊張もあったが、楽しさのほうが上回っていたと振り返る。3場所目の青森では1、1、1着で初優勝。3連勝の完全Vを達成した。

「在学中やデビューする前は、もう少し時間が掛かるかなとも思ったけど、3場所目で優勝できてよかったです」

 デビュー1年目は青森の初優勝を含めて、5回の優勝と選手として好スタートを決めた。

順調な競輪選手生活をスタートさせた

2017年におとずれた転機 ビッグ優勝、そして結婚

 2年目になると9月には単発ビッグレース(松戸ガールズケイリンコレクション)への初参加も果たした。結果は7着に終わったが、充実した気持ちでいっぱいになった。

「男子選手のビッグレースの雰囲気。好きなんです。ピリッとした空気感が自分にも気合が入るような気がするんです」

 選手生活を積み重ね、強い後輩選手も出現するなかで、決勝進出を続けていく長澤は安定感が売りの選手としてファンから認知されていった。

 2017年は長澤にとって大きな一年となった。2回目のコレクション挑戦は17年5月京王閣。レースは奥井迪と児玉碧衣の火の出るような先行争いを梶田舞がまくる展開。長澤は梶田後位から直線で差し脚を伸ばして1着、ビッグレース初優勝を果たした。17年はコレクションの優勝を含めて8回優勝。初のグランプリ出場も決めた。初出場のグランプリは独特の緊張感に呑まれて呑まれてしまい、力を発揮することができずに終わってしまったと振り返る。

「グランプリの空気感はいままでとは全く違いました。レースは冷静に走ることができなかった。1人で慌てて走っていた感じだった」

 そして佐藤健太(福岡・101期)との結婚。

「夫は運動の知識が豊富。一緒にいると、いろいろ勉強になることが多かった。競輪に関しても先輩だったし、レースの展開とかを教えてくれた。そのおかげで2017年はいい成績を残せたと思います」

ビッグレースの常連に 選手として脂が乗ってきた

2018年、19年アルテミス賞を連覇 全国にその名を轟かせる

 18年、19年にアルテミス賞を連覇。とくに19年は地元名古屋で開催されるコレクションへの出場で、長澤にとっては優勝が至上命題だった。レースでは逃げる梶田舞と奥井迪の踏み合いになり、最終2センターから外へ進路を取り、差し脚を伸ばして、自身3回目のコレクションV。うれしい地元でのビッグ優勝を手にした。

「この大会は選手生活で一番仕上がった開催でした。練習だけでなく、普段の生活でも気をつかいました。油もの、甘いもの、そして大好きなチョコレートも(笑)控えました。だから優勝という結果を出せてすごくうれしかったタイトルです」

 が、グランプリ出場をかけて臨んだグランプリトライアルで悔いの残るレースに。

「スタート後にけん制が入ってしまい…。誰も前を取らない流れになって、自分が前へ出てしまった。あとは前で流れに乗れず終わってしまった」

 前受け。打鐘が鳴っても誰も仕掛けない。スローペース。泳がされるような形になり、カマした選手にも飛び付くことができず、7着に敗れたことで、人生設計を見直したと語る。

「競輪祭(ガールズグランプリトライアル)の後は妊活をする予定で、夫と話し合っていて、妊娠するまでは走ろう、と。結婚もしたし、赤ちゃんはずっと欲しいと思っていました。でも終わってから考えていたんですが、レースの内容が悔しすぎて、自分の頭の中でうまく整理がついてなかった感じです」

2020年におとずれた体の違和感 妊娠が判明

 決意を強くして走り続けた20年だったが、優勝を狙っていた8月の地元名古屋でのドリームレース開催前に体の変化を感じたそうだ。

「体の感じがいつもの感じと違ったんです。少し不安もあったけど、地元のビッグレースだし、大丈夫だろうと思って走って結果は3着。次の開催が終わったら検査を受けようと思って、富山に参加。その富山で優勝して、その後検査をしたら妊娠していました」

 妊娠がわかったあとは産休欠場。愛知支部から佐藤健太と同じ福岡支部へ移籍し、21年4月に第1子の「翼ちゃん」を無事に出産した。

左から佐藤翼ちゃん・佐藤彩・佐藤健太(本人提供)

出産しても長澤彩が走り続ける理由とは

「妊娠の期間は変な感じでした。学生時代から社会人、競輪選手とずっと休むことなく体を動かしていいたので。子供を出産したあとは、他のガールズママさんレーサーのように現場へ戻るつもりだった。でも子供との時間も大切にしたかった。練習を再開して体は少しずつ戻ってきた矢先に左手首を骨折。この骨折は神様が『休め』って言っているような気がしたので、そこからは焦らず、自分のペースで復帰することを決めました」

 産休を取ったガールズケイリン選手は現場復帰前に1000メートル独走のタイム測定があり、規定のタイムをクリアできれば、現場へ復帰できるシステムになっている。長澤も小倉競輪場で1000メートルのタイム測定をして、めでたく現場復帰が決定した。追加の知らせはすぐに入り、2021年9月、長澤彩の再スタートは防府競輪から始まった。

「2年間、産休で休んだので復帰戦の防府3走はビビっていました。子供を産む前なら『怖い』って思うことがなかったのに、防府、その次の西武園は怖さから踏みやめてしまうレースがあった。体も大事だけどまずは気持ちを戻していきたい。弱気な気持ち、ひるんでしまう気持ちを払しょくしたい。そこからは1つでも多く勝つことができる選手を目指していきたい」

 競輪場ではガールズケイリンレーサー・長澤彩だが、開催が終われば佐藤彩へ。優しいママの顔をのぞかせる。

 翼ちゃんは1歳5カ月(22年10月現在)だが、両親が競輪選手であることが分かっているようで、テレビの画面を見て「パパ、ママ」と話しかけているそうだ。

「子供が大きくなるまでは選手を続けたいですね。今でも自分が走っているところが分かっているみたいだし、1着を取って勝てているカッコいいところを見せたい。それがこれからの原動力になりますね」

「子供が大きくなるまでは選手を続けたいです」(本人提供)

過酷すぎた「産後」復帰の道

 ガールズケイリン選手の結婚、妊娠、出産はまだまだ問題点も多い。競輪選手である前に、一人の人間として切っても切れない話だ。長澤はこの問題点について経験者として語ってくれた。

「女性にとって結婚や子供を産むことは人生の大きなイベントです。ガールズケイリンにもママさんレーサーは増えてきたけど、まだまだ改善するところはあると思います。結婚、妊娠、出産、復帰までの時間が今は2年休めるけど、もう少し時間があるといいと思う。妊娠がわかりレースを休むと、当然無収入になります。手当が全くないのも何とかならないものなのかな。出産を終えて家事育児をする一方で、また一から競輪選手としての身体を作り直してきましたが、復帰までの道のりはかなり過酷でした」

 また、後輩ガールズ選手たちのために、こう警鐘も鳴らしてくれた。

「今後、ガールズ選手の結婚・出産が増え、選手が次々と辞め、選手の人数が足りなくなっていったら…。最悪の事態に陥る前に、是非とも早く対策してほしいと声を大にして言いたいです。今のままだと、選手を続けながら結婚、出産をしたいと思う人は少ないんじゃないかな」

 出産して現場へ戻ってきやすい環境を整備することは近々の課題なのかもしれない。ガールズケイリンが始まって10年。ここまでママさんレーサーのコレクション優勝、グランプリ出場はまだない。長澤彩ならその壁を乗り越える可能性を秘めている。コツコツ練習を積み重ね、子育てとガールズケイリンの両立を果たしていく姿を応援していきたい。

ママさんレーサー初のグランプリ出場へ 育児と競輪の両立へ長澤彩は走り続ける

つづきはnetkeirin公式アプリ(無料)でお読みいただけます。

  • iOS版 Appstore バーコード
  • Android版 googleplay バーコード

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

バックナンバーを見る

質問募集

このコラムでは、ユーザーからの質問を募集しております。
あなたからコラムニストへの「ぜひ聞きたい!」という質問をお待ちしております。

すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

閉じる

松本直コラム一覧

新着コラム

ニュース&コラムを探す

検索する
投票