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山田裕仁のスゴいレース回顧

【道後温泉杯争覇戦 回顧】稲毛健太が動けなかった“背景”にあるもの

2022/10/17 (月) 18:00 31

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが松山競輪場で開催されたGIII「道後温泉杯争覇戦」を振り返ります。

優勝した福田知也(撮影:島尻譲)

2022年10月16日(日) 松山12R 道後温泉杯争覇戦(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢

①杉森輝大(103期=茨城・40歳)
②稲毛健太(97期=和歌山・33歳)
③根田空史(94期=千葉・34歳)
④佐々木豪(109期=愛媛・26歳)
⑤坂本亮馬(90期=福岡・37歳)
⑥渡邉豪大(107期=福岡・33歳)
⑦福田知也(88期=神奈川・40歳)
⑧森川大輔(92期=岐阜・35歳)

⑨阿部力也(100期=宮城・34歳)

【初手・並び】
←④⑥⑤(混成)②⑧(中部近畿)③⑦⑨(混成)①単騎

【結果】
1着 ⑦福田知也
2着 ⑨阿部力也
3着 ①杉森輝大

混戦に振り落とされていく地元選手たち

 10月16日には愛媛県の松山競輪場で、道後温泉杯争覇戦(GIII)の決勝戦が行われています。翌週に前橋での寛仁親王牌(GI)が控えているので、出場メンバーのレベルは通常よりもかなり低め。S級S班はもちろん、S級1班のトップクラスも出場していないここは混戦模様で、多くの選手がかなりの“色気”をもって出場していた開催といえます。

 それだけに、波乱となったレースも多かった印象。松山がホームバンクである渡部哲男選手(84期=愛媛・42歳)は、いかにも勝てそうな番組だった二次予選で、蛇行して落車失格に。さらに、若手の注目株である犬伏湧也選手(119期=徳島・27歳)も準決勝で敗退と、地元勢は勝ち上がりの過程でいい結果を残せませんでした。決勝戦まで駒を進めることができたのは、佐々木豪選手(109期=愛媛・26歳)だけです。

決勝戦唯一の地元選手だった佐々木豪(撮影:島尻譲)

 その佐々木選手は、2名が勝ち上がった九州勢と組んで混成ラインを形成。ラインの先頭を任されたここは地元の意地を見せたいところですが、デキがいいという印象はありませんでしたね。中団からの捲りで1着をとった二次予選のように、道中うまく立ち回って一発を狙いたいところ。番手を回るのは渡邉豪大選手(107期=福岡・33歳)で、3番手は坂本亮馬選手(90期=福岡・37歳)が固めます。

注目は混成ラインの先頭・根田選手

 機動力上位で、ここで主導権を奪いにくる可能性がもっとも高かったのが根田空史選手(94期=千葉・34歳)です。しかし、近況は積極的に逃げるも、どうも末の粘りに欠ける面があるというか…。そんな根田選手が、珍しく後方に置かれた準決勝で、大外を豪快な捲り追い込みで快勝して勝ち上がってきた。となれば、一発勝負で優勝を狙って、ここはあえて捲る手に出る可能性もあると思いますよ。

準決勝でも連係してワンツーをとった根田空史(白・1番)と福田知也(橙・7番)(撮影:島尻譲)

 そうなると今度は「後方に置かれて捲るも不発」という危険性が出てくるわけで、それはそれで扱いが難しいところ。そんな根田選手の番手を回るのは、二次予選や準決勝でも連係して、根田選手とのワンツーを決めていた福田知也選手(88期=神奈川・40歳)です。デキもよさそうで、根田選手がすんなり先行する流れになれば、かなり面白いはず。ラインの3番手には、北日本の阿部力也選手(100期=宮城・34歳)がつきました。

 もうひとつのラインが、稲毛健太選手(97期=和歌山・33歳)と森川大輔選手(92期=岐阜・35歳)が組んだ中部近畿勢。稲毛選手も自力があるので、先行しようと思えばできるはずです。しかし、番手が森川選手となると、正直なところ思いきった走りはしづらい。誰がきても絶対に止めてくれる…といったマーク選手に対する信頼がなければ、先行選手は思いきった走りができないものなんです。

 そして最後に、単騎での勝負を選択した杉森輝大選手(103期=茨城・40歳)。力も技量もある選手ですから、ここは主導権を奪うラインの後ろにつけての「一発」狙いでしょう。問題は、どのラインが主導権を奪うのか。可能性が高いのはやはり根田選手ですが、佐々木選手や稲毛選手が根田選手の「嫌がる」展開をつくり出すために、アレコレと仕掛けてくるケースが十分に考えられます。

「順番」が来ても動かなかった稲毛選手

 では、実際どのようなレースとなったかを振り返っていきましょう。スタートの号砲が鳴って、迷わず飛び出していったのは渡邉選手。前に佐々木選手を迎え入れて、このラインの前受けが決まります。その後ろの4番手に、中部近畿ライン先頭の稲毛選手。後方6番手が根田選手で、最後方に単騎の杉森選手というのが、初手の並びです。車番のとおりではありませんが、想定の範囲内でしょう。

 赤板(残り2周)の手前で、後方にいた根田選手が進出を開始。ホームを通過して先頭誘導員が離れたところで、前を斬りにいきます。単騎の杉森選手も、この動きに追随。前受けを選んだ佐々木選手は、突っ張らずに引いて先頭を明け渡します。その際、単騎で続く杉森選手を捌いて締め出しにいくような挙動がありましたが、うまくいかずに佐々木選手は5番手に収まりました。

稲毛健太(黒・2番)は赤板通過後も最後尾のまま(撮影:島尻譲)

 次の「順番」は最後方となった稲毛選手ですが、根田選手が前を斬りにいったところから一貫して動かず、そのままの隊列でレースは打鐘を迎えます。しかし、それでも稲毛選手は動かないまま。もともと中団がほしかった佐々木選手も、当然ながら動きません。その結果、打鐘後の2センターや最終ホームも一列棒状で通過して、根田選手がそのまま主導権を取るカタチに。稲毛選手は自分で選んだとはいえ、かなり厳しい位置です。

3コーナーで止まった佐々木選手の猛追

 根田選手が楽に主導権を奪取したのを意識してか、佐々木選手は最終2コーナー過ぎから早々とスパートを開始。杉森選手や阿部選手のブロックがなかったのもあって、最終バックでグングンと差を詰め、3コーナーでは阿部選手の外にまで迫ります。しかし、残念ながら猛追もそこまで。佐々木選手の捲りは、福田選手の外に並びかける手前で、勢いが止まってしまいました。

佐々木豪(青)は猛追するも徐々に失速(撮影:島尻譲)

 南関東の2車が抜け出したままで最終2センターを通過して、最後の直線に。ここで満を持して福田選手が外に出して差しにいったところ、根田選手は一気に失速してズルズルと後退してしまいます。その間を割ろうと、内から阿部選手が強襲しますが、抜け出した福田選手との差はほとんど詰まらない。その後ろから伸びてきたのが杉森選手で、阿部選手の外へと詰め寄ります。

 そのまま態勢は変わらず、福田選手が先頭でゴールイン。競輪人生でこれが初となるGIII優勝を、チャンスを逃さず決めてみせました。僅差となった2着争いは、阿部選手に軍配があがりましたね。そして3着に杉森選手と、根田選手の後ろを走っていた選手が、そのまま上位を独占する結果に。中団から捲った佐々木選手が4着で、逃げた根田選手は残念ながら6着に終わっています。

グレードレース初制覇を達成した福田知也(撮影:島尻譲)

「信頼がなければ動けない」先行と番手の関係

 まずは、後方のままで何もできずに終わった稲毛選手について。おそらく「こんな結果になるなら前を斬りに動けばいいじゃないか」と思われた方も多かったことでしょう。確かにそうなんですが、あそこで前を斬りにいくと、自分が逃げる展開となる可能性が高い。そしてその場合、ついているマーク選手が森川選手であることが、やはり大きなネックとなるんですね。

 例えば、番手が森川選手ではなく同じ近畿の稲川翔選手(90期=大阪・37歳)だったとすれば、話はまったく違います。誰かが中団や後方から捲ってきても、確実にブロックして止めてくれるという“信頼感”がある。しかし、中部の森川選手だと、地域的にもマーク選手としての技量的にも、そこまでの信頼は置けない。だから、思いきって前を斬りにいく勇気が出ないんですよ。動きたくても動けなかったというのが、実際の話でしょう。

 中団から捲った佐々木選手は、残念ながら現状では力が足りなかった…という結果ですね。初手で前受けを選んだ結果、楽に中団を取ることができた。前に余力があるとみて、早めに捲りにいった判断も正しかったと思いますよ。しかし、逃げていた根田選手どころか、その番手の福田選手に並ぶところまでもいけませんでしたからね。見せ場こそ作りましたが、それが精一杯だったという印象です。

 逃げた根田選手は、あの展開ならば3着以内に残れそうなものなんですが…やはりラストの粘りに課題がありますね。スピードの乗ったかかりのいい先行で、福田選手の優勝に大きく貢献したものの、6着という結果はやはりもの足りない。根田選手自身にとっても大いにチャンスがあるメンバーや展開だったわけで、それを結果に結びつけられなかったという歯がゆさを感じる内容でした。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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