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【伏見俊昭とオールスター競輪】ファンの期待を背負ったファン投票1位、そして一夜にして消えた賞金

2022/08/07 (日) 18:00 26

 netkeirinをご覧のみなさん、こんにちは、伏見俊昭です。
 高松宮記念杯で落車してしばらく欠場が続いていましたが、やっと身体の方も回復してきたので、西武園競輪で行われる「オールスター競輪(GI)」で復帰します。今回は復帰戦となるオールスター競輪について、お話しさせていただきます。

8月9日から始まるオールスター競輪で復帰する伏見俊昭(PHOTO:島尻譲)

2021年は初のナイター6日制開催オールスター

 昨年のオールスター競輪は、地元いわき平で初のナイター開催でした。夏場の開催ですと昼間は灼熱の太陽で熱いので、日が暮れて涼しくなってからの方が走りやすい気がします。またナイターの方が装飾も華やかですし、夏の日の夜のワクワクする感じはほかの季節にはない高揚感があります。そういう環境でのGI開催は、とってもいいなと思いますね。

 ただ、ナイター開催だと場外発売とかの問題があるかもしれない…。しかし、最近の競輪界はナイターやミッドナイトの売り上げが好調だからナイターGIも成功だったんじゃないかなと思います。

ナイター開催は夜にピークを持っていけるように調整する(PHOTO:島尻譲)

 走る側としてはナイター開催って向き不向きがあると思います。夜、遅くなればなるほどよく走れるって人も聞きますし、やっぱり夜はゆっくり休みたいっていう人もいる。僕の場合は基本的に夜は休息タイム。ずっとデイゲームでナイターを走っていないと21時には眠くなっちゃいます。2021年12月の松戸以来のナイター出走がないので不安はありますが、ナイターを走る時間にピークをもっていけるように調整するのみですね!

 また、2021年からオールスターは6日制になりました。記念が4日制だから2日間長くなることによってレースに重みや格式もでるし、参加人数も多いから、ますます“GI”って感じがします。6日制だと最終日まで残れない選手も出てきます。そういう意味でも4日制より緊張感があります。4日制だと初日負けて2日目から負け戦。まぁ…GIには負け戦だからって気を緩めるような選手はいないんですけど、やっぱり僕自身だけでなくレース全体の緊張感が違います。

「デイトナ」に消えた初めてオールスターの賞金

 初めて、オールスター競輪に出場したのは、1997年の平塚大会。直前の地元の「全日本選抜(GI)」で井上茂徳(佐賀・引退)さんと一緒に落車して鎖骨を骨折しました。そこから1ヶ月半休んでの復帰戦がオールスター。今回も骨折明けでオールスターが復帰戦だからその時と同じだなと思い、当時の心境を思い出そうとしたんですけど…全然思い出せない(笑)。成績は1、8、6、1着。4走して2勝、しかも先行で勝ったっていうのは覚えてるけど、中日2日間の負けた走りは全く覚えていない。苦しい記憶は削除されて都合のいいことだけ覚えているんでしょうね。ただ、初めてのオールスターで2勝できて手応えを感じたのと、ほっとしたという安堵感があったのは覚えています。

高谷雅彦選手(PHOTO:島尻譲)

 以前の北日本の仲間のことを語ったコラムにも書きましたが当時の北日本はGIが終わると打ち上げがあったんです。この時も東京で1泊してお疲れ様会。すると北日本の先輩たちが「オマエ、S級選手になっていい腕時計の一つも持ってないと恥ずかしいぞ」って言い出したんです。僕は腕時計には興味がなくてA級優勝でもらった副賞の腕時計やG-SHOCKで十分と思っていました。「S級選手なら腕時計と車はいいもの持たないとダメだ」と、金古(将人)さん、高谷(雅彦)さんがあおる、あおる(笑)。

金古将人選手(PHOTO:村越希世子)

 そして「打ち上げ行く前に付き合ってやるから行くぞ」って銀座のエバンス(世界のブランドウォッチを扱う腕時計専門店)に連れていかれました。高級時計店に行くのもロレックスを見るのもそのときが初めて。付き合ってくれた高谷さんと金古さんが勧めてくるのはどれも高価なものばかり…。S級上がったばかりだったし、GIだって参加し始めたばっかり。21歳の若造がこんな高いものを…なんて葛藤しながら、30分くらいはズラリと並んだ高価な時計を眺めていたかな。

賞金を叩いて購入したデイトナを見ると当時の思い出が蘇る(PHOTO:本人提供)

 最終的に選んだのがロレックスの「デイトナ」。この時の賞金が多分、150〜170万円くらい。そして選んだデイトナは140万円。そのときの賞金がほとんどなくなっちゃいました。「これって現金で買うんですかね?」って聞いたら高谷さんが「あたりまえだろ」って。ある程度、貯金したほうがいいかなと思っていたのに賞金はすっからかん。「これでまた頑張れるぞ、一皮むけるぞ」ってまたあおられて(笑)。打ち上げに行くのにすでに賞金袋はペラペラで苦笑いが止まらなかったです。今でももちろんそのデイトナは大切にあります。腕につけるとこのオールスターのことを思い出しますね。

 (加藤)忍さんは、早く飲み始めたかったみたいで、「そんな時間いらん。もう行くぞ」みたいな感じのことを言っていましたね。エバンスの近くまではいたはずなのですが、いつの間にか姿をくらましていて…。打ち上げが始まってから遅れて来ましたが、どこで何をしていたのかは、今でも謎です(笑)。

お客さんの期待を背負ったファン投票の1位の重み

お客さんの想いとともに走るオールスター競輪(PHOTO:島尻譲)

 2009年松山大会では初めてファン投票1位に選んでもらいました。GI、GP優勝とは違うステータス、その年の一番人気ですごく名誉なことです。開会式ではファン投票1位が最後に登壇するのですが、なんともいえない高揚感があった反面、プレッシャーもすごかった。ファン投票1位ということは一番優勝してほしい選手と思われているから負けられない。最低ノルマは決勝に乗って優勝争いをすること。完全優勝とまでは言わないけどそれくらいの成績じゃないと失礼とも思っていました。ドリームレースに選ばれるってことは自分で勝ち取った参加権じゃないから、この一戦に関しては自分だけの走りじゃないってよく当時の取材に応えていました。ファン投票で走ることができるオールスターはやっぱり別格です。いつも以上にお客さんの期待を背負って走ってる感じですね。それは今でも変わりません。賞金や参加人数ではダービー(日本選手権)が上だけどオールスターもそれに匹敵する格付けと思っています。

 今でもやっぱりファン投票の結果は気になります。年々、順位が下がっているので「今回は100位までに入ってないだろうな」と思いながら覚悟して見ています。それで100位以内に名前があるとめちゃくちゃうれしい(笑)。魅力的で生きのいい若手選手がいっぱいいる中で投票してくださって本当にありがたいです。ファン投票はいい成績を残してアピールできてないと投票してもらえない。今回は1ヶ月半、しっかり休んでの復帰戦だけど初出場の時のことを思い出してしっかり走れるっていうことを見せてまた来年、1票入れてもらえるように頑張りたいです。落車はアクシデントなんで仕方がないけど、車券を買ってもらっている以上、再乗できる時は再乗したい、それがせめてものお客さんに対するマナーかな。ゴールしないと失礼にあたる、選手でいる以上ゴールすることが義務だと思っています。

岩見潤さんからの退院祝い

練習仲間の岩見潤選手

 宮記念杯の落車では左手の拳のケガもひどかったです。グローブの拳部分にプロテクターが入っていて保護されているんですが、プロテクターがズレてあまりフィットしてなかったんでしょう。それを見た練習仲間の岩見(潤)さんが「オレが使っているメーカーのグローブを使え。それだったらこんな大けがにならないから」と退院祝いだってグローブをくれました。今までのものはグリップ力を重視していましたが岩見さんがくださったのはケガ防止に重きをおいているもの。今回のオールスターからはそのグローブで走ります。まだ多少の痛みはありますが拳のケガもかなり回復。早く何の違和感もなくなるくらいに戻ってほしいです。鎖骨も負荷をかけてモガくとグッとくることがありますが、かなりよくなりました。どちらも徐々に戻していくしかないですね。今は暑くて練習も苦しいですが、涼しい病院のベッドの上より全然楽しいです。よくなってきている実感があるのは気持ちも前向きになっていいですね。なんとか気持ちも折れずにここまでこれてよかったです。

 そして、最後に毎年オールスターがくると思い出すのは内田慶。西武園競輪場の近くに「所沢シティメモリアル」という霊園があります。そこに慶は眠っています。西武園に参加する時には毎回必ず慶のお墓参りをしてから競輪場入りしています。常にニコニコしていて明るくておちゃめな慶の姿を今年も思い出しながら、西武園を走り切りたいと思います。

 応援よろしくお願いします。



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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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