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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭とケガ】「もう辞めようかな」とさえ思ったケガ、しかし「競輪選手」であり続けたいプライドと思い

2022/07/19 (火) 18:00 17

 netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは、伏見俊昭です。
 6月に岸和田競輪場で開催された「高松宮記念杯競輪(GI)」の初日に落車でケガをしてしまい、先月はコラムを休載させていただきました。今回は「競輪選手とケガ」についてお話ししたいと思います。

現在は練習できるほど回復した姿を見せる伏見俊昭(PHOTO:本人提供)

2022年6月16日 9R S級 東日本一次予選

 当日見られていた方もいるかもしれませんが、「高松宮記念杯競輪(GI)」(以下:宮杯)の初日に落車をしてしまいました。思った以上にダメージは大きく、鎖骨骨折、肋骨本3本骨折(5、6、7番)、肺挫傷の大ケガになりました。逆バンクという下側に向かって落ちたので負傷箇所は全部左側。中でも左手の擦過傷、指から拳にかけてのエグれ方がひどかったです…。

 僕の場合、落車する時は比較的、事前に身構えることができるんです。しかし今回は相手の先行選手が後方からカマしてきて出切れずに自分のところに降りてこようとした時、僕もスタンディングしていて前に意識がいっていて身構える前に…。ハンドルがグニャって曲がる感じがしたことを覚えています。ドン!! という衝撃で一瞬、息が止まったので「ああ、これは肺をやったな」とすぐ感じました。その後は呼吸がなんとかできたので「肺気胸まではいってない。肺挫傷だな」って。

 肺気胸は過去に2回、経験があります。肋骨が折れて肺に刺さり、肺の空気が漏れます。それを外に出すのに1週間くらい管を入れます。その管を入れるまでがもだえてもだえて、地獄の時間なんですよね。

「皮膚移植も視野に入れて」という医者の言葉

包帯でぐるぐる巻きになった左手(PHOTO:本人提供)

 鎖骨骨折をしたときは、プレートを入れることによってすぐに練習が再開できるので、ほとんどの選手が手術をします。神奈川県川崎市の病院に名医がいるのでそこで手術する選手が多いのですが、今回僕の鎖骨は単純骨折でズレがなく、また川崎の病院まで移動することも困難…さらに手術をしてもすぐに練習も再開出来る見込みがなかったので今回は手術を見送りました。

 しかし、手の擦過傷がひどすぎて感染症が懸念されたので「しっかりここで経過を見ながら治療しましょう」とのことでまずは同病院に1週間入院しました。その際、手のエグれがひどかったので、「皮膚移植も視野に入れて」と言われました。その後自宅がある三重県の病院に転院。そこで患部にガーゼを当てて包帯をぐるぐる巻きにした状態でそこを圧迫して皮膚を盛り上げるという最新器具での治療をしました。その治療が功を奏して、皮膚移植は免れることができました。移植だけは勘弁して…という思いが強かったので、本当に一安心という心境でしたね。

「競輪選手を辞めようかな」負の感情に引っ張られたベッド上

負の感情に引っ張られた入院生活(PHOTO:島尻譲)

 入院してほとんどベッドの上から動けず病院の天井ばかりを眺めていると、とても負の感情に苛まれました。「また落車してしまったな」とか「何のために頑張って宮杯に出たんだろう」とか…。面白いと思えることが何もなくて「どうやって笑えばいいんだろう? 」とも思いましたね。マイナスな気持ちは膨れ上がるばかりで、正直「もう競輪選手を辞めようかな」なんて楽な方へ逃げる自分も一瞬いました。

 以前のコラムにも書かせていただきましたが、ケガをすると本当にメンタルがやられます。今回もうつ病になりそうなくらい、精神的に落ち込みました。ただそんな弱い自分に打ち勝つのも自分しかいないので、とにかく自分自身との戦いです。もう一度バンクを走るために、弱気な自分と戦いました。

「回復=休んだ日の2乗」の法則

 高校時代に誰からか『休むと戻すのにその日数の2乗かかる』って聞いたことがあるんですよ。1日休めば1日間、2日休めば4日間、じゃあ1ヶ月休んだだらどんだけ!? その教えに洗脳された僕は、今でも長い期間練習を休むことができません。だからケガ以外で練習を休んだのは黄檗山の違反訓練だけです。違反訓練では5泊6日の間、全く練習はできないので、帰ったら焦る気持ちでその夜からローラーに乗ったことを覚えています。生まれ持ったポテンシャルで天才肌の人は、休んだ期間が長くても1、2日練習すれば戻るみたいですが、僕は違う…だからこそ努力で補うしかないんです。

 今回は2週間の入院。当然外出許可も下りるわけもなく、隠れて練習もできません。だから「仕方ない、今は身体をしっかり治す」と決め、我慢して治療に専念しました。しかし退院した日から練習を始めています。14日休むのと15日休むのとでは大きな違いがありますからね。退院したてはワットバイクに乗ってもまだまだすべてが痛い。ハンドルを握ると鎖骨が痛い。それでも動き出すと代謝が上がるせいなのか急激に回復していくのを感じています。歩くのもギリギリだった状態からの回復なので徐々に心にゆとりも出てきました。

小倉竜二・ボス後閑信一、それぞれのケガの対処法

落車する時にも芸当を見せる小倉竜二(PHOTO:島尻譲)

 オグリュウ(小倉竜二)は落車する時に空に腕を伸ばすらしいです。そうすると柔道の受け身みたいに背中で衝撃を受け止めることができるとか。僕はハンドルを離さないということは意識していますが、落ち方が下手なのか…骨がモロいのか…最近は落車すると必ずといっていいほど骨折していますね。僕にはオグリュウみたいな芸当はできないです(笑)。

現役時代、ケガが多かった後閑信一/2013年オールスター競輪(PHOTO:村越希世子)

 引退した後閑信一さんも落車、ケガが多かったですが、鎖骨骨折だと2週間くらいで復帰するんですよ、ただ者じゃないですよね。同じようにケガで悩んでいた後閑さんが「PRP療法」っていうものも教えてくれました。自分の血液を抜いてその中の血小板をもう一回注入するという治療法なんですけど、メジャーリーガーも肘のケガなどでよくやっていますね。今回は2週間入院生活だったので東京の病院に行けなかったんで、残念ながらやれませんでした…。

目指すは30回連続出場!オールスターでの復帰を目指す

オールスター競輪での復帰を目指す伏見俊昭(PHOTO:島尻譲)

 残念ながら今年のサマーナイトフェスティバルはとてもじゃないですが万全な状態では迎えられそうもないので欠場。8月の西武園オールスターでの復帰を目指しています。オールスターはファン投票で73位。年々、成績が落ちて、魅力的な若い選手がたくさん出てきているのに投票してくださる方がいて本当に嬉しくて、ありがたいです。僕の走る姿を見て楽しんでくれる人がいる限り、妥協せずに頑張っていきたいです。負傷して、治療して、トレーニングして、オールスターというひのき舞台でいいパフォーマンスができて、いい結果も残せたら二重の感動ですね。

 オールスターとダービーは連続出場記録が続いているのでそれもモチベーションの一つになります。僕は決して気持ちは強くない。なんとかギリギリの線で繋いでいます。でもそれがいいのかも。ゼロになったら終わりだけど1でもあったらそこから増やしていける。まさに“ギリギリのメンタル”ですね。目指すは30回連続出場です(今回で26回連続出場)。

 今回は苦しかったけど2週間でとりあえず練習ができるまでに回復できたのは早かったんじゃないかと思います。丈夫に生んでくれた親に感謝ですね。ケガさえなければ競輪選手って本当にいい世界なんです。しかしスポーツはケガがつきもの、それとうまく付き合っていくしかないですね。

 西武園競輪で皆さまとお会いできることを楽しみに頑張ります。



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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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