閉じる
伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭の競走】落車の恐怖もあったが「悔しい」と思えたオールスター、心技体のバランスが整ってこそ戦えるGIの舞台

2022/09/10 (土) 18:00 11

 netkeirinをご覧のみなさん、こんにちは、伏見俊昭です。
 7月に約2ヶ月ぶりの復帰戦となった「オールスター競輪(GI)」でしたが、申し訳ない結果となりました。今回はオールスター競輪の振り返りとその後の調子について、お話ししたいと思います。

オールスター競輪で復帰した伏見俊昭選手(提供:公益財団法人JKA)

レースは心技体が整ってこそ戦える舞台

 6月高松宮記念杯で落車してしまい欠場を続けていましたが、8月オールスター競輪で実戦に復帰することができました。自分としては8割、まぁ…ひいき目に見て9割方は戻っている、「やっと戦えるぞ」と思っていたのですが…。
 実際走ってみると思っているよりも全然、体が動かず、改めて“レース”と“練習”は違うということを痛感しました。3走を振り返っても全くいいところがなかったし、レースにもならず、ただ参加しているだけの状態。ファン投票で選んでくれた方に本当に申し訳ないという気持ちとこの状態ではマズいという危機感で一から出直そうと思い直した開催となりました。

左から小原佑太選手・伏見俊昭選手・竹内智彦選手(撮影:島尻譲)

 自分の中ではやれることはやったつもりでした。入院期間はしっかり休んでそれからは心肺機能を上げながら筋力を戻せるところまで戻し、治療とリハビリもしっかりやって、体は修復してきたと思ったけど、やっぱり年齢なんですかね…。
 20年前とは治る速度がまったく違い、擦過傷の乾きも遅い。落ちた体力も全然戻ってこないですし。退院してから1ヶ月と1週間はちゃんと練習できたんですよ。それだけに悔しさが勝ります。練習だと何も考えずに自分1人でマックススピードとか回転とか意識してやりますが、レースだと9人で走る。相手8人の動きやそれぞれの戦法もあります。また、落車明けの復帰戦だから恐怖心とまでは言わなくてもやっぱりマイナスなイメージがついてまわってしまう…。アクシデントはないほうが多いのですが、どうしても「またアクシデントがあったら…」とネガティブな部分を考えてしまう自分がいました。落車は絶対ないとは言えない、この間落車したからあと1年は落車しないなんて保証もない、立て続けに落ちる時は落ちるというのも見てきているから、要らない情報を自分に入れてしまっていました。骨も100%くっついているわけじゃないから、ここでまた落ちたらあの入院生活に逆戻りって考えなくていいことを考えてしまうんですね。まさに心技体、体に不安があって整わないと心も整わない。強い選手が集まっているGIでそんな中途半端な状態では戦えるわけがありません。

オールスター競輪イメージ(撮影:島尻譲)

 整体の先生は「走っただけでも立派」と僕が落ち込まないよう、悩まないように言ってくれたんですが、それは慰めでしかありません。でもあの短期間で体を治し、走りでの手応えはなかったけど、次につながるモチベーションにはなったし、これからもしっかり練習して治療を重ねれば戦えるという気持ちにもなれた。3日間しか走れなかった情けなさ、最終日までいられなかった歯がゆさでまだ「悔しい」という思いも持てた。ケガだからしょうがないと言い訳するのではなく前向きになれたのでそこだけは収穫だと思っています。

調子を取り戻したレジェンドカップで5月以来の1着

まさにレジェンドにふさわしい、武田豊樹選手(撮影:島尻譲)

 オールスター競輪から2週間あいて取手競輪の「レジェンドカップ・サンスポ賞(FI)」を走りました。その2週間はオールスター前以上の気持ちで練習できたし、違和感がどんどん抜けていくのもわかって、それがとても嬉しかった。練習の手応えがあるのも嬉しくて、それが最終日、5月以来となった1着に繋がったんじゃないかなと思います。やっとバンクに戻ってきたな、という感覚になって感無量でした。もちろん(高橋)晋也が頑張ってくれたおかげの勝利、自力選手には頭が上がらないですね。こんな苦しい中で1着取らせてもらえて“ありがとう”の気持ちもあるし、今度一緒になった時は目いっぱい援護しようという気持ちになって、そういう信頼関係のドラマが競輪にはありますよね。

 レジェンドカップは第1回(2013年)に呼んでもらったんですけど、直前の日韓競輪で落車して肋骨骨折して出られなかったんです。今回もレジェンドカップって聞いてあの時、出られなかったから楽しみだなとは思ったんですが…。いざ、メンバー見たら21歳の吉田有希君はいるし、どういう方向性なのかなって(笑)。

 売り上げ的には難しいけど、『レジェンドカップ』って銘打つならもっと偏ったあっせんでも面白いのかなと思ったり。例えば、タイトルホルダーを揃えて往年のライン形成で武田(豊樹)さんが自力とかね(笑)。

競輪選手はバケモノ!

 オールスター競輪、レジェンドカップと走り実感したことは、骨折は骨がくっついたら治ったわけじゃなくて、骨折する前の状態に戻すには何ヶ月もかかるということ。可動域を広げたり、違和感をなくすために固まっている筋肉をほぐして長い時間かけてゆっくり治すしかない。ほかのプロスポーツを見ていても、競輪選手くらいじゃないですか!? 骨折して1ヶ月そこそこで実戦に復帰するのは(笑)。ほかは骨折だと全治3ヶ月とかいっていません? やっぱ競輪選手はバケモノですよ(笑)。

 落車して翌日走ってそこで1着とるなんて信じられない。落車はほぼ交通事故ですからね。今は昔と違って軽量化のためにプロテクターをつけていない選手が多いんです。特にGIだとプロテクターをつけている選手のほうが少ないですね。落車してケガをするとプロテクターをつけるけど1、2年大ケガしてないと軽さを求めちゃってケガのリスクを考えなくなります。今回の大ケガでオールスターではインナーに肩パッドをマジックテープでくっつけたオリジナルの軽いプロテクター的なものをつけて走りました。

心をリラックスさせることが良いレースに繋がる

 以前のコラムで伊勢神宮へよく参拝するというお話をしましたが、今回オールスター後に久しぶりに行きました。オールスター前にはなかなか行けなかったのですが、無性に行きたくなった自分がいて、今行かなかったら病みそうなくらいヤバかったので「この日に絶対行く」って決めて。週間天気予報見たら雨予報でいつもなら雨の日は敬遠するけど自分を洗い流すって意味でも大雨の中、歩いて参拝してきました。雨の伊勢神宮は晴れている時と一味違って、大雨なのにそれでも心地いい自分がいる。参拝が終わって帰る車の中で変なモヤモヤが抜けたのを感じました。伊勢神宮の空気だけは自分の中の負のオーラを浄化してくれるのを感じます。

発走前のルーティーンで心をリラックスさせる(撮影:島尻譲)

 今、感じるのは競走で一番大事なのは「無事に走り切ること」。2番目はマーク選手としての手応えとか感覚。結果は3番目ですね。長いプロ生活をやっていく上で目先の勝利よりも次につながるレースを心掛けています。最近は呼吸も考えていて、走りながらゆっくり呼吸を整えながら走るのがいいなって。それを意識しないと無酸素状態で走ることになるし、余裕をもって呼吸していると周囲も見えてくるんですよ。発走前にやっているルーティーンもそういうことの1つ。年間100走もしていると毎回、KEIRINグランプリのようなモチベーションで走れるかっていったらそれはやっぱり無理ですよね。

 自分はレース本番のかなり前から集中するようにしているんですが、一緒に五輪で走った長塚(智広)君は発走5分前くらいまでヘラヘラしているんですよ。そこから短時間で急にスイッチ入って集中力をピークに持っていく。長塚君はダッシュ力世界一って言われていましたがあの天性のオンオフスイッチも世界一です。たった5分で集中して発走直前でピークにもっていくすごさは尊敬と同時に羨ましくて、僕もこうなりたいって思っています。練習だけ強くて実戦では6、7割しか出せない人もいる中で、集中力を高めて本番で120%の力を出せるポテンシャルって大事ですよね、そう考えるとメンタルって大事だと実感します。人間だからどうしてもネガティブなことを考えてしまいます。朝から晩までポジティブでいるのは難しいけど、勝負の世界ではなおさらいかにネガティブオーラを出さずにポジティブでいられるかに尽きます。心技体、まずは体をきっちり整えてメンタルをコントロールできるようにしていきたいですね。

ネガティブオーラを出さずにポジティブな心でレースに挑みたい(撮影:島尻譲)



伏見俊昭選手に「こんなことを聞きたい 」「こんな話をしてほしい」などコラムのテーマを募集します。下記の質問BOXからぜひご応募ください!
お待ちしております。


▶︎伏見俊昭blog「Legend of Keirin」

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

バックナンバーを見る

質問募集

このコラムでは、ユーザーからの質問を募集しております。
あなたからコラムニストへの「ぜひ聞きたい!」という質問をお待ちしております。

伏見俊昭のいつだってフロンティア!

伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

閉じる

伏見俊昭コラム一覧

新着コラム

ニュース&コラムを探す

検索する
投票