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山田裕仁のスゴいレース回顧

【全日本選抜競輪 回顧】素直な賞賛と幾何かの“残念さ”

2021/02/24 (水) 18:00 13

現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが、全日本選抜競輪を振り返ります。

2021年2月23日川崎12R 全日本選抜競輪(GI・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①和田健太郎(87期=千葉・39歳)
②松浦悠士(98期=広島・30歳)
③平原康多(87期=埼玉・38歳)
④深谷知広(96期=静岡・31歳)
⑤守澤太志(96期=秋田・35歳)
⑥園田匠(87期=福岡・39歳)
⑦郡司浩平(99期=神奈川・30歳)
⑧諸橋愛(79期=新潟・43歳)
⑨清水裕友(105期=山口・26歳)

【初手・並び】
←③⑧(関東)⑨②⑥(中国+九州)④⑦①(南関東)⑤(単騎)

【結果】
1着 ⑦郡司浩平
2着 ①和田健太郎
3着 ⑤守澤太志

真のトップ選手であればレースの組み立てをもっと考えて欲しかった

 今年最初のGIとなる、川崎競輪場での「全日本選抜競輪」。川崎で特別競輪が行われたのは、1965年のオールスター競輪以来、じつに55年ぶりです。それだけに強い意気込みが感じられたのが、地元である南関東勢。川崎がホームバンクで、父である郡司盛夫さんも神奈川の選手だった郡司浩平選手(99期=神奈川・30歳)にとっては、なにがなんでも獲りたいタイトルだったといえるでしょう。

 その決勝戦は、S級S班が6人という超豪華メンバーとなりました。佐藤慎太郎選手(78期=福島・44歳)が勝ち上がれなかったのは残念ですが、これはナショナルチーム組の脇本雄太選手(94期=福井・31歳)と新田祐大選手(90期=福島・35歳)が出場していない状態での、ほぼベストメンバー。それだけに、決勝戦ではどんなレースが観られるのかーーと、心躍らせていたファンの方も多かったのではないでしょうか。

 ではさっそく、決勝戦の回顧といきましょう。南関東ラインの先頭を任された深谷知広選手(96期=静岡・31歳)の先行は、大方の予想通り。準決勝では好タイムでの逃げ切りを決めていたように、調子のよさもかなり目立っていました。赤板(残り2周)からの発進も予測できたことで、それを受けて他のラインがどう動くか。そこが、このレースの展開を決める大きな“カギ”になるとみていました。

 しかし、結果は意外にもすんなり。別線がとくに抵抗もせずに出したことで、南関東ラインが主導権を握ります。こうなってしまうと、ナショナルチーム仕込みのスピードを持つ深谷選手の先行に、他のラインはそう簡単には迫れません。しかも今回の彼は、南関東に移籍した“名刺がわり”とばかりに、逃げにこだわる走りをしている。このカタチになるのを許してしまった時点で、他のラインは厳しくなって当然です。

 この展開が濃厚だと読んでいたのでしょう。初手から南関東ラインの後ろにつけていた守澤太志選手(96期=秋田・35歳)が、4番手。平原康多選手(87期=埼玉・38歳)が先頭を走る関東ラインは、5番手から。そして清水裕友選手(105期=山口・26歳)は、後方7番手からのレースとなってしまいます。じつはこのカタチ、2日目12レースの優秀戦とほぼ同じなんですよね。まさに「再現」といった印象です。

 清水選手も、このシリーズでデキのよさが目立っていた選手。コンビを組む松浦悠士選手(98期=広島・30歳)との比較でも、今回は明らかに清水選手のほうが好調でしたね。しかしそれでも、この相手と展開で再び7番手からの勝負になってしまったのではキツい。実際に決勝戦でも、最終1コーナーから捲るも不発に終わってしまいました。こうなると当然、その後ろを走る松浦選手も好勝負には持ち込めません。

 そして、清水選手の仕掛けに合わせて4番手から踏んでいったのが平原選手。しかし、前で後続の仕掛け待っていた郡司選手は、最終バックで番手捲りを放ちます。平原選手が必死で追いすがるも、その差が詰まりそうで詰まらない。そんなときに起こったのが、最終2センターで郡司選手と接触したことによる車体故障です。これで平原選手は脱落し、その番手を走っていた諸橋愛選手(79期=新潟・43歳)も、直線での伸びを欠きました。

 とはいえ、あの車体故障がなかったとしても、結果は大きくは変わらないでしょう。準決勝で見せた立ち回りの巧さなどは「さすが」のひと言ですが、平原選手の調子は、けっして良くはなかったですから。本調子であれば、郡司選手にもっと際どく迫るところまで行けていますよ。仕掛けてから、差が詰まりそうで詰まらなかったあたりに、郡司選手とのデキや“気持ち”の差を感じましたね。

 勝ったのは、番手捲りから押し切った郡司選手。2着は、その後ろを最後までしっかり取りきった和田健太郎選手(87期=千葉・39歳)。そして3着に守澤選手と、深谷選手の後ろを走っていた選手がそのままワン・ツー・スリー。果敢な逃げでこの展開を作りあげた深谷選手と、託されたバトンをしっかり受け取った郡司選手は、本当にお見事でした。早くから仕掛けたラインで番手捲りというのは、イメージほど楽ではないんですよ。

 しかも、地元という期待や大きなプレッシャーのなかで最高の結果を出したんですから、これは手放して褒め称えるべきです。機会が少なかったとはいえ、私なんて最後まで「地元での特別競輪」を勝てませんでした。それどころか、落車で鎖骨を折った苦い思い出しかありません(笑)。それに、この段階でグランプリの出場権を得たというのは非常に大きい。これで今後は、南関東の選手をバックアップする側に回れますからね。

 そして最後にーーちょっと辛口になってしまいますが、もうひと言だけ。決勝戦が2日目12レースの優秀戦の「再現」になってしまったのは、正直なところ残念でした。超一流ならば、同じ轍は踏まない。あの結果を受けて、決勝戦ではどう戦えばいいかという戦略を練り直してくる。そう信じて、中国ラインや関東ラインの車券を買っていたという人も少なくなかったでしょう。

 しかし、そうはならなかった。とくに抵抗もせずに、南関東ラインに「自分たちのやりたい競輪」をさせてしまったのは、大きな反省材料ですよ。いわゆる“ヒール”をやれる選手がいなくなり、正々堂々の真っ向勝負が増えた時代だからこそ、レースの組み立てについてはもっと考えてほしい。車券を買ってくれたファンを納得させられるレースができてこそ、真のトップクラスなのですから。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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