2021/02/24 (水) 12:00 6
飯野祐太(36歳・福島=90期)は北日本で最も頼れる自力型。三国志の人物でいえば「典韋(てんい)」、主君・曹操(そうそう)を守り抜いた男だ。身を張って、誰かのために生きる。ブレずに生きている。
飯野の見た目のゴツさ、ケツのデカさは競輪選手なら誰もが憧れる。
少し前の話だが、飯野が明らかに調子を崩していた時があった。聞くと、お子さんを抱いている時に、階段で転んでしまい、抱いたまま倒れてしまったという。もちろん、お子さんにケガはない。この屈強な体で子どもを守り抜いた。親として当然ではあるが、飯野のこの本能がレースにも出ている。
ラインの先頭で戦い、そして、その責任を果たす。別線の抵抗も必ずあるので、もちろん失敗に終わることもある。だが、飯野が意を決して戦う時、失敗はほぼない。中学時代は卓球部だったとは、思いもよらない。
飯野はこれまで何度も、何度も…。
「発進回数は150回くらいでしたっけ?」と聞くと「300回くらいかな?」と笑って返してくれる。それくらい北日本の先頭で、ラインのために戦ってきた。数字はやや多めだろうが、誇張ではない。ラインのために、身を粉にして働いてきた。
飯野と近藤隆司(37歳・千葉=90期)が、ラインのために頑張り続けてきた代表自力型。何とか2人が、記念を勝ってほしいと思っている選手は多い。ファンの願いも同じだろうが、選手間にもそれはある。
北日本でいえば、小松崎大地(38歳・福島=99期)が2017年3月大垣で、早坂秀悟(35歳・宮城=90期)が2017年12月伊東で記念初優勝を手にした。ともに先頭を務めたのは新山響平(27歳・青森=107期)で、北日本を引っ張ってきた先輩のために、「自分ができることを」と、懸命に駆けた結果だった。「後は、飯野……」。今開催はGI直後で、やや手薄なメンバー。飯野が勝つこと、しかも“地元という舞台で! ”だ。もし北の選手が8人決勝に乗ったら、8人並んで飯野を盛り立ててもおかしくない。そんな選手だ。
9人は…並んじゃダメか。
JKAから4月から2022年3月までコロナ対策を続けて、開催を行う旨の発表があった。日々の感染者が減少傾向とはいえ、また緊急事態宣言の終了が見えてきたとはいえ、やるべきことは続けていく。それは当然のことだ。
だがその上で、感染拡大の収まりや、ワクチン接種の普及状況に応じて即座に対応し、変化していい。ひとレースの人数を減らしたり、レースカットといった手もあるが、1日のレース数そのものを減らしたり、概定番組(レースプログラム)のバランスを変えたり、とやれることもある。
ドーンと、1年間のやり方を提示することも大事だが、そこで生まれたひずみを解消することは、状況に応じていつでもやっていいと思う。
川崎競輪場で開催された全日本選抜は郡司浩平(30歳・神奈川=99期)の優勝だった。父であり師匠でもある盛夫さんの喜びはまたひとしおだったろう。川崎では1965年以来のGI開催なのだ。地元選手が勝った意味は、非常に深い。
無観客だったので、ゴール後の喝采はなかった。郡司が川崎記念を勝った時のファンの喜びようをホームスタンドで見てきた(決勝をファンの中で見て、ダッシュで検車場へ行く)だけに、心が痛んだ。だが、目標ができた。川崎は公園法の中の扱いだったが、土地利用を変えることにより、建物をまた立てることもできるようになった。
今ある2センター側のスタンドを取り崩し、そこに選手宿舎を建てる。GI開催の誘致は、それに合わせてできる。大勢のファンが集う中で…。今回は夢に終わった大歓声を待ちたい。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。