2022/05/02 (月) 18:00 20
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが青森競輪場で開催されたGIII「施設整備等協賛競輪in青森 縄文小牧野杯」を振り返ります。
2022年5月1日(日) 青森12R 第4回施設整備等協賛競輪in青森 縄文小牧野杯(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①嵯峨昇喜郎(113期=青森・23歳)
②阿竹智史(90期=徳島・40歳)
③吉田有希(119期=茨城・20歳)
④根本哲吏(97期=秋田・36歳)
⑤山岸佳太(107期=茨城・32歳)
⑥河端朋之(95期=岡山・37歳)
⑦中田健太(99期=埼玉・32歳)
⑧新山将史(98期=青森・31歳)
【初手・並び】
←①④⑧(北日本) ⑥②(中四国) ③⑤⑦⑨(関東)
【結果】
1着 ⑥河端朋之
2着 ②阿竹智史
3着 ⑧新山将史
5月に入って、いわき平での日本選手権競輪(GI)がもう目前に。そんなタイミングで青森競輪場で開催されたのが、縄文小牧野杯(GIII)でした。いわゆる「裏開催」ですから、出場メンバーはかなり手薄。初日特選に出場した選手で決勝戦へと駒を進められたのは、たったの2名でした。混戦模様のシリーズだったことの証明といえますね。
5月1日に行われた決勝戦で注目を集めたのはなんといっても、無傷の3連勝で勝ち上がった吉田有希選手(119期=茨城・20歳)でしょう。吉田拓矢選手(107期=茨城・26歳)の弟で、そのポテンシャルの高さは、師匠でもある兄以上と評されているほど。競輪選手としては小柄なほうなんですが、素質の高さは折り紙付きです。
初日特選にこそ乗りませんでしたが、競走得点は出場選手中トップ。119期の筆頭格といえる活躍をみせている吉田選手が強い内容で勝ち上がり、完全優勝でのGIII初Vを視野に入れていたわけですから、注目されて当然です。しかも、決勝戦には関東の選手が4名も勝ち上がっており、後ろを固める先輩のアシストも期待できる。そりゃあ、誰だってここから買いたくなりますよね。
関東ラインの番手は、吉田選手と同じく茨城の山岸佳太選手(107期=茨城・32歳)で、こちらもなかなか調子がよさそう。タテ脚もあるので、展開次第では山岸選手が吉田選手を逆転するケースが十分にありそうです。3番手は中田健太選手(99期=埼玉・32歳)で、4番手に武藤篤弘選手(95期=埼玉・37歳)と、埼玉勢が後ろを固めるカタチですね。
3名が勝ち上がった北日本は、嵯峨昇喜郎選手(113期=青森・23歳)が先頭を任されました。嵯峨選手は地元でのGIII決勝ですから、ここはかなり力が入ります。その番手を回るのは根本哲吏選手(97期=秋田・36歳)で、3番手に新山将史選手(98期=青森・31歳)と、ラインの総合力は関東に決して見劣りません。1番車を貰った嵯峨選手が、どういうレースの組み立てをするかに注目が集まります。
そして中四国ラインは、河端朋之選手(95期=岡山・37歳)が前、阿竹智史選手(90期=徳島・40歳)が後ろという組み合わせ。河端選手は、昨年の秋に腰を痛めて休養に入り、今年2月に戦線復帰してからは初となるGIII決勝進出でした。本人のコメントは控えめでしたが、速い上がりの時計を出していたように、かなり調子を上げてきていた印象。番手につく阿竹選手も地力がありますから、2車とはいえ侮れません。
こうして見ていくと、じつは「関東で盤石」といえるようなメンバーではないんですよね。吉田選手のポテンシャルは確かに高いですが、まだまだ経験は浅く、いわば磨かれていない原石のようなもの。展開次第では意外に危ういかもしれない……というのが、レース前の個人的な印象でした。では、決勝戦の回顧に入っていきましょうか。
スタートの号砲が鳴って最初に飛び出していったのは、1番車を貰った地元の嵯峨選手。迷わずスタートを取りにいって、ここは前受けからレースを組み立てます。その後ろには中四国ラインの河端選手がつけて、中団を確保。関東ラインの吉田選手は、後方6番手からのレースとなりました。さて、この初手の並びからどういう展開になるかです。
最初に動いたのは吉田選手で、赤板(残り2周)の手前からゆっくりとポジションを押し上げていきます。しかし、先頭を走る嵯峨選手は振り返って吉田選手の動きを確認すると、迷わず突っ張ることを選択。これを見て、吉田選手は強引に前をきりにはいかず、再びポジションを下げます。いま思えば、ここが勝負の分かれ目でしたね。
いったんは引いた吉田選手ですが、打鐘の手前から再び前へと踏んで、先頭を奪いにいきます。しかし、それを読んでいた嵯峨選手はこの仕掛けに合わせて、打鐘から突っ張り先行。吉田選手を前に出させず、ここでレースの主導権を奪いきります。中四国ラインの河端選手は、変わらず4番手をキープ。関東ラインはこの時点で、かなり厳しい展開になってしまいます。
その後も吉田選手は河端選手の外を併走しますが、最終1コーナーに入るところで後続の山岸選手と離れて、単騎で浮いてしまうカタチに。もがき合いながら長い距離を踏める吉田選手とはいえ、こうなってしまうと万事休すです。前では北日本ライン番手の根本選手が前との車間をきって、嵯峨選手の脚が止まった最終バック手前から番手捲り。そこを3コーナー手前から早々と河端選手が捲りにいきます。
ちょっと強気すぎるほどの仕掛けでしたが、河端選手はそれだけ自信があったんでしょうね。カントのきつい青森のバンクを外に駆け上がり、一気に前との差を詰めて射程圏に。そのダッシュの鋭さは、番手にいた阿竹選手がいったん離れてしまったほどでした。番手捲りを放った根本選手がなんとか粘り込もうとするところに、外を回った河端選手が襲いかかって、最後の直線に入ります。
根本選手は直線の入り口で力尽き、河端選手が一気に先頭に。根本選手の後ろにいた新山選手がそれに追いすがりますが、その時点で完全に抜け出していた河端選手との差は詰まりません。そこを外から阿竹選手がいい脚で伸びてきますが、こちらも先頭には届きそうにない。河端選手がセイフティリードを守りきって、1着でゴールラインを通過。うれしいGIII初優勝を飾りました。
2着は河端選手マークの阿竹選手で、3着に北日本ライン3番手から伸びた新山選手。優勝した河端選手は、初手で中団を取って以降、脚を温存したままそのポジションをキープできたのが大きかったですね。とはいえ、あそこからの仕掛けで前を一気に捲りきっての完勝は、非常に強い内容ですよ。調子が戻ってきたところに展開も向いて、しっかりチャンスをモノにしたという印象です。
いい結果こそ出せませんでしたが、地元の北日本ラインも、「ラインの誰かが勝つための競輪」がしっかりできていた。前受けして、吉田選手がきたら全力で突っ張るというプランを完遂した結果で、実際に関東ラインを封殺しているんですから、悔いのないレースができたのではないでしょうか。車券を買って応援してくれたファンも、この内容ならば納得ですよ。
それとは対照的に、まったく存在感を発揮できなかったのが関東ライン。最後になんとか差を詰めた山岸選手が、4着に入るのが精一杯という結果に終わりました。これも結果論ではあるんですが、吉田選手は赤板での攻防で引かずに、かなり激しい主導権争いになったとしても、嵯峨選手を叩きにいくべきだったでしょう。というのも、あそこで引いてしまったことは、今後にもマイナスに働くんですよ。
このレースを見た他の選手は、「吉田有希はあそこで簡単に引く選手なんだ」と記憶する。しかし、あそこで何が何でも主導権を奪いにいくようなレースをしていた場合、その逆の印象を他の選手に植え付けることができますよね。「アイツは引かない」というイメージを持たせたほうが、今後のことを考えれば絶対にいい。そういう観点からも、赤板の攻防で簡単に引いたのは失策なんです。
無理やり主導権を奪うような競輪をすると、このレースでの自分の優勝はなくなるかもしれない。それでも、そのほうが「ラインの誰かが優勝する」可能性は上げられたと思いますよ。それに、4車という“数”の有利さも生かせない。今回の走りでは、応援してくれたファンにも納得してもらえません。
それに吉田選手って現状では、勝ち上がりの過程で後続の選手が千切れていないように、ダッシュがいい選手ではないんですよ。長くもがき合える持久力には秀でていますが、一気に加速する能力については、もっと磨き上げていく必要がある。それが、現状における「決勝戦での勝負弱さ」にもつながっている印象です。
吉田選手の素質の高さは誰もが認めるところで、それが故にレースでは今回のように、徹底的にマークされる。強い選手であれば当然のことで、それは今後も続くでしょう。でも、それを乗り越えられる本当の強さを身につけなければ、記念や特別では優勝争いに持ち込めません。この段階をどう乗り越えるかで、彼の今後が決まってくるといっても過言ではありません。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。