2022/04/27 (水) 18:00 26
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが武雄競輪場で開催されたGIII「大楠賞争奪戦」を振り返ります。
2022年4月26日(火) 武雄12R 開設72周年記念 大楠賞争奪戦(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①佐藤慎太郎(78期=福島・45歳)
②稲川翔(90期=大阪・37歳)
③平原康多(87期=埼玉・39歳)
④村上義弘(73期=京都・47歳)
⑤木暮安由(92期=群馬・37歳)
⑥櫻井正孝(100期=宮城・34歳)
⑦諸橋愛(79期=新潟・44歳)
⑧大坪功一(81期=福岡・45歳)
【初手・並び】
←②④(近畿) ⑥①(北日本) ⑧(単騎) ⑨③⑦⑤(関東)
【結果】
1着 ③平原康多
2着 ⑤木暮安由
3着 ②稲川翔
4月26日には武雄競輪場で、大楠賞争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。S級S班が5名も出場していたように、出場メンバーのレベルはかなり高かったですね。これらを迎え撃った、地元の雄である荒井崇博選手(82期=佐賀・44歳)や山田庸平選手(94期=佐賀・34歳)にとっても、かなり力の入るシリーズだったでしょう。
しかし、前述の地元2名は残念ながら決勝戦には勝ち上がれず、S級S班は松浦悠士選手(98期=広島・31歳)が準決勝で敗退するという波乱の様相に。松浦選手が記念で決勝戦まで進めなかったのは、久々のことですよ。そして守澤太志選手(96期=秋田・36歳)は、準決勝で落車棄権。ようやく調子が戻ってきていたところだったので、本人としても悔しかったでしょうね。大きなダメージが残らなければいいんですが…。
大本命が敗れるシーンが多く、超高配当が何度も飛び出したこのシリーズ。決勝戦にもっとも多く駒を進めたのは関東勢で、初日特選とまったく同じ4名が、同じ並びで挑みます。先頭は吉田拓矢選手(107期=茨城・26歳)で、番手が平原康多選手(87期=埼玉・39歳)。3番手を諸橋愛選手(79期=新潟・44歳)、4番手を木暮安由選手(92期=群馬・37歳)が固めるという、強力ラインナップです。
近畿ラインは、動きのよさが目立っている稲川翔選手(90期=大阪・37歳)が「前」で、その後ろに村上義弘選手(73期=京都・47歳)という組み合わせ。そして北日本は、櫻井正孝選手(100期=宮城・34歳)が先頭で、番手が佐藤慎太郎選手(78期=福島・45歳)です。佐藤選手は平塚記念(GIII)のときと同様、かなり調子がよさそうでしたね。そして、大坪功一選手(81期=福岡・45歳)は単騎を選択しました。
ご覧のとおり、ここは事実上の「先行1車」で、吉田選手が主導権を奪う展開が濃厚。「先行1車は黙って買え」は、この世界に古くからある格言のひとつです。しかも、それが質・量ともに他を上回っている関東ラインなんですから、好勝負になって当然。吉田選手や、その番手を走る平原選手に「勝ってください」と言わんばかりのメンバーになったといえるでしょう。
もちろん、近畿ラインや北日本ラインも黙ってはおらず、対抗すべくアレコレと画策するわけですが…それでも、関東の圧倒的有利は揺るがない。おそらく車券を買っていたファンの方々も、「ここは関東でまず大丈夫」という見立てだったんじゃないでしょうか。課題といえば、近畿や北日本が関東ラインを捌く競輪を仕掛けてきた場合にどうするか…という程度で、それは関東勢もわかっているので備えられますからね。
では、レース回顧に入っていきます。スタートが切られて、最初に飛び出していったのは佐藤選手。そのままスタートを取るかと思われましたが、その後に稲川選手が前を主張して、近畿ラインが「前受け」となりました。北日本ラインは3番手からとなって、その後ろの5番手に単騎の大坪選手。そして関東ライン先頭の吉田選手は6番手からというのが、初手の並びです。
さてここからどうなるか…と固唾を呑む時間が過ぎていきますが、積極的に主導権を取る競輪を仕掛けてくると思われた吉田選手が、動きません。そのままの隊列で赤板(残り2周)を通過して、2コーナーを回ってもまだ動かない。結局、まったく動きがないままで、レースは打鐘を迎えます。吉田選手がここまで動かないというのは、ファンはもちろん、選手にとってもかなり意外だったと思います。
打鐘後、最初に動いたのは3番手にいた櫻井選手。吉田選手が動くのをこのまま待っていたのでは、最後方からになってしまいますからね。当然の判断で、先頭誘導員が離れたタイミングでダッシュして、一気に先頭をうかがいます。しかし、先頭の稲川選手はこの仕掛けに合わせて前へと踏んで、先頭を主張。この両者が主導権を争うカタチで、最終ホームを通過します。
つまり結果的には、主導権を取りにいかないと思われた近畿と北日本が、前でやり合うカタチになったわけです。こうなると展開的には、後方で脚を温存したままの吉田選手が有利に。これを勝機とみた吉田選手が、最終ホームでようやく動き出して、6番手から前を捲りにいきました。
前の争いは最終1コーナー過ぎで決着して、稲川選手が主導権を握る展開に。それを察知した佐藤選手は、瞬時に切り替えて近畿ラインの後ろにつけます。佐藤選手をマークしていた単騎の大坪選手も、その後ろに。そこに外から、捲ってくる関東ラインが迫ります。展開的には吉田選手のひと捲りで早々と決着……というケースも考えられたんですが、先頭を走る稲川選手のかかりがよく、意外なほどに差が詰まりません。
吉田選手は最終バックで佐藤選手に並びかけ、そこから村上選手に迫るところまでいきますが、そこで力尽きて捲りは不発に。それを察した平原選手は、3コーナーで外に出して自力で捲りにいきます。先頭では稲川選手が踏ん張り通していますが、直線の入り口では一気に差が詰まって、番手を走る村上選手や、その後ろからのイン突きを狙う佐藤選手が前を射程圏に。大混戦の様相で、武雄の長い直線に入りました。
逃げ粘る稲川選手に、番手から差しにいく村上選手。そしてインからコースをこじ開けての突き抜けをはかる佐藤選手の熾烈なバトルとなりますが、ゴールの直前に佐藤選手が車輪を滑らせて落車。そのあおりを受けて、村上選手と諸橋選手、大坪選手も落車してしまいます。先頭でゴールを駆け抜けたのは、外を回っていたことでアクシデントを避けられた平原選手でした。
2着に、同じく外を回っていた関東ライン4番手の木暮選手。3着には、果敢な走りでこのレースを主導した稲川選手が残りました。とはいえ、あの落車がなかったら、結果はガラッと変わっていたでしょうね。タラレバになるのは承知の上ですが、佐藤選手がインから突き抜けていたケースが十分に考えられると思います。優勝者インタビューで平原選手自身も語っていましたが、間に合っていなかった可能性が高いでしょうね。
雨で滑りやすいバンクコンディションだったのは事実で、いわゆる「負け戦」ならば落車しないように慎重な走りをする場合もありますが、記念の決勝戦でそんなことを気にする競輪選手はいません。今回の佐藤選手の場合、優勝に手がかかるところまできていたわけですから、なおさらですよ。落車は残念ですが、あれは勝負にいった結果。いわば、仕方のない落車といえます。
拍手を贈りたいのは、稲川選手の走り。本来は自力型ではない稲川選手が主導権を奪い、櫻井選手の仕掛けを合わして、さらに吉田選手の仕掛けにも合わせて封殺したんですから、本当に強い内容ですよ。さすがに最後は余力がなく、佐藤選手の落車がなかったら3着には粘れていなかったでしょうが、本当にいい競輪をしていた。番手の村上選手には迷惑をかけられない…という気持ちが前面に出た、力強い走りをみせてくれました。
それとは対照的に、「ラインのために走ろう」という気持ちが空回りしていたのが、今回の吉田選手でしょうね。ラインの誰かが勝つことを優先して考えるあまり、思い切りのよさが欠如した走りになってしまった。自力選手は、自分が好勝負できる走りをすれば、それが結果的に後ろを走る選手のチャンスにもつながる。そう考えていたならば、あんな消極的なレースにはなっていないですよ。
今日のメンバーであの初手の並びになったのであれば、素直に前を抑えにいって、そこからの組み立てで主導権を奪いにいけばいい。4車で、自分の後ろを強い選手が固めてくれているという“利”を最大限に活かして、もっと自分が勝つことを優先して考えればいいんです。ラインの仲間のことを考えるのも大事ですが、優先順位を見誤ってはダメですよ。繰り返しになりますが、まずは自分が勝つ競輪をすることが、ライン全体のチャンスにつながるという「順番」なんです。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。