2022/03/16 (水) 18:00 15
大垣競輪場で行われたGIII水都大垣杯を優勝! 同記念の連覇を達成しました。完全優勝だったものの、実は開催前の練習で太ももを痛めてしまい、不安を抱えての参加だったと振り返ります。
今回はこの4日間の振り返りと、次走への意気込みをお届けします。
netkeirinをご覧の皆さんこんにちは。平原康多です。
13日に終わったGIII大垣記念では優勝することができました。今回はその大垣記念を振り返りながら、18日から始まるGIIウィナーズカップについて書いていきます。
大垣記念の初日特選は、同県の森田優弥君と2車でしたが、森田君が頑張ってくれました。自分の後ろは山口拳矢君(岐阜)だったので、森田君との車間を空けながら、山口君を牽制するのは難しかったですね。
2次予選は黒沢征治君(埼玉)を目標。ここも彼が思いきり良く先行してくれました。ただ、黒沢君が3着に残れなかったのは残念ですが、自分は自分の役割をしっかりできたと思っています。
準決は特選と同じく森田君と連係。打鐘過ぎの4コーナーで落車がありました。自分は運良く避けることができホッとしたんですが、そこからお尻の座りが悪くなったというか、サドルとズレてしまいました。ペダルを回しているんですが、このズレによってうまく体と連動できなくなってしまいました。追走していてもいつもと違うんです。アクシデントがあった後、体を立て直すことができませんでしたね。アクシデントに見舞われた時の対応力がうまくできなかった。今後の課題です。
決勝は車番が外枠で良くなかったので、周回は前の方から攻めて最終的に先行をするという作戦も、石川裕二君(茨城)と組んでいました。そういう気持ちでいたので、最終的に4番手という位置が取れたのかもしれません。結果、2コーナーからまくり、番手から発進した菊地圭尚さん(北海道)との力勝負になりました。正直、「ヤバイ」って感じでしたが最終的に踏み勝てて良かったです。
優勝することはできましたが、実は開催前の練習で左足の太ももを痛めてしまいました。全日本選抜終了後も練習は順調でした。突き詰めたいところがあったし、大垣記念が終わって中3日でウイナーズカップがありますから、大垣記念の前に追い込んだ練習をしたんです。そこで左足を痛め、不安を持っての参加でしたし、開催中も不安はありました。
今も患部は完治していませんが、日に日に良くなっています。ウィナーズカップに向け、もちろん練習は怠りませんが、疲労感を残さないように、最低限のラインでしています。今年2回目のビッグレースですし、今できることをして臨んできます。
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。