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村上義弘 全ては競輪から教わった

【村上義弘の挑戦】現役で戦い続けるために「変えるもの」と「変えないもの」

2022/01/31 (月) 18:00 23

28年目を迎えた選手生活。今回は自分の中で「変わっていくもの」と「変わらないもの」についてまとめてみたいと思う(撮影:桂伸也)

 今年も日本の競輪界の新しいシーズンがスタートした。

 1994年4月にデビューしてから、早いものでもうじき28年。4度目の年男を迎えた2022年、一競輪選手として、どのように戦っていけばいいのか? 時代の変化に対応するためには何を変えていくべきか? それでも、自分の信念として絶対に変えてはいけないものは何か?

 ベテラン選手になってもなお、いろいろと思うところがあるが、今年最初のコラムは、そうした「変化と不変」をテーマの軸にして、2回に分けて取り上げるつもりだ。まず今回は「変化」について書いてみたい。

 以前このコラムでも書いたが、昨年9月の平安賞(GIII)をきっかけに、「もっと強くなるために、デビューから培ってきたものをすべて捨て、また一からやり直そう」と誓い、まだ暗中模索ながら、練習や自転車のセッティングなどを変えてきた。

 平安賞は、我がホームバンク・向日町競輪場で年に1度開催される記念競輪。思い入れはかなり強いのだが、大前提にしていた決勝進出はならなかった。さらに、1日目から3日目の準決勝まで、東京五輪から帰ってきた脇本雄太(94期・福井)とラインを組んだところ、その進化を目の当たりにするとともに、スピードに付いていけない自分自身の弱さを思い知らされた。

「脇本に対抗するには、今の自分ではどうしようもない。今までやってきたことは、もはや通用しないのか…」

 しばらくの間、ショックを引きずることになったが、まだまだ現役で戦い続けていくためにも、競輪選手として変えるべきことは変えていくしかない。

 そこで、平安賞以降は、ハイスピードで長く駆け抜けるパワーが要求される現代のパワー競輪に対応するために、それまではあまり意識していなかった練習方法を取り入れているというわけだ。今の時代は練習もいろいろと研究されて、より合理的にパワーアップできる方法が増えてきている。たとえば、ナショナルチームの練習方法を参考にした「大ギアトレーニング」がそうだ。

 自転車に乗るにしても、自分が若い頃は、人よりも少しでも多く、少しでも長くペダルを回すことが強くなるための近道を言われていたのに対して、これは、大きなギアから一気に立ち上げて、トップスピードを維持するというもの。強度が高く、身体にかなりの負荷がかかるため長時間はできないが、まさに「量より質」を重視した練習といえるだろう。

時代に合った練習を今の自分に最適な形で落とし込む(撮影:桂伸也)

 しかし、昨年12月はそうした練習がほとんどできなかった。11月の競輪祭の4日目に落車し、膝の側副靭帯を損傷してしまったからだ。そのうえ、「走りながら治そう」という意識から、5日目と最終日にも出走し、それほど間隔を空けずに練習の強度を高めたのがよくなかったのか、膝が腫れて動かなくなったり、痛みが増したりするなど、怪我を長引かせることになった。

 そのとき痛感したのが、これまでとくらべると、明らかに回復力が落ちているということ。自分としては「もう大丈夫だろう」と判断して、強度の高い練習を再開したものの、時期尚早だったというわけだ。こうした点も、今回の経験を踏まえ、意識的に変えていくべきことであるのは間違いない。

小倉競輪祭は落車した翌日以降も走ったが…(撮影:島尻譲)

 その結果、12月はレースを欠場せざるを得なくなったため、1年の締めくくりができず、モヤモヤした気持ちを抱えながら、年を越すことになった。そうした状態が続くと精神的にストレスが溜まりやすくなるものだが、自分なりの乗り越え方がある。それは、先を見据えて決めたことを日々淡々とこなしていくということだ。

 今回で言えば、再び強度の高い練習ができる日までの準備として、あまり負荷をかけないようにしながら、自転車に長時間乗ったり、上半身のウェイトトレーニングをしたり…。その日その日に何かを考えたり、思い悩むのではなく、とにかくやるべきことをやり続けることによって、苦境を乗り越えていく。

 これもまた、長い競輪人生において、怪我やスランプなどを経験する中で、考え方や対応の仕方を何度も変えてきたからこそ、たどり着いた方法だろう。

 この数年、年齢を重ねれば重ねるほど、競輪選手として未知の世界にいるような感覚を抱いている。もちろんその先には神山雄一郎選手(61期・栃木)という大先輩もいるが、これまで進んできた道とはまるで違う、道なき道を手探りで進んでいる。

 その過程で、今はコンディションにしても成績にしても、立ち止まっている状態に等しい。それでも、我慢の時期だと捉えて踏ん張っていけば、どこかで流れがいい方向に変わると信じているし、より強い選手に変わっていけるというイメージは持っている。

 今後の最大目標は、競輪選手にとってステイタスが高いGIである、5月の日本選手権競輪。そこを心身ともにピークに持っていけるように、練習やレースなどを通して、しっかりと組み立てていきたいと思う。

 次回は「不変」をテーマに、近畿の後輩・古性優作(100期・大阪)のKEIRINグランプリ制覇に対する思いや、1月の名古屋で近畿以外の選手、山口拳矢(117期・岐阜)をマークしたエピソードも交えながら書いてみる予定だ。

(取材・構成:渡邉和彦)

※次回公開は2月15日(火)の予定です。

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村上義弘 全ては競輪から教わった

村上義弘

Yoshihiro Murakami

1974年京都府生まれ、花園高出身。日本競輪学校73期卒。代名詞は「先行日本一」「魂の走り」。KEIRINグランプリ2勝、日本選手権競輪4勝を含む特別競輪13勝。実績だけでなく競輪に向き合う姿勢や常に全力を尽くすレーススタイルは、選手・ファンから絶大の信頼を得ている。ファンの存在を大切にし続ける競輪界のレジェンド。

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