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村上義弘 全ては競輪から教わった

【村上義弘コラム最終回】人として競輪選手として自分が大事にしていること

2022/04/30 (土) 18:00 67

村上義弘選手の連載コラムは今回で最終回を迎えます。決して体格に恵まれているとは言えない村上選手が、なぜ数々のビッグタイトルを手にし、競輪史に名を残す存在になったのか、そして、ファンや仲間からこれほど信頼される理由は何かを、その生き様から浮かび上がらせます。

連載コラムも今回で最終回、自分が何を大事にして生きてきたかを語っていきたい(撮影:桂伸也)

プロとして大切にしている軸と尊敬する2人の先輩

 前回は「村上義弘という生き方」をテーマに、競輪選手として、そして人として、どのように考え、どのように生きてきたのかということについて触れた。最終回となる今回も引き続き、自分のさまざまな思いや経験などを綴ってみたい。

 28年を超える競輪人生を振り返ると、これまで数え切れないほどの素晴らしい出会いがあった。もちろんそれらに優劣をつけることなどできないものの、花園高校自転車競技部の3年生のときに15歳上の松本整さん(45期)と出会い、同じ京都に所属する競輪選手として交流を持てたことは幸運としか言いようがない。

 自分のやるべきことはすべて自分で決めたかったので、競輪界に正式な師匠を持ったことはないが、すぐそばにいる松本さんのことは、いつも“心の師匠”としてお手本にしていた。有益なアドバイスをもらうことも多く、中でも「最も重要なのは、24時間、競輪のことを考え、レースでは、車券を握りしめて応援してくれるファンのことをどれだけ大切に思えるかどうか」という言葉は、プロフェッショナルとして生きていくうえで揺るぎない軸になっている。

 松本さんは、2004年に45歳で現役を引退するまでトップ選手であり続け、同年に達成したGI最年長優勝記録はいまだに破られていない。まさに、40代でも競輪界の第一線で活躍できるという道を切り拓いた人であり、たえず間近で見てきたからこそ、「40歳を超えてからは、あんなトレーニングをしていたな。レースではこんなふうに戦っていたな」というように、当時の松本さんの姿を思い出し、参考にすることもできる。それが、47歳になった今もなお、自分が何とか頑張ることができる要因にもなっている。

 業界は違うが、プロフェッショナルという点で、松本さんと共通しているのが騎手の武豊さんだ。豊さんもまた、競馬やファン、競馬界全体のことを考え続けるだけではなく、実際に新しい道を切り拓き、日本の競馬の発展に貢献してきた第一人者なので、心から尊敬している。

 そのことを強く感じるようになったのは20年くらい前。豊さんと朝まで一緒に飲む機会があったのだが、話してくれた内容のほとんどが競馬のことだった。すでに国民的スターだったのにも関わらず、決して驕ることなく、競馬界の現状や未来などについて広い視野で見続けている姿を目の当たりにし、ホッとしたことを覚えている。

 というのも、当時の自分は、周囲から「競輪のことばかり考えすぎだ」と言われることが多かったからだ。しかし、「松本さんもそうだけど、やはりトップにいる人たちはずっと考えているんだな。絶対に誰かに任せない」と理解した瞬間、「じゃあ、俺もこのままでいよう」と思えることができたのである。

ファンを、仲間を、人を裏切らない

 そのうえで、長い間大事にしてきたことを挙げるとしたら、人を裏切らないということだ。日常生活ではもちろん、競輪選手としても、近畿の仲間や関係者、そしてファンを裏切ってはいけないと思っている。そうすれば信頼してもらえるようになるし、信頼されればされるほど、ますます裏切りたくなくなる。

 思えば、仲間にはずいぶん恵まれてきた。今の近畿も、みな信頼できる選手ばかりだし、おそらく自分のことも信頼してくれているのではないだろうか。まあ、口が悪いので、「あのオッサン、うっとおしいな」と思われているかもしれないが、それでも「あのオッサンがいてくれる」と受け入れてもらえているとしたら、裏切りたくないという気持ちを抱き続けてきたからに違いない。

口が悪いのでうっとおしいと思われているかも(苦笑)(撮影:桂伸也)

 レースで仲間を裏切らないということはつまり、常に、ラインで任されたポジションでベストを尽くすということだ。それはビッグレースであろうとなかろうと変わらない。自分としては、毎回、「これが最後のレースになるかもしれない」という緊張感を持って臨んでいる。レースでの緊張感は、どれだけ経験を積んでも、必ず自分の中に生まれてくるものだ。ただ、もしも完全にリラックスすることを意識するあまり、集中力の欠如や油断につながるぐらいなら、まだ緊張していた方がいいと思う。

 その際、緊張しすぎてもよくないし、あまり緊張しないのもよくない。20代前半までは、そのバランスをうまく取れなかったことも災いし、なかなか結果を残すことができず、特に注目されることのない普通のS1選手に過ぎなかった。

 それでも、競輪選手として日本で一番練習していると自負していたし、自分にとって最も適した緊張状態をキープできるようになれば、心身すべてが噛み合い、大爆発するという予感もあった。

 それを現実のものにしたレースが2000年のふるさとダービー。25歳のときに初めて特別競輪で優勝したことを境に、それまでが嘘のように勝ち星を重ね、半年後には、マスコミやファンから「先行日本一」と呼ばれるまでになった。競輪選手は、タイトルを獲ることによって自信や責任感が生まれ、さらなる成長を遂げることができる。たとえば近畿の古性優作(100期・大阪)も、昨年のKERINグランプリで初出場・初制覇を達成してから、レースを見ていても、全身から滲み出る闘志やオーラが増し、それまで以上に頼もしさを感じられるようになった。

 自分も過去にKERINグランプリ2勝、GI6勝を記録しているが、競輪界においてステイタスが最も高いGIである日本選手権競輪で4度の優勝を果たせたことは、選手としても人としても、大きな成長につながったことは間違いないだろう。

大目標の日本選手権競輪、脇本や古性と組んだ時に動けるように

 そんな日本選手権競輪が、今年も5月3日から8日までの6日間、いわき平競輪場で開催される。昨年11月の競輪祭で落車してからというもの、体調面が優れず、あちこちに痛みを抱えながら、ギリギリの調整を続けてきているが、それでも、コンディションは確実に上向いているし、日本選手権競輪に照準を合わせ、心身ともピークに持っていくことは毎年自らに課しているノルマ。競輪界を牽引する脇本雄太(94期・福井)や成長著しい古性など、近畿の選手たちとラインを組んだとき、任されたポジションで力を十分に発揮できるように、しっかりと身体を作ってきたつもりだ。

先週行われた武雄記念では準決勝1着で決勝進出を決めた(橙・7番)(撮影:島尻譲)

 そして、競輪選手である以上、日本選手権競輪にとどまらず、再びタイトル戦線に戻って活躍すること。それが、自分にとっての今後の目標だ。決して不可能なことではないはずだし、少しでもチャンスがある限り、いつまでも「魂の走り」で勝負していきたいと考えている。

 というわけで、この連載コラムは終了するが、毎回、自分の過去を振り返る機会を得たおかげで、競輪に対する新たなモチベーションになることもあったし、自分がいろいろな人たちに支えられてきたということを再確認することもできた。もちろん、数多くのユーザーのみなさんに読んでいただき、好評を得られたことも、競輪選手として大きな励みになっただけに、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。

これからもファンのため仲間のために力を尽くして走りたい(撮影:桂伸也)

(取材・構成:渡邉和彦)

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村上義弘 全ては競輪から教わった

村上義弘

Yoshihiro Murakami

1974年京都府生まれ、花園高出身。日本競輪学校73期卒。代名詞は「先行日本一」「魂の走り」。KEIRINグランプリ2勝、日本選手権競輪4勝を含む特別競輪13勝。実績だけでなく競輪に向き合う姿勢や常に全力を尽くすレーススタイルは、選手・ファンから絶大の信頼を得ている。ファンの存在を大切にし続ける競輪界のレジェンド。

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