2021/12/10 (金) 18:00 19
30歳の時に負った大きな怪我、抗いきれない加齢の影響。それでもベストコンディションでレースに臨むため、試行錯誤しながら最善の準備を尽くしてきた村上選手。KEIRINグランプリを2度制覇した村上選手でも気持ちが折れそうになった時があると言います。今回は30歳以降の「準備」について語ります。
さまざまな練習や心身のケアなど、レースに臨むうえで、日頃から入念な準備をすることは必要不可欠だ。自分の場合、その取り組み方は、20代と30歳以降とではずいぶん違うが、前者について触れた前回に引き続き、今回も、準備をテーマにして、後者に関することを書いてみたいと思う。
2002年に初めてGIタイトル(全日本選抜競輪)を獲得し、翌年にもオールスター競輪を制するなど、上り調子で実力をつけてきた20代後半を経て、迎えた2004年11月。30歳のときに、大垣競輪場で開催された全日本選抜競輪の2日目に落車し、左脚の付け根の腱を切るという大きな怪我を負ってしまった。
それ以降、負傷した部分の周辺の筋肉を強化するリハビリなどを行いながら、レースに出走していたが、自分が思っているようなパフォーマンスからは程遠かった。それまでが嘘のように、結果を残せず、スランプに陥ってしまった時期でもある。
その頃から、準備に対する取り組み方もいろいろと変わってきた。怪我の影響はもちろん、年を追うごとに、疲労回復の力が落ちてきたからだ。たとえば、ハードな練習を連続してこなす場合、20代のときは、約1ヵ月のスパンで考えていた。その内訳は、練習のテーマをダッシュ、スピード、パワー、持久力に分け、それぞれ1週間ずつ徹底的に取り組むといった感じだ。しかし、30代は2週間、40代は数日間というように、スパンも短くなり、47歳になった現在では、主にダッシュ、スピード、パワー、持久力の練習を日替わりで行っている。同じ練習を何日か続けると、身体の特定の部分に疲れが溜まりすぎて、翌日の練習に悪影響を及ぼしてしまうためだ。
コンディション次第で内容を変更することもあるが、基本的に、午前中は、先導するオートバイの真後ろに付けて走るスピード強化練習を行い、午後から、そうした日替わりの練習に取り組んでいる。だいたい向日町競輪場に朝一番に入り、暗くなるまでいることが多いだろうか。
ホームバンク・京都向日町競輪場での練習。スピード強化のため先導のバイクを70キロ以上のスピードで追う(撮影:桂伸也)
ハードな数日間の翌日以降は、練習をしながら身体の疲労を回復させるようなメニューを採り入れている。たとえば、競輪場ではなく、ロードでじっくりと時間をかけて自転車に乗ったりするのだが、レースの翌日も、よく同じことをしている。そして、次のレースに向けて、前検日の前日まで練習をこなすことが長年の習慣になっている。
前日を完全オフにする選手もいるが、自分の場合、競輪選手を目指した中学時代から、毎日乗り続けてきたため、どうしても乗らない不安の方が大きく、ストレスにもなる。前日なので気休め程度とはいえ、自転車には必ずまたがっている。
また、練習のメニューを組み立てるとき、常に頭の中に入れておかないといけないことがある。それはパワー競輪への対応だ。近年の競輪界では、何度かのルール改正を経て、パワー競輪が主流になっている。落車事故の減少を目的とした事故点制度、ラインの番手の選手の動きに関する制限、スタート後の牽制を抑えるために誘導ペースを速くしたことなどによって、横の動きでなかなか勝負できなくなったうえ、ハイスピードで長く駆け抜けるパワーが何よりも求められるようになった。
それに対して、自分が得意としてきたのは、スタミナを活かした競輪である。競り合う相手のパワーやスピードが自分より優れていたとしても、レース中の駆け引きでスタミナを消耗させ、残り1周を、パワーやスピードの勝負に持ち込ませないというものだ。
しかし、そのセールスポイントだけでは、もはや通用しなくなってしまった。だからこそ、パワー競輪への対応が鍵になるわけだが、そこにこだわりすぎるばかりにセールスポイント自体を失うことは、長年の支えを失うことでもある。そのバランスを取りながら、自分のレベルを上げていくためには、どうすればいいのかーー。これが、今の自分にとっての大きな課題だ。
言うまでもなく、日々の練習の中で、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。特に30代以降は、怪我に悩まされたり、調子が上がらないことが多いため、ときには、身体が自転車を拒否するようなことさえあるほどだ。
競輪選手にとって、これほどしんどいことはないが、それでも、準備を続けていくモチベーションになっているのが、やはりファンの存在だ。競輪は多くのファンに応援してもらっているからこそ成り立っているだけに、レースで少しでも期待に応えられるように、いつも自分を奮い立たせるようにしている。こうした気持ちのコントロールは、若い頃にくらべると、だいぶうまくなったと思う。1日を通して、意識せずに、集中する時間と心を無にする時間を作り、使い分けられるようにもなった。
そうした中、気持ちをリセットすることの大切さを感じたのは、32歳のときだ。先述した通り、まだスランプに陥っていた時期に、家族で国内を旅行したことがある。そのとき、妻と子どもたち3人は自動車で、自分は自転車で、事前に決めた集合場所に向かった。そこで家族と一緒に写真を撮ったのだが、後日、その写真を見たとき、「あっ、俺にはこういう時間が必要なのかもしれないな」と思ったものだ。
というのも、それ以前は競輪のことばかり考えていて、家族のことを振り返る時間があまりなかったし、家族5人の表情がすごく自然で、なんだか心を落ち着かせてくれたからだ。自分にとって、その写真はいつしか大事なものになり、何かに行き詰まったときには見るようにしている。
ただ、今もなお、レースが近づくと、どうしても精神的にピリピリしてしまうのも事実だ。そのため、おそらく家族に迷惑をかけていることも多いだろうが、こればかりは勘弁してもらうしかない。レースに対するそうした気持ちがある限り、競輪選手として、常に入念な準備を心掛け、まだまだ戦っていくつもりだ。
(取材・構成:渡邉和彦)
村上義弘
Yoshihiro Murakami
1974年京都府生まれ、花園高出身。日本競輪学校73期卒。代名詞は「先行日本一」「魂の走り」。KEIRINグランプリ2勝、日本選手権競輪4勝を含む特別競輪13勝。実績だけでなく競輪に向き合う姿勢や常に全力を尽くすレーススタイルは、選手・ファンから絶大の信頼を得ている。ファンの存在を大切にし続ける競輪界のレジェンド。