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山田裕仁のスゴいレース回顧

【金亀杯争覇戦 回顧】7対2の戦いに敗れた新田祐大

2021/12/06 (月) 18:00 25

現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが金亀杯争覇戦(GIII)を振り返ります。

みごと地元記念を制した橋本強(撮影:島尻譲)

2021年12月5日(日) 松山12R 開設72周年記念 金亀杯争覇戦(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①橋本強(89期=愛媛・36歳)
②新田祐大(90期=福島・35歳)
③山田庸平(94期=佐賀・34歳)
④渡部哲男(84期=愛媛・42歳)
⑤松谷秀幸(96期=神奈川・39歳)
⑥大森慶一(88期=北海道・40歳)
⑦香川雄介(76期=香川・47歳)
⑧松本貴治(111期=愛媛・27歳)
⑨稲垣裕之(86期=京都・44歳)

【初手・並び】
←②⑥(北日本)⑤(単騎)⑧①④(四国)③⑦(混成)⑨(単騎)

【結果】
1着 ①橋本強
2着 ②新田祐大
3着 ⑧松本貴治

注目は「力で圧倒」の新田選手

 時間の流れは早いもので、今年も残りわずか。年末のグランプリまで、あと1カ月を切りました。そんなタイミングで開催されたのが、松山競輪場の「記念」である金亀杯争覇戦(GIII)の決勝戦。グランプリ開催を控えているのもあって、手薄なメンバーとなりやすい時期なのですが、ここにはS級S班の新田祐大選手(90期=福島・35歳)が出場。そして無傷の3連勝で、当然のように決勝戦まで進出しました。

 来年はS級S班ではなくなるとはいえ、その能力の高さはここに入ると突出していますよね。勝ち上がりの過程でも、私からすると「なぜこんな動きをしたのかわかりかねる」ようなシーンが何度もありながら、結局は力で圧倒。デキのよさも、ここではかなり目立っていました。決勝戦では、断然の人気に推されています。

S級S班らしく新田祐大は無敗で勝ち上がってきた(撮影:島尻譲)

 新田選手の後ろは、二次予選や準決勝でも番手を回っていた大森慶一選手(88期=北海道・40歳)。その2日はしっかりと新田選手に続けていたので、ダッシュで離されなければここも上位争いが可能でしょう。その対抗馬となるのが、3名が勝ち上がった地元・愛媛の選手たち。その先頭を任されたのは、長期休養明けとなる松本貴治選手(111期=愛媛・27歳)でした。

 松本選手は、いわき平のオールスター競輪(GI)で誘導員の早期追い抜きで失格となり、その後もあっせん停止に。地元記念での復帰となっただけに、ここにかける想いはかなり強かったことでしょう。しっかり身体をつくってレースに臨んできた印象です。その番手を回るのは橋本強選手(89期=愛媛・36歳)で、3番手を固めるのが渡部哲男選手(84期=愛媛・42歳)。ここが主導権を取りにくる可能性は、かなり高いでしょう。

 四国からは香川雄介選手(76期=香川・47歳)も勝ち上がりましたが、こちらは山田庸平選手(94期=佐賀・34歳)の後ろを選択しました。そして、松谷秀幸選手(96期=神奈川・39歳)と稲垣裕之選手(86期=京都・44歳)が単騎での勝負。頭ひとつ抜けた存在である新田選手に、ほかのラインがどう対抗するのか。そこが、決勝戦の大きな見どころとなりました。

すぐさま敷かれた新田包囲網

 では、決勝戦の回顧に入ります。スタートが切られると、まずは新田選手と山田選手が並んで飛び出していきましたが、前の位置を取ったのは車番的に有利な新田選手のほう。北日本ラインが「前受け」で、他を迎え撃ちます。その後ろに単騎の松谷選手が入って、四国ラインは4番手から。そして7番手に山田選手、最後尾に稲垣選手というのが、初手の並びです。

 赤板(残り2周)の手前で、後方にいた山田選手が動き始めます。その後ろにいた単騎の稲垣選手も、一緒についていきましたね。先頭誘導員が離れたところで、ここが先頭に立ちました。その直後に四国ラインも、山田選手たちが横を通過すると同時に始動。こちらは新田選手の真横につけて、その動きを封じ込めにかかります。ここで、大森選手の後ろにいた松谷選手も、渡部選手の後ろにスイッチしました。

【打鐘前】

   ⑧①④ ⑤
←③⑦⑨ ②⑥

 ご覧の通り、見事な「新田包囲網」の完成です。前にも外にも進路はないので、新田選手はこの位置をキープするか、もっと下げるかしか選択肢はありません。しかも、この状態が長く続けば続くほど、仕掛けを遅らせることができる他のラインが有利に。ですので、打鐘を迎えてもまだペースは上がりません。四国ラインが主導権を取るべく動き始めたのは、打鐘後の2センターからでした。

 ここで、松谷選手が内を豪快にショートカットして、四国ラインの後ろのポジションを獲得。レース後に審議となりましたが、「内側追い抜き」の反則は取られず、セーフという判定でした。一気にレースが動き出し、四国ライン先頭の橋本選手は最終ホームから 全力でのスパートを開始。後方からのレースとなった新田選手は、6〜7番手の外で最終ホームを通過しています。

捲っていく新田(黒・2番)に対し、山田庸平(赤・3番)がブロック(撮影:島尻譲)

 ここから新田選手が猛然と巻き返しを図りますが、新田選手の後ろにいた大森選手は、急激なダッシュについていけずに離れてしまいます。2コーナーを抜けたあたりで、捲っていく新田選手を5番手にいた山田選手がブロック。これで、脚が少し鈍りましたね。そこから態勢を立て直してさらに追撃を開始しますが、そのポジションは最終バックでまだ中団。仕掛けるタイミングを遅くできた四国ラインには、まだ余力があります。

ハンドル投げ勝負を制したのは地元・橋本選手

 その後、新田選手は3コーナーで渡部選手に並びかけますが、今度は四国ライン番手の橋本選手が、進路を外に振ってブロック。松本選手が先頭をキープして、それに橋本選手や渡部選手、新田選手が続くカタチで、最後の直線に入ります。後方から勢いよく捲ってくる気配の選手は見当たらず、優勝争いはこの時点で、四国ラインの3車と新田選手に絞られたカタチですね。

 直線なかばまで松本選手が踏ん張りますが、その外から橋本選手がジリジリと伸びて、先頭に。そこに、橋本選手のブロックから立て直した新田選手が迫ります。最後はかなり際どい勝負となりましたが、ゴール前のハンドル投げ勝負で少しだけ前に出たのは、地元記念制覇にかける気持ちが強かった橋本選手のほう。キャリア18年目で念願の記念制覇を、しかも地元で決めています。

拳を上げて喜ぶ橋本(撮影:島尻譲)

 僅差の2着に新田選手で、3着に松本選手。“個”の力では圧倒していたはずの新田選手が、ライン戦という“集”の前に敗れた結果といえるでしょう。他のラインにとっては、新田選手が「後方に置かれるカタチ」をつくり出すことが、このレースで勝つための必要条件。それを成し遂げたことが、橋本選手の優勝につながりましたね。ちょっと露骨すぎるくらいでしたが、これも競輪です。

横綱なら対処すべき展開だった

 私個人としては、それでも新田選手に勝ってほしかった。S級S班という競輪界の“横綱”として、その力を誇示してほしかったという思いが強いです。出場するメンバーが発表されたときから、「ここは完全優勝がノルマ」くらいに考えていましたからね。包囲網が敷かれるのはレース前からわかっていたわけで、新田選手にとっては、それにどう対処するかが問われるレースでもあったわけです。

 初手で前受けするのはいいとして、どこかのラインが抑えにきた時点で、スパッとポジションを下げたほうがよかった。実際にやるかどうかはさておき、早めにカマシて主導権を奪う展開もあるぞ……と、前にプレッシャーをかけられますからね。それに、包囲されている状態が続けば続くほど不利になる。車券を買って応援してくれたファンのためにも、それを避ける手立てをもう少し考えてほしかったですね。

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山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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