2021/11/29 (月) 18:00 10
現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが飛龍賞争奪戦(GIII)を振り返ります。
2021年11月28日 武雄12R 飛龍賞争奪戦(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①荒井崇博(82期=佐賀・43歳)
②原田研太朗(98期=徳島・31歳)
③坂本貴史(94期=青森・32歳)
④松岡辰泰(117期=熊本・25歳)
⑤内藤宣彦(67期=秋田・50歳)
⑥五十嵐力(87期=神奈川・42歳)
⑦上田尭弥(113期=熊本・23歳)
【初手・並び】
←③⑤(北日本)①⑥(混成)⑦④⑧(九州)②⑨(四国)
【結果】
1着 ①荒井崇博
2着 ④松岡辰泰
3着 ⑥五十嵐力
11月28日には武雄競輪場で、飛龍賞争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。競輪祭に出場していた選手はここには出てきませんから、いわゆる「記念」ではありますが、かなり手薄なメンバー構成。いつも言っていることですが、こういった主力選手を欠くシリーズをGIIIとして扱うのは、いかがなものかと。記念の“格”を下げることになるだけだと思うんですけどねえ……。
武雄のバンクはみなし直線が64.4mと非常に長いので、積極的に主導権を握って逃げ切るようなレースはなかなか難しい。それもあってかシリーズを通して、自力選手の走りが少し消極的というか、ガンガンいくような感じではなく感じました。もしかすると、画面には映らないような風の影響があったのかもしれません。
決勝戦で注目を集めたのは、無傷の3連勝で勝ち上がってきた原田研太朗選手(98期=徳島・31歳)。その調子のよさはきわだっていましたね。後方から一気に捲るレースを得意とするので、みなし直線が長い武雄バンクとの相性もいい。その番手を走るのは高原仁志選手(85期=徳島・41歳)で、同県ですから結束も固い。あとは、原田選手がどういったレースの組み立てをするかでしょう。
結束の固さでいえば、「オール熊本」の九州ラインも負けてはいません。先頭を任されたのは上田尭弥選手(113期=熊本・23歳)で、その後ろに松岡辰泰選手(117期=熊本・25歳)。そして、3番手を松岡貴久選手(90期=熊本・37歳)が固めます。唯一の3車連係でもあり、このラインが主導権を奪う可能性がもっとも高いはず。積極的な仕掛けからの「2段駆け」も大アリで、優勝争いが大いに期待されます。
面白いのが、地元の荒井崇博選手(82期=佐賀・43歳)が先頭を走る、五十嵐力選手(87期=神奈川・42歳)との混成ライン。荒井選手は九州ラインの一員となるのではなく、別線での自力を選択しました。決勝戦までの勝ち上がりは「地元番組」による援護もあった印象でしたが、ここを目標にかなり身体を仕上げてきていたのも事実。上々のデキだったと思います。
そして最後に、坂本貴史選手(94期=青森・32歳)が先頭を、内藤宣彦選手(67期=秋田・50歳)がその番手を走る北日本ライン。坂本選手も機動力があるので、九州ラインではなく、こちらが主導権を握るケースもありそうですね。確たる中心を欠くメンバー構成で、しかも4分戦ですから、展開が大きなカギを握るのは間違いなし。どのラインにも勝機がある、混戦模様となりました。
スタートが切られると、まずは坂本選手が飛び出していって先頭に。北日本ラインの「前受け」となり、その直後に荒井選手がつけました。九州ラインは5番手からで、最後方に四国ラインというのが、初手の並び。先に結論から言ってしまえば、この「初手の並び」が勝敗を大きく分けたといえます。
赤板の手前から、最後方にいた原田選手が前へと進出を開始。先頭の坂本選手を「斬り」にいこうとしますが、先頭誘導員が外れたところで、引かずに突っ張る構えを見せます。それを察した原田選手は、再びポジションを下げて後方に。そこからしばらくは各ラインの様子見が続きますが、5番手につけていた上田選手が、打鐘前から一気にカマシて主導権を奪いにいきました。
先頭の坂本選手は素直に先頭を明け渡さず、「ある程度」は前に踏んで抵抗。外から迫る九州ラインの分断を狙っているのか……とも思わせましたが、そういった動きはなく、逆に九州ライン3番手の松岡貴久選手と絡んで内に押し込められながら、最終ホームに入ってきます。ここで九州ラインの3名が出切って、主導権を確保。荒井選手は差のない6番手、原田選手は大きく離れた8番手というポジションです。
そのまま綺麗な「一本棒」の態勢で、2コーナーを通過。坂本選手は、ここまでの流れでけっこう脚を使わされているのもあって、前を捲りにいけません。ここで満を持して動き出したのが荒井選手で、スピードに乗った捲りで最終バック手前から一気に差を詰めていき、3コーナーでは3番手の外まで進出。荒井選手の番手を回っていた五十嵐選手も、この捲りにしっかりついていきました。
そして、4コーナーから直線。松岡辰泰選手が番手捲りを放ちますが、それをも飲み込む勢いで荒井選手が肉迫。後方では、遅まきながら原田選手が差を詰めてきますが、前にはちょっと届きそうにありません。最後は、番手捲りからの抜け出しをはかる松岡辰泰選手と、追いすがる荒井選手のマッチレースに。ゴール前、少しだけ前に出ていたのは、外からジリジリと伸びた荒井選手のほうでした。
ゴールした瞬間、高らかに右手があがった荒井選手。これで通算5回目の地元記念制覇で、しかもこれを自力の競輪で成し遂げたのですから、価値があります。優勝者インタビューでは「勝てたのは自分のおかげでしょうね!」との荒井節も飛び出しましたが、実際その通りなのですから誰も何も言えません(笑)。レースの組み立てのうまさが、ここでは頭ひとつ抜けていた印象を受けましたね。
インタビューで荒井選手自身も勝因にあげていたのが「サラ脚で6番手」という条件をクリアできたこと。ちなみにサラ脚というのは、脚をほとんど使っていない状態のことです。初手で3番手を取って、その後もできるだけ自分の前に自転車を置いて空気抵抗を受けず、それでいて8番手ではなく6番手から捲る競輪ができたこと。前を捲りきれる能力やデキがあっての話ではありますが、これが彼に勝利をもたらした最大の要因ですよ。
惜しくも2着に終わったのが、九州ライン2番手の松岡辰泰選手。いい競輪はしていたが、荒井選手にあと一歩およびませんでしたね。結果論になりますが、上田選手を残そうという意識が強すぎたかもしれません。もう少し早く番手捲りを放っていれば、結果が変わっていた可能性はありますね。そして3着に、荒井選手マークの五十嵐選手。これはもう、「荒井選手のおかげ」でいいと思います。
人気を集めた原田選手は、後方から捲るも不発。初手で8番手ではなく、せめてもうひとつ前のポジションが取れていれば、話は変わったでしょうね。セオリー通りに前を斬りにいくも、突っ張られて再び8番手に戻っていくのでは、単なる脚の無駄使い。そうせざるをえなかったのも、初手でのポジション争いに敗れたからです。
坂本選手も、ちょっと中途半端な走りになってしまった感があります。原田選手が斬りにきたときに突っ張ったのはいいとして、その後に九州ラインが仕掛けてきたときには、スッと引いたほうがよかった。主導権を奪うつもりはなかったはずで、それならばそこで脚を使っても意味がありませんからね。あまり能力差がないメンバー構成において、無駄に脚を使わされるのは致命傷となります。
つまり戦略的には、最初から狙っていた通りの競輪が「サラ脚」でやれた荒井選手の完勝。それに、デキもよかったし地元開催ということで気持ちも入っていた。強い荒井選手の姿が見られて、私もうれしかったですよ。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。