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山田裕仁のスゴいレース回顧

【ウィンチケットミッドナイトG3 回顧】岩津裕介を襲った“不運”

2025/09/11 (木) 18:00 8

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが松阪競輪場で開催された「ウィンチケットミッドナイトG3」を振り返ります。

ウィンチケットミッドナイトG3を制した吉本卓仁(写真提供:チャリ・ロト)

2025年9月10日(水)松阪9R ウィンチケットミッドナイトG3(最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢

①岩津裕介(87期=岡山・43歳)
②小原太樹(95期=神奈川・37歳)
③香川雄介(76期=香川・51歳)
④永澤剛(91期=青森・40歳)
⑤吉本卓仁(89期=福岡・41歳)
⑥立部楓真(115期=佐賀・27歳)
⑦高原仁志(85期=徳島・44歳)

【初手・並び】

←⑥⑤①⑦(混成)②④③(混成)

【結果】

1着 ⑤吉本卓仁
2着 ③香川雄介
3着 ②小原太樹

GII直前ながら好メンバー揃う

 9月10日には三重県の松阪競輪場で、ウィンチケットミッドナイトG3の決勝戦が行われています。福井・共同通信社杯競輪(GII)の直前というタイミングではあるわけですが、なかなか面白いメンバーが揃いましたね。競走得点が最も高いのは、追加で出場の岩津裕介選手(87期=岡山・43歳)で、次点が小原太樹選手(95期=神奈川・37歳)。あとは当然、新田祐大選手(90期=福島・39歳)も注目でしょう。

左から、岩津裕介、小原太樹、新田祐大(写真提供:チャリ・ロト)

 東口善朋選手(85期=和歌山・46歳)や中釜章成選手(113期=大阪・28歳)、吉田有希選手(119期=茨城・24歳)あたりも差はなさそうで、いかにも上位拮抗の混戦模様。ミッドナイトなので9車ではなく7車となりますが、それでも車券を当てるのは一筋縄ではいきません。通常のミッドナイトと比べるとやはり波乱決着が多く、松阪バンクらしく捲りがよく決まっていた印象です。

7車立てながら混戦多発

 三分戦となった初日特選は、初手で中団を取った中釜選手が、打鐘から先行。中団で小原選手と小川真太郎選手(107期=徳島・33歳)が併走になるという展開的な有利さも手伝って、主導権を奪った中釜選手がいい粘りを発揮します。最後は番手の東口選手が差して、近畿勢のワンツー決着。3着には小原選手が入って、3連単は1番人気の1,990円という堅い決着となりました。

 しかし、この両者はいずれも翌日の準決勝で残念ながら敗退。初日は2着だった新田選手は本調子を欠いているようで、準決勝では先行するも粘りを欠いて4着に敗れました。新田選手は最終日の負け戦でも3着に敗れて、一度も勝てずにシリーズを終えています。優勝候補の一角でしたが、ここまでデキの悪い新田選手はちょっと記憶にないほどで、逆の意味で印象的でしたね…。

 吉田選手は初日1着で準決勝に臨み、打鐘からのスパートで主導権を奪ってラインでの上位独占を決めるも、自身は3着に終わって勝ち上がりを逃しています。有力候補だった機動型がまた一人姿を消して、初日特選に出走していたメンバーも、決勝戦まで駒を進められたのは3名だけ。それだけ7車ながら混戦が多かったシリーズで、連勝で決勝戦に進出した選手もいませんでした。

二分戦の決勝はともに混成ライン

 決勝戦は二分戦で、どちらも混成ラインに。「九州+中四国」の混成ラインは、立部楓真選手(115期=佐賀・27歳)が先頭を任されました。このシリーズでは数少ない、デキのよさが感じられた選手です。番手を回るのは吉本卓仁選手(89期=福岡・41歳)で、3番手が岩津選手。ライン最後尾を高原仁志選手(85期=徳島・44歳)が固めるという布陣で、主導権を奪うのはこちらのラインでしょう。

左から、立部楓真、吉本卓仁、高原仁志(写真提供:チャリ・ロト)

 もうひとつの混成ラインは、小原選手が先頭で、番手が永澤剛選手(91期=青森・40歳)。3番手を固めるのが、香川雄介選手(76期=香川・51歳)という並びです。立部選手にマイペースで逃げられると苦戦必至ですから、後ろ攻めからいったんは前を斬って、主導権を奪いに上がってきたところに飛びつく…といった立ち回りになりそうですね。自在型の小原選手らしい戦い方で、レースを盛り上げてほしいものです。

赤板で立部が小原を突っ張る

 それでは、決勝戦のレース回顧に入りましょう。レース開始を告げる号砲が鳴ると同時に、1番車の岩津選手と2番車の小原選手が飛び出していきます。いったんは小原選手が前に出ますが、内を回った岩津選手が追いつき、スタートを取ります。これで、立部選手が先頭のラインが前受けで、小原選手が先頭のラインが後ろ攻めということに。ここから、どのような展開となるのか注目ですね。

 後ろ攻めの小原選手は、青板(残り3周)周回のバックから動き始めました。ゆっくりと位置を上げて、立部選手の直後でその動向をうかがいます。そして赤板(残り2周)掲示の通過と同時に前を斬りにいきますが、立部選手は突っ張る構えをみせました。それをみた小原選手は無理に斬りにはいかず、ポジションを下げて元の位置に戻ります。立部選手がここで突っ張ったのは、正直なところ意外でしたね。

誘導が外れ、6番車(緑)の立部が突っ張る(写真提供:チャリ・ロト)

岩津のクリップバンドが外れ落車

 赤板後の1センターを回って、バックストレッチに進入。打鐘の手前で、後方の小原選手が再び動きます。レースが打鐘を迎えたところで、小原選手は吉本選手の外まで進出。一気にペースが上がりますが、ここでアクシデントが発生します。立部選手が先頭のライン3番手を追走していた岩津選手が、クリップバンドが外れたことでバランスを崩し落車。吉本選手と高原選手の間が、ガラッと空いてしまいます。

 ここで香川選手が瞬時に内を締めて、吉本選手の直後に入って、打鐘後の2センターを通過。大きく離れて最後方となった高原選手は、連係を回復できません。4車対3車だったものが「2車対3車」となって、戦局は一気に後者有利へと傾きます。ホームストレッチに帰ってきたところで、小原選手は内の吉本選手をキメて、ポジションを奪いにかかりました。激しく身体をぶつけ合いながら、最終ホームを通過します。

打鐘で小原(2番車・黒)が吉本(5番車・黄)の位置を狙う(写真提供:チャリ・ロト)

小原との激しい攻防しのいだ吉本

 しかし、吉本選手もここは絶対に譲れないところ。最終1センターで小原選手を内から押し返して、立部選手の番手を死守します。跳ね返された小原選手は苦しい態勢になりますが、吉本選手の直後につけていた永澤選手が前を少しあけて、そこに小原選手を迎え入れました。これは永澤選手、ナイスフォローですよ。ここで一列棒状となって、立部選手が先頭のままで最終バックを通過しました。

 番手の吉本選手は前との車間を少しきって、立部選手を差しにいく態勢を整えつつ、最終3コーナーを回って最終2センターへ。小原選手は吉本選手の直後を追走し、4番手の永澤選手は外に進路をとって、こちらも態勢を整えます。香川選手はその内を突いて、最後の直線に向きました。ここまで先頭で飛ばしてきた立部選手は、ここで脚をなくして一気に減速。吉本選手が先頭にかわります。

最終2センターで先頭の立部が失速(写真提供:チャリ・ロト)

 その外から小原選手がジリジリと迫りますが、一気に前を捉えられるほどの脚は残っていません。大外にいった永澤選手も同様で、前との差が詰まりそうで詰まりません。そこに内からいい脚で伸びてきたのが香川選手。吉本選手の直後からまっすぐ伸びて、最後は内に進路をとって前に迫りますが、こちらも残念ながら2着争いまで。直線の入り口で先頭に立った吉本選手が、そのまま先頭でゴールラインを駆け抜けました。

5番車(黄)の吉本卓仁が先頭でゴール(写真提供:チャリ・ロト)

 2着争いが3車並んでの大接戦となりましたが、最内を伸びた香川選手が2着で、3着が小原選手。そして4着が永澤選手という結果で、小原選手が先頭のラインは全員が上位に食い込むも、優勝は逃すという悔しい結果となりました。優勝した吉本選手は、これがうれしいGIII初制覇。立部選手に託されたバトンをつなぎ、展開をモノにしてキッチリと結果を出したのですから、胸を張っていいですよ。

「クリップバンド」が外れる理由

 かなり単調な展開になるかも…と懸念していましたが、フタを開けてみればなかなかの熱戦で、アクシデントはありましたがいい決勝戦だったと思います。とはいえ、人気を集めていた岩津選手の落車は残念で、「接触もないのに落車とはどういうことだ!」と、真夜中に怒り心頭だった方もいらっしゃるでしょうね。でもこの件、岩津選手を責めればいいという単純な話ではないのですよ。

 クリップバンドというのは、シューズの上から締めてペダルと密着させ、力を伝えやすくするものです。これがあることで、ペダルを踏む力だけでなく「引き上げる力」も、自転車に伝えることができるんですね。ここに最も負荷がかかるのは一気に踏み込んで加速する瞬間で、現在の競輪のように重いギアを使っていると、ダッシュ時にはとても大きな負荷がかかることになります。

岩津裕介 ※オールスター競輪にて撮影(撮影:北山宏一)

 大きな負荷がかかるので、破損して外れてしまうトラブルも相応に出てくる。「だったら、絶対に外れないような仕組みにすればいいじゃないか!」という声があがると思いますが、それはそれで大きな問題が出てきます。自転車競技や単走ならばともかく、選手が激しくぶつかり合う競輪のような競技でペダルから足が離れないようにすると、落車時に大事故が起きてしまうんですよ。

 例えばスキーの靴と板も、激しい転倒時には外れる仕組みとすることで、身体へのダメージを軽減させていますよね。靴と板が絶対に外れない仕組みだと、転倒時にかかる足への負担は相当なものになるはずです。自転車のペダルと靴が絶対に外れないような状態で激しく落車したら、足が二度と使い物にならなくなるような大惨事もあり得る。だから、落車時には外れてくれないと困るのです。

 競輪で使うギアをもっと軽いものにすれば、クリップバンドが外れての落車は減らせるでしょうね。でもそれは、競輪という競技のあり方そのものを大きく変えてしまうほど、大きなルール変更となってしまいます。競輪の魅力である「スピード」が損なわれて、ファンが面白く感じなくなってしまったのでは本末転倒。つまり、解決法が簡単に見つかるような事象ではないということです。

不運乗り越えた吉本、健闘した小原

 期待したファン同様、岩津選手自身にとってもたいへん残念なトラブル。岩津選手がチェックや準備を怠ったわけではなく、純粋にアンラッキーなアクシデントだったということを皆さんお伝えしたく、詳しく解説することにしました。自分の後ろから岩津選手がいなくなった吉本選手も、かなり不運だったはず。それを乗り越えての優勝ですから、なおさら称えたいと思う次第です。

 前受けからの全ツッパで吉本選手の優勝に大きく貢献した立部選手は、あれが最初から決めていた作戦だったようですね。とはいえ、二分戦で先行一車ならば、小原選手にいったん斬らせてから主導権を奪いにいくカタチでもよかったのではないかと私は思います。4車とはいえ混成ラインですから、もう少し「自分が優勝できるレースの組み立て」を意識してもよかったはずですよ。

小原太樹(写真提供:チャリ・ロト)

 小原選手も、自分の持ち味を活かしたいいレースをしていました。前受け、もしくはいったん前を斬る展開に持ち込みたかったでしょうが、それが叶わなかった後も“最善手”を繰り出して、最後まで優勝に近づく努力をしている。結果は3着で、自分のラインから優勝者を出せなかったのは残念だったと思いますが、この決勝戦をおおいに盛り上げてくれました。文句なしに、いい走りでしたね。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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