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山田裕仁のスゴいレース回顧

【大楠賞争奪戦 回顧】激闘ゆえに力尽きての落車だった太田海也

2025/04/14 (月) 18:00 30

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが武雄競輪場で開催された「大楠賞争奪戦」を振り返ります。

山田庸平が地元記念で完全V!

2025年4月13日(日)武雄12R 開設75周年記念 大楠賞争奪戦(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢

①山田庸平(94期=佐賀・37歳)
②坂井洋(115期=栃木・30歳)
③太田海也(121期=岡山・25歳)
④杉森輝大(103期=茨城・42歳)
⑤嘉永泰斗(113期=熊本・27歳)
⑥山口貴弘(92期=佐賀・41歳)
⑦高橋築(109期=東京・32歳)
⑧園田匠(87期=福岡・43歳)
⑨山田久徳(93期=京都・37歳)

【初手・並び】

←③⑨(混成)⑤①⑥⑧(九州)②④⑦(関東)

【結果】

1着 ①山田庸平
2着 ⑨山田久徳
3着 ④杉森輝大

今シリーズはSS3名&強力な機動型多数!

 4月13日には佐賀県の武雄競輪場で、大楠賞争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。ここには、岩本俊介選手(94期=千葉・41歳)と新山響平選手(107期=青森・31歳)、そして眞杉匠選手(113期=栃木・26歳)と3名のS級S班が出場。そのほかにも、嘉永泰斗選手(113期=熊本・27歳)や寺崎浩平選手(117期=福井・31歳)、太田海也選手(121期=岡山・25歳)など、強力な機動型が何名も出場していました。

左から岩本俊介、眞杉匠、新山響平(写真提供:チャリ・ロト)

 それだけに、ファンから大きな注目が集まったのが初日特選。突っ張り先行する新山選手を嘉永選手が叩きにいき、さらに打鐘で眞杉選手が仕掛けるという激しいレースとなりましたね。最終ホームで新山選手の前に出切った眞杉選手がそのまま押し切ろうとするも、最終バック手前から再び嘉永選手が猛追。それにスピードを貰った山田庸平選手(94期=佐賀・37歳)が、内の最短コースをきれいに抜けて勝利します。

 嘉永選手がよく頑張ったとはいえ、長く脚を使っている山田庸平選手も強い内容で、地元記念制覇に向けてかなり仕上げてきていましたね。2着は眞杉選手で、3着には後方でじっと脚をタメていた寺崎選手が入りました。眞杉選手に叩かれた新山選手は最下位に終わり、2日目には急病のため当日欠場。シリーズの中核をなすS級S班の1名が、早々と姿を消すことになりました。

SSが全滅…地元・山田庸平は完全Vに王手

 初日特選を快勝した山田庸平選手は、二次予選と準決勝で連続して太田選手と連係して1着をもぎ取り、完全優勝に王手をかけて決勝戦へと駒を進めました。このあたりは地元記念らしい番組面の有利さだったわけですが、それでも前をキッチリ差し切っているあたりに、デキのよさがうかがえます。2024年3月の協賛GIII制覇に続く、地元記念の優勝に向けて、心身ともにベストといえる状態で臨めそうです。

 準決勝では、残るS級S班である岩本選手と眞杉選手がともに敗退して、寺崎選手も後方からの捲り不発で勝ち上がりを逃す結果に。これも、山田庸平選手にとって大きな「追い風」となりましたね。しかも、決勝戦には九州勢が4名も残って、ひとつのラインで結束。これで、山田庸平選手は完全にこのシリーズの“主役”となりました。ラインの先頭を任された嘉永選手も、だいぶ調子を戻してきている印象です。

今シリーズの主役である地元・山田庸平は絶好調(写真提供:チャリ・ロト)

 九州勢の3番手は山口貴弘選手(92期=佐賀・41歳)で、最後尾を園田匠選手(87期=福岡・43歳)が固めるという布陣。地元の2名が後ろについているわけですから、嘉永選手はかなり積極的なレースを仕掛けてくるでしょう。3車となった関東勢は、先頭が坂井洋選手(115期=栃木・30歳)で番手が杉森輝大選手(103期=茨城・42歳)、3番手が高橋築選手(109期=東京・32歳)という並びです。

 山田庸平選手の勝ち上がりに大きく貢献した太田選手は、決勝戦では山田久徳選手(93期=京都・37歳)と即席コンビを結成。つい先日の高知記念で落車していた山田久徳選手ですが、幸い軽めのダメージで済んだようですね。太田選手の機動力はここでも上位で、今度は敵となった九州勢にとっても脅威のはず。九州勢の「二段駆け」を阻める展開に持ち込めば、GIII初優勝も見えてきそうです。

即席コンビを組んだ太田海也(左)と山田久徳(写真提供:チャリ・ロト)

自らS取った太田が前受け

 それでは、決勝戦の回顧に入りましょう。レース開始を告げる号砲が鳴って、いい飛び出しをみせたのは3番車の太田選手。自らスタートを取って、前受けを決めます。九州勢の先頭である嘉永選手がその直後3番手につけて、関東勢の先頭である坂井選手は7番手からというのが、初手の並び。太田選手のスタートの速さを考えれば、この並びとなるケースは想定内といえますね。

 後ろ攻めとなった坂井選手が動いたのは、青板(残り3周)周回の3コーナーから。外からゆっくりとポジションを上げて、赤板(残り2周)掲示の通過に合わせて、先頭の太田選手を斬りにいきます。太田選手は少しだけ抵抗しますが、ここは引いて坂井選手が先頭に替わります。そして2センターを回ってバックストレッチに入ったところで、今度は嘉永選手が前を叩きにいきました。

進撃した太田が、離れ気味の園田の位置奪取

 坂井選手は抵抗せず、九州勢が前に出切ったところで、レースは打鐘を迎えます。先頭に立った嘉永選手は、一気にペースを上げて打鐘後の2センターを回ります。しかし、ライン最後尾の園田選手はその加速についていけず、離れ気味に。ここで外から太田選手が進撃を開始し、最終ホームの手前で園田選手の外に並んで、山口選手の後ろの4番手の位置を取り切りました。

 太田選手のダッシュに離されていた山田久徳選手は、必死のリカバリーで太田選手の後ろに戻って、5番手で最終ホームを通過。後方7番手に置かれた坂井選手は、最終1センターから仕掛けて前との差を詰めにいきます。そしてバックストレッチに入ったところで、太田選手が4番手から前を捲りにいきました。太田選手は最終バック手前で山口選手の外に並びますが、ここで山田庸平選手が嘉永選手の番手から前に踏み込みます。

 太田選手の捲りに合わせて番手から出た山田庸平選手は、太田選手をギリギリ前に出させずに、最終3コーナーへ。太田選手から離れていた山田久徳選手は、ここで再び差を詰めて太田選手の後ろに復帰します。後方からは坂井選手が差を詰めてきていますが、それでも前とはまだかなり距離がある。内の山田庸平選手と外の太田選手が抜け出し、その後ろから山田久徳選手が追うという隊列で、最終2センターを回りました。

山田庸平と接触で太田が落車…

 内の山田庸平選手が太田選手の前に出て、最後の直線へ。ここでも、前の3車が抜け出した状態のままです。太田選手は必死に追いすがりますが、直線の入り口で山田庸平選手と軽く接触して、大きく内側にバランスを崩して落車してしまいます。それを避けつつ山田久徳選手が前を追いますが、前をいく山田庸平選手との差は詰まらないまま。そして、山田庸平選手が先頭でゴールラインを駆け抜けました。

 2位入線は山田久徳選手で、最後に外からよく伸びた坂井選手と杉森選手との争いは、外の杉森選手が競り勝って3位で入線。しかし、太田選手のゴール直前での落車について赤ランプが灯り、審議となります。審議対象は当然、先頭でゴールを駆け抜けた山田庸平選手と、落車した太田選手。どうなるかと思われましたが、結局は「セーフ」という判定となり、山田庸平選手の優勝が確定しました。

山田庸平は“セーフ”判定で地元記念初制覇!(写真提供:チャリ・ロト)

太田の落車は“死力尽くした結果”

 各ラインの番手にいた選手が1〜3着に入るスジ違いでの決着だったのもあって、人気の山田庸平選手が優勝したにもかかわらず、3連単19,060円という高配当決着に。この最終日には高配当がバンバン飛び出していたのですが、決勝戦も車券的にはなかなか難しい結果となりましたね。とくに悔しかったのは①③絡みの車券を持っていた人で、ゴール直前での太田選手の落車に憤慨されたかもしれません。

 ファン目線ならば、そう感じて当然。この審議は「山田庸平選手が内圏線の内側から戻るところで接触して太田選手が落車」という難しい事象だったわけですが、接触自体は、ゴール直前でのせめぎ合いではよくある程度のもの。けっこう危なっかしい審議対象となった山田庸平選手からすると「あの程度の動きであれば太田選手に対応してほしかった」というのが、おそらく本音でしょう。

太田海也の落車は死力尽くした証(撮影:北山宏一)

 とはいえ、太田選手が全面的に悪いとまでは言いづらいですよね。なぜなら、あの接触で大きくバランスを崩してしまうほど、太田選手は死力を尽くして戦っていた…という見方もあるからです。ファンの期待を最悪のカタチで裏切るのが落車で、絶対に避けるべきもの。そこは大いに反省すべきですが、シリーズを通して存在感を発揮し、この決勝戦で力強い走りをみせていたのも、また事実です。

1〜3着全員が“番手選手” まさに激闘の証

 ラインから優勝者を出す走りで山田庸平選手の優勝に貢献した嘉永選手や、初手での後ろ攻めから難しい組み立てとなった坂井選手も、厳しい流れのなかで自分の役割を果たそうと奮闘していました。落車や審議でスッキリしない面もある決勝戦となってしまったのは残念ですが、優勝した山田庸平選手は文句なしに強かった。2着の山田久徳選手も、太田選手に何度も離されながら、よくあそこまで食らいつきましたよ。

 1着から3着までがすべて「ライン番手の選手」だったというのも、互いの脚を激しく削り合うような、厳しい決勝戦だったことの証明でしょう。地元記念での優勝とあって、山田庸平選手は優勝者インタビューでも本当にうれしそうでしたね。落車した太田選手は、幸い軽い擦過傷で済んだとのこと。ファンには今日のぶんまで、次の名古屋・日本選手権競輪(GI)での力走で報いてほしいものです。

地元記念初制覇に満面の笑み見せる山田庸平

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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