アプリ限定 2025/03/08 (土) 12:00 23
脇本雄太(35歳・福井=94期)が2月豊橋全日本選抜(GI)を優勝し、KEIRINグランプリ優勝を含む全館制覇、『グランプリスラム』を達成した。今までにないことで、新しく言葉が生まれたほど。競輪界で唯一の選手となった。
“強い”のは誰もが知るところ。ただ、それだけでこの場所にたどり着けるのか。脇本が今の位置にたどり着けた要因は、精神力と頭脳だと思う。脚力は無論とはいえ、脚力だけの争いになった時、脆さも見せているのは事実。そのシリーズを優勝するために、を心と頭で作り上げる力が秀でている。
“精神”は脇本が強調する「競輪に大事な部分」だ。レースで力を発揮することもそうだし、例えば強敵、例えば勝たないといけない相手、とメンバー構成が毎回違う中で、最良のメンタルで走れるか、その状態に持っていけるか、がある。
脇本は若いころ、熱くなりすぎる性格で、先行はできるけどかみ合わない、または先行させてもらえず何もできない、という失敗レースがあった。若かった時は、泣いて悔しがることしかできなかった。
先行させてもらえなかった相手に対し、逆襲した。その逃げられなかったというレッテルを徹底的に排除することにより、次、また将来また対戦した時に、自分のレースに持ち込む形作りを怠らなかった。当時のそれは計算ではなく『意地』だったと思うが脇本雄太という先行選手と強くしていった。
ナショナルチームのトレーニングで、さらに脚力が強化されたことは言うまでもない。競輪選手の仕事は、競走を走ること。年間通して走り続けるのが大事な仕事なので、まとまって時間を取って“強くなる”トレーニングの期間を作れない。
ナショナルチームに所属すると、競輪の仕事=収入、を犠牲にした人生になる。ただし多くの代表選手の原点は、金メダルが欲しいという夢と、その結果を残すころが競輪を世の中に広く伝えられる、という使命にある。脇本もそこにいて、東京五輪で金メダルを、とすべてを費やした。
ナショナルチームを卒業し、福井に帰るとなった時、脇本はそこでも手を打った。冬場に雪で練習がしづらくなること、またウエートトレーニングなど室内での練習の重要さに目を向け、自宅にハイレベルなジムを設置した。
今年は大宮記念の後、また腰の中に水がたまる症状に襲われたものの、「自転車には乗れないがジムのトレーニングはできた」と最低限の出力を確保することにつなげた。ジムを準備していたことが、豊橋全日本選抜の優勝を支えていたともいえる。
また、とんでもない事実なのが、今回の達成を受け“裏グランプリスラム”というのか、脇本が先頭で戦いそのラインから優勝者をグランプリ含むGI6冠で出しているということだ。これは永遠に不可能だと思う。こちらの方を先に達成していたわけだが、これに関しては変態としかいいようがない。
想像もできない。
冗談っぽくなのか、本気なのか、は古性優作(34歳・大阪=100期)の言葉がある。近年、「古性さんのような選手になりたい、と選手から聞くことが多い。ワッキーになりたい、はあまり聞かないけど」と古性に伝えたところ、「ふふふ、俺ならなれる、というのがあるんでしょう。脇本さんになるのは無理とわかっていて」
その話を聞いてからしばらく経つので、今や選手目線では「古性さんを目指すと口にするのも…」と恐れているレベルと思うが、グランプリスラムやダブルグランドスラムを目指す選手がいること、その時間を生きていることは幸運の限り。
塗り替えられていく歴史を、その戦いを、全身で満喫してほしい。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。