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【競輪祭】「もともとは金網越しに野次を飛ばしていた(笑)」アフロ・山崎賢人は競輪ファンからケイリン金メダリストに/小倉GI注目選手インタビュー

アプリ限定 2024/11/18 (月) 15:00 12

世界選手権・男子ケイリンで金メダルを獲得した山崎賢人選手。日本勢37年ぶりの快挙でした。リザーブ(補欠)だったパリ五輪から一転、世界の頂点へ。今後の進退は果たしてーー。「競輪」においても頂点を目指します。競輪選手を目指したキッカケ、アフロヘアの秘密!? まで赤裸々に語ってくれました。地元地区で開催される競輪祭への意気込みをお届けします。(取材・文=アオケイ・八角あすか)

世界選手権・男子ケイリンで金メダルを獲得した山崎賢人(撮影:北山宏一)

自分の力だけじゃない“みんなで獲った”金メダル

ーー世界選手権、金メダル獲得おめでとうございます! 反響も大きかったと思います。1か月が経って、改めて今のお気持ちを聞かせてください。

山崎 会う人、会う人に喜んでもらえて嬉しいですね。自分の力だけじゃ獲れませんでした。ジェイソンヘッドコーチ、ブノワ、HPCJCのスタッフみなさん、Kドリームス、いつもサポートしてくださるみなさんが応援してくれて獲ることができたメダルだと思うので。

 僕たち選手は表に出て、しっかり結果を出さないといけない立場。でも、表に出ない人たちが沢山いて、現地にいなくても色々なところでサポートをしてくれる人がいるということをナショナルチームに所属してからは本当に実感していて。その人たちの頑張ってきた成果を、僕たち選手が結果で出さないと。今回、金メダルという結果で、やっと形にできたのがすごく嬉しいです。

「自分が獲った」っていう実感はないですね。「みんなで獲った」金メダルだと思っています。

ーーゴールの瞬間や表彰式ではどんな気持ちだったのでしょうか?

山崎 コロンビアの選手を抜いてギリギリでもなく先頭でゴールできたので「あ、これ優勝しちゃったなー!」って感じで。お客さんも盛り上がってくれていて「何かパフォーマンスしなきゃ」と冷静でした。表彰式で日の丸が掲げられて国歌斉唱を聞くことができたのも嬉しかった。表彰台の前でスタッフのみなさんがはしゃぐ姿を見て、もっと嬉しくなりましたね。

歓喜のゴールシーン(写真: 日本自転車競技連盟提供)

ーー同日、窪木一茂選手もスクラッチで金メダル。同部屋だったそうで、その晩は大興奮だったのでは?

山崎 翌日も窪木さんはレースがあったし、ほどほどに(笑)。でも、あの日、ケイリンの後に窪木さんのレースがあって。僕がレース直後にインタビューを受けていたら、スタート前のアップエリアでグルグル周回していた窪木さんが「けんてぃーおめでとー!」って叫んできて。嬉しかったけど「次、レースなのに大丈夫なのかな?」ってハイテンションぶりに少し心配になりました(笑)。

ーーそんな窪木選手も山崎さんの金メダル獲得で「自分も!」と奮起したのでは?

山崎 そのまま押し切っちゃいましたもんね。強い勝ち方でした。

最高の結果を歴史に刻んだ窪木一茂(左)と山崎賢人、二人揃って(写真: 日本自転車競技連盟提供)

進化を求めてナショナルチーム加入 パリ五輪リザーブから、世界の頂点へ

ーーナショナルチームで活動を始めたのが19年12月でした。所属に至るまでの経緯を教えてください。

山崎 その年の10月のGI(寬仁親王牌)だったかな。中野浩一さんがいらっしゃって、その時にナショナルチームの話になって。「やりたいのか?」って感じで聞かれて「“もう一回”やりたいですね」と言った。それで中野さんを通じてブノワに話をしてもらった流れですね。

ーーその背景にはどんな思いがあったのでしょうか?

山崎 競輪学校時代にHPD(※)にいて、そこから一回僕は抜けてしまって。もう一回競技をやりたいなって気持ちがあった。もっと自分が強くなれるんじゃないかなって思ってお願いをしました。

(※)HPD…ハイパフォーマンスディビジョンの略。世界で活躍できる選手を育てることを目的としたトレーニンググループ。選抜された日本競輪選手養成所候補生に対して、ナショナルチーム選手と同様の環境でトレーニングを実施する。(日本競輪選手養成所HP参照)

ーーナショナルチーム第二章が始まってから4年間半、パリ五輪を目指してきました。しかし、国内リザーブ(補欠)という結果に。この結果をどう受け止めましたか?

山崎 うーん、そうですね。なかなか受け入れられず、気持ちが落ちた部分はありましたね。でも、選考期間内の大会で結果を残せず、世界選手権にも出られなかったので(代表選出は)厳しいのかなとは感じていました。

ーー日本は国内選考がハイレベル。外から見ていても、し烈な代表争いだったように思います。

山崎 そうですね。みんな強くて、結果をしっかり残していましたから。選考するのは僕じゃないし、目の前のレースでしっかり結果を出さないと選ばれないっていうのは理解していたので。僕が結果を出せなかった、それが全てです。

ーーその時点で、今回の「世界選手権までは競技続行」と決めていたのでしょうか?

山崎 選考結果が出るまでは特に決めていなくて。アジア選手権のケイリンで金メダルを獲得したことで、一応、世界選の出場枠はあったんです。「何も出ずに終わってもなぁ…」と思って。あとは負けず嫌いなところが出たというか。「もうちょっと粘っちゃおうかな」と思い、世界選まではナショナルチームで頑張りたい意思をジェイソンに伝えました。

“負けず嫌い”の出場で歴史的快挙を成し得た(写真:日本自転車競技連盟提供)

競輪復帰と気になる今後の進退は…?

ーー国内に残って7か月ぶりに競輪へ復帰。久留米記念(GIII)に出走して見事、優勝。久しぶりの競輪、どんな気持ちで臨みましたか?

山崎 その時には自分の中では区切りがついていて。競技と競輪は全然違うけど、練習の感じも良かったし、せっかく走る機会をいただいたので結果を残したいと思っていました。優勝はやっぱり嬉しかったですね。前の選手が頑張ってくれて結果的に自分が1着だったっていうだけで、日本の競輪ならではというか「ラインの力」をすごく感じましたね。

久留米「中野カップレース」で優勝(撮影:北山宏一)

ーーお話できる範囲で、今後のナショナルチームでの活動プランや山崎選手の今のお気持ちを教えていただけますか?

山崎 まだ、詳しくは話していないんですけど…。「ロスを目指す」とはハッキリと言えなくて。でも、1つ結果が出て「もうちょっと頑張ってみようかな」という気持ちもある。本当はこの世界選でメダルが取れたら考えようぐらいの感じだったし、取れなかったらスッパリ辞めると決めていた。なので、メダルが取れて“ナショナルチームを続ける”気持ちではいますね。今のところは。ただ、どこまでというは何も決めていなくて。

ーー4年後のロスオリンピックを目指すとなると、それはまた相当な覚悟が必要ですよね。

山崎 そうですね。

ーー選手人生で成し遂げたいことってありますか?

山崎 GIをまずは1つとりたい。あとは、せっかく自転車競技もやっているので、競技も日本の競輪もどっちも盛り上がるように何かできればなと。そこに壁はないと思うし、どっちも協力し合って何かができないかなとは思っています。自分に何ができるかは分からないけど、こうやって金メダルも獲得できたので。

競輪選手として、競技者としてできることを探っている(撮影:北山宏一)

競輪ファンから競輪選手へ キッカケは「平成の怪物」だった

ーーもともと、大学時代まではバレーボールをやっていたと聞きました。競輪に転身するキッカケって何だったんですか?

山崎 もともと車券を買っていたんですよ。金網越しに野次を飛ばしていました(笑)。一丁前に、あははは。

ーーまさかの野次(笑)。競輪ファンから選手になろうと思ったのは?

山崎 大学でバレーボールをやっていたけど、レギュラーでもなくて。自分の体を使って何か仕事がないかなと思っていて。僕が競輪を見たのが、深谷さんが先行して金子さんが優勝するレースが多かった年で(13年)。いくつかのGIを見ていても、その一年間、深谷さんがとんでもないレースをして活躍。それを見て自分の中で沸き立つものがあって。そこから長崎支部に連絡をして選手を目指したって感じです。

ーー実際に選手になられて、深谷選手ご本人に会ってみてどうでしたか?

山崎 深谷さんは独特な空気を持っていて、やっぱり強い選手って違うんだなって思いました。

ーー話を戻して、選手を目指したのはタイミング的にいつ頃だったのでしょう?

山崎 選手になるって決めたのが大学3年の終わりぐらい。選手になるっていう気持ちではいたけど、経験として就職活動はしていました。

ーーちなみに、就活生時代はアフロヘアではなかった?

山崎 バレーボール部は厳しくて短髪でした(笑)。

トレードマーク・アフロヘアの秘密!?

山崎賢人といえばこのアフロ(撮影:北山宏一)

ーーちょっと話が逸れますが、アフロヘアの秘密を教えてください。いつからアフロにしたのでしょうか?

山崎 デビュー当時は坊主で、1年ぐらい経ってからですね。葉加瀬太郎さんを見て「何だ、この髪型は!」と衝撃を受けて、アフロヘアにしようと心に決めました。

ーー今ではトレードマークですね。ナショナルチームの後輩でルーキーの中石湊選手もアフロにされました。

山崎 中石も「したいです!」と言ってきて。1人アフロ友達が増えましたね(笑)。

ーーお手入れなんかはどうされているんですか?

山崎 パーマは3、4か月に1回、意外と長持ちなんですよ。よく周りの選手には控え室で「そうやって髪を入れるんだ〜って思って見ていた」みたいな感じで言われます。今でこそヘルメットを被るのには慣れたけど、最初は人よりも5分ぐらい長くかかっていました(笑)。

レベルが上がり続ける競輪界に感じること 最強の選手像とは

ーー開催毎に競輪界全体のレベルが上がっているように感じます。山崎選手自身、どう感じていますか?

山崎 めちゃくちゃ上がっていますね。タイムもそうだし、長い距離を行くのは当たり前になっている。脚を使わないと位置も取れないですから。

ーー山崎選手の中で、最強の選手像はありますか?

山崎 やっぱりジャン前にカマして、そのまま押し切るのが最強なんじゃないですかね。今だったら、新山響平じゃないですか。長い距離を行けるし、めちゃくちゃ強いです。

ーー先日、寬仁親王牌では、元ナショナルチームの新山選手、寺崎浩平選手が、山崎選手の金メダル獲得に刺激を受けていました。

山崎 嬉しいですね。寺崎は同じぐらいの時期にナショナルチームに入って一緒に頑張ってきたので。

ーー最後に、地元地区開催の競輪祭へ意気込みをお願いします!

山崎 目の前のレースを一走一走、予選からしっかり走るしかないと思っています。あとは共同通信社杯(GII・宇都宮9月)で北津留翼さん、荒井崇博さんと連係することができたけど、自分が叩かれ不甲斐ないレースをしてしまったので、しっかり九州勢みんなで勝ち上がって決勝でまた連係できたらなと思います。地元地区のGIですし、盛り上げられるように頑張ります!

“世界の脚”が小倉バンクを駆け抜ける(撮影:北山宏一)

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