2025/08/31 (日) 12:00 8
netkeirinをご覧の皆さんこんにちは、金子貴志です。残暑厳しい折、熱中症にはどうか気をつけてくださいね。今回は私がデビュー30年を迎えたことやYouTube、妻のお店のことについて書いていきたいと思います。
1995年4月にデビューしてから30年。9月には50歳の誕生日を迎えます。現役生活は気づけば31年目に入りました。振り返れば本当にあっという間で、気がつけばここまで来ていた、というのが正直な思いです。
2006年までは五輪を目指してナショナルチームで世界各国を回り、多くの文化や人と出会いました。五輪出場の夢は果たせませんでしたが、海外で過ごした時間は、日本にいるだけでは気づけなかったことを教えてくれました。
転機になったのは2004年のふるさとダービーでのGII初優勝。これにより、目標に掲げていたGIタイトルに対し「獲りたい、できるんじゃないか」と思いがいっそう強くなりました。そこからは守りに入るのか、攻め続けるのかの岐路に立たされる連続。結果として、より攻める姿勢を選び、そこから意識も覚悟も大きく変わっていきました。2013年には念願のGIタイトルを掴み、最大の目標であったグランプリでも優勝できたことは、競輪人生における大きな財産です。
充実したキャリアを歩めている理由として、弟子である深谷知広の存在は欠かせません。“平成の怪物”と呼ばれ史上最速でのGI制覇も果たした彼の登場によって練習環境は一変し、愛知だけでなく中部全体が強化されました。圧倒的な強さを持つ選手が身近にいると、自然と周囲の意識も上がり、自分自身も刺激を受け続けることができました。
しかし、43歳で腰痛を患ってからは苦しみの連続でした。腰痛とケガでこの5〜6年は思うような走りができない日々が続いています。「選手をやめよう」と思ったことはありませんが、「もうできないかもしれない」と感じる瞬間は確かにありました。日常生活ですらつらく、布団から起き上がるのも一苦労。そんな中で「どうすれば少しでも走れる状態を保てるか」を必死に探しました。
選手を続けているかぎり、脊柱管狭窄症を完全に治すことはできません。それでも、「こうすればまだ戦える」という手ごたえを少しずつ見つけられるようになったのは大きな救いでした。波がある状態と向き合うのは簡単ではありませんが、難しい状況だからこそやりがいを感じます。できることをやって戦える状態に持っていけたときには、自分にとってさらに大きな力になるーーそう信じて前に進んできました。
光の見えないトンネルに入ってしまい、どうしたらいいか分からない時もありましたが、今は光が少し見え始めています。勝てない時でも応援してくれたファンの方に勝つことで恩返しができればと思っています。
そんな時期を支えてくれたのが、自分に課した「デッドリフト1万セット」でした。以前から取り組んでいたこのトレーニングですが、220キロ×5回を1セットとして2014年から数え始め、今年8月15日、ついに目標を達成しました。腰痛による2年間のブランクを経て、重量を100キロに変更しての達成です。
重要なのは「1万セット達成した」こと自体ではありません。決めたことをやり切る、その過程に意味があります。トレーニング方法や順番を工夫し、自分に合ったやり方を築き上げること。自分の中にあるリミッターを外し、それまでの想像を超えるようなトレーニングをすること。それを積み重ね迷いをなくしていくことによって、自分だけの武器になります。「誰もたどり着いていないところに先に行こう」という姿勢が、心と体の成長につながるのです。
当時、短距離種目ではまだメジャーではなかった高地トレーニングも率先して取り入れました。今思うと少し危険を伴うトレーニングだったかもしれませんが、限界を超えるようなトレーニングで心身を追い込み、2005年名古屋オールスターでの「タイトルまであと一歩」という結果につながりました。
ときには午前2時に起きてトレーニングする日もありました。「そこまでやったから、これもできる」という自信が、肉体的な強さだけでなく精神的な支えにもなりました。1万セットはゴールではなく通過点です。
この「デッドリフト1万セット」をやっていなかったら、今の位置にはいられていないと思います。状態が悪くて何もしてこなかったら、ストレートで代謝になっていても不思議ではありませんでした。選手でいる限りは続けていくつもりですし、もしかしたら健康のために生涯続けるかもしれません。
競輪だけではなく、新しい挑戦にも力を注いできました。YouTubeを始めて6年。当初はトレーニング動画が中心でしたが、今ではキャンプや自転車組み立て、キッチンカーなど幅を広げています。
忘れられないのは、山田二三補さん、白井一機さんと行った至学館大学でのトークショー。観客がまったくいないステージに立った時は、正直なにかに負けたような悔しさを感じました。けれど、その経験が「続ければ違う景色が見える」という大きなモチベーションになりました。今では少しずつ声をかけてもらえるようになり、登録者や再生数も増えてきました。外注せず自分で編集や撮影を学んできたことは、スキルとしても身についています。続ける難しさと、続けたからこそ見える世界。その両方をYouTubeを通じて実感しています。
大きな影響力はないかもしれませんが、コツコツ積み上げていくことで、結果的に少しでも競輪のことを知るきっかけになれば嬉しいです。
また、2023年には妻のお店「ファンシー♡ぷらんたん」もオープンし、9月で2周年を迎えます。非日常の空間を意識して作った雑貨店で、子どもたちは瞳を輝かせて「ここに泊まりたい」と言うほど楽しんでくれています。お店では来店してくれた子どもから大人まで、お客さまの写真をInstagramで紹介させてもらっていて、今では2,000人以上が登場してくれています。
これまで妻に支えられてきましたが、今は自分が妻の挑戦を支える番。お客さまや関係する皆さんに支えられて、お店が続けられていることに感謝です。お店もYouTubeも周りの支えがあってからこそ、こうやって続けられています。もちろん競輪選手としての私も、お客さまや多くの人達に支えられてここまでやって来られています。
続けることの難しさと楽しさ。続けることによって経験値が上がり、続けられた人しか見られない景色を見ることができます。「継続は力なり」という格言がありますが、まさにその通りだと思います。
50歳を迎えるいま、20代30代では到達できなかった「心と体の成熟」が確かにあります。若い頃より強くなるのは難しいと決めてしまうのは、少し寂しいことです。現実的にはわかりませんが、「まだ強くなりたい」という気持ちはずっと変わりません。「もうあの頃を超えられない」とは決めつけたくないのです。
だからこそ、こう考えています。「1年1年が勝負。いつ終わりが来ても後悔しないように、覚悟を持って走る」。
「集大成」という言葉では表せない気持ちです。自分にとっての集大成は、期間で区切らずその瞬間に全力を尽くすこと。終わりを望んでいるわけではありません。ただ、いつか必ず来るその時まで、覚悟を持って挑戦を続けたいのです。
ケガから復帰したときに「歩けるだけでありがたい」と思った感覚や、負けて悔しい思いをした気持ちーーその瞬間のリアルな感情を、人はすぐに忘れてしまいます。だからこそ、自分に言い聞かせる意味も込めて、繰り返し伝えていきたいのです。「後悔しないように、やれるうちに全力でやる」。その気持ちを胸に、これからも走り続けます。
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Kaneko Takashi
愛知県豊橋市出身。日本競輪学校75期卒。2013年には寛仁親王牌と競輪祭を制し、同年のKEIRINグランプリでも頂点に。通算勝利数は500を超え、さらには自転車競技スプリント種目でも国内外で輝かしい成績を収めている。またYoutubeをはじめSNSでの発信を精力的に行い、キッチンカーと選手でコラボするなどホームバンクの盛り上げにも貢献。ファンを楽しませることを念頭に置き、レース外でも活発に動く中部地区の兄貴的存在。