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すっぴんガールズに恋しました!

【松井優佳】15歳でふるさと離れ自転車留学も一度は遠のいた競輪界… 再び運命に導かれ、たどり着いた“天職”

アプリ限定 2024/11/01 (金) 18:00 11

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は124期の卒記クイーンとして2023年にデビューし、今年5月に念願の初優勝を挙げた松井優佳選手(25歳・大阪=124期)。抜群の運動神経で中学から自転車競技に打ち込んだエリートだが、競輪選手になるまでには遠回りも経験。“現役最強レーサー”と名高い古性優作と練習環境をともにし、GI出場が射程圏に入ってもしっかり現実を見つめていた。

天性の運動神経で3歳から“コマなし”

 松井優佳は大阪市吹田市出身。3歳上の姉、6歳下の弟と3人きょうだいで育った。外で遊ぶことが大好きな活発な少女で、小さいころから自転車が大好きだったそう。本人曰く「お姉ちゃんはコマ(補助輪)なしの自転車に乗っていて、自分もお姉ちゃんと一緒が良くてコマなしの自転車に3歳くらいから乗っていました」と運動神経の良さは天性のものだったようだ。

3歳で補助輪が外れたという驚異の運動神経(本人提供)

 学生時代は水泳、バスケットボール、トライアスロンとさまざまなスポーツに挑戦。中学時代はバスケットボール部に所属したが、中学2年生になると自転車競技一本に絞って練習に打ち込んだ。

「中学1年生の頃、ガールズケイリンが始まりました。ロードレースの大会にいくと、周りの大人から『優佳ちゃんは将来、ガールズケイリン選手だね』って言われることが増えていきました。自分でもガールズケイリンの選手がいいかな、って思うようになりました」

高校進学を機に、15歳でひとり鹿児島へ

 高校は紆余曲折を経て、鹿児島県の南大隅高校へ進学を決めた。

「元々京都の自転車競技部がある高校に進学しようと思っていました。でも中学1年生の頃からガールズサマーキャンプに参加していて、南大隅高校の人と知り合いになったんです。その人から女子の強い自転車競技部があると聞いたのを覚えていて、軽い気持ちで学校見学に鹿児島まで行きました。そうしたら南大隅高校の環境がすごく良くて『この高校に通いたい』と」

 一般入試で南大隅高校を受験し合格。自転車漬けの下宿生活が始まった。南大隅高校は本州の最南端にある高校。生まれ育った大阪とは全く景色の違う場所だ。15歳で大阪からひとり鹿児島に移った松井は、心細さに襲われることもあった。

「高校時代は自転車中心の生活でした。中学のころから合宿で1週間家にいないことはあったけど、3年間ですからね。最初の1年はホームシックになりました。泣きながら家に電話をしている時期ももちろんありました。でも下宿先の人たちがすごく温かくてホッとできる場所でした。食事や洗濯など生活面でサポートしてもらいながら高校に通っていました」

 自転車競技の名門高である南大隅高校には、松井の2学年上に寺崎舞織、1学年下には谷元奎心がいた。ガールズケイリン選手を目指すには抜群の環境に間違いなく、松井自身も高校入学時は選手になるためのステップアップの場所として考えていたが、高校3年間で心境の変化が芽生えた。

「高校に入ったときは卒業してすぐ現役で競輪学校の試験を受けるつもりでした。でも南大隅高校が練習する場所には鹿屋体育大学の選手も来るんです。大学生を近くで見る機会が多くなって、3年生のころには大学に行きたいと思うようになりました」

 高校時代に自転車競技の大会でしのぎを削り、仲がよかった山口伊吹(116期・長崎)や藤田まりあ(116期・埼玉)は高校卒業してすぐ競輪選手になった。松井も「2人と一緒に競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に行けたら楽しいかな」と思った時期もあったというが、競輪学校は受験せず、スポーツ推薦で同志社大学へ進学する道を選んだ。

高校時代からしのぎを削った藤田まりあ(左)とはデビュー前から仲良し(本人提供)

「競輪選手になりたい気持ちはありました。でも選手になってから何かあった時のことを考えたとき、大学に行っていればいろんな選択肢が選べるはずだと。それでまずは教員免許を取ろうと思いました。もしかしたら競輪選手以上にやりたい仕事が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。そう考えて大学に行くことにしました」

大学進学で自転車から距離遠のく

 実際に大学に進学すると、環境の変化も影響し自転車と距離が生まれてしまう。

「1年生のときのキャンパスに自転車競技部の人がいなくて…。高校の自転車競技で燃え尽きた感覚もあったりして、練習に行かないことも多くなりました。必要最低限の大会だけ出るような感じでした」

 自転車漬けだった3年間の下宿生活を経て大阪の実家に戻った松井。友人と遊んだり、スポーツジムでのバイトをしたりと、自転車と離れた生活を送った。教員免許を取るために教育実習に行くが、教師は志さずに就職活動をして、ガールズケイリンとは逆の方向へ歩み始めていた。

「教師になるつもりで教育実習に行きましたが、私に先生は向いていないと思いました。自分は感覚でできるタイプの人間で、自転車に乗り始めたときもそうだった。だから人に物事を教えるのがとても難しく感じて…。高校の体育を教えられる資格は持っていますけどね。そういうこともあって、就職活動をしようと思いました」

コロナ禍で転機「もう一度頑張ろう」

 しかし転機は突然訪れる。2020年春の新型コロナウイルスの大流行だ。 当時大学3年生だった松井は、本格的に就職活動を始めた時期。大学の授業もオンラインになったことで、大きな変化が起きた。

「2020年は鹿児島で国体(現・国民スポーツ大会)が開催だったんです。(2020年は中止。2023年に延期)。高校時代にお世話になった鹿児島での国体開催だったので、そこに向けてもう一度自転車を頑張ろうと思いました。本当は大学を1年休学して鹿児島へ行こうと思っていたけど、大学の授業がオンラインになったので、休学する必要がなくなりました」

 新型コロナウイルスの大流行により、奇しくも人生の針がもう一度ガールズケイリンの方向に向いた。松井にとってターニングポイントだったのかもしれない。

再び鹿児島の地で自転車と向き合い、充実した日々を送った(本人提供)

「鹿児島に行ってホテル暮らしをしながら、高校時代の仲間と国体に向けた練習をしました。そうしたら高校時代よりタイムがよくなった。これなら選手を目指してもいいのかなという気持ちになりました」

 高校時代から仲がよかった山口伊吹や藤田まりあの活躍を目にする機会が増えたことも、ガールズケイリン選手になりたい気持ちを再び加速させた。

「高校卒業後すぐ競輪選手になった2人の存在は大きい。大学時代にプロになった2人とは遊ぶ機会があって、(稼ぎがある2人と)買い物にいくとうらやましいなと思うことがありました。これもプロを目指すきっかけだったと思います」

116期の藤田まりあ(右)と(本人提供)

HPD教場で鍛錬 124期卒記クイーンに輝く

 日本競輪選手養成所を124期で受験すると、無事合格。養成所時代はエリートクラスであるHPD(ハイパフォーマンスディビジョン)教場に所属。同期の仲間と通常の練習という環境ではなかったが、授業以外の時間では楽しい思い出を作れた。

「練習メニューが違って、練習場所も違うことも多かった。それでも部屋に帰れば同期のみんなと楽しく過ごしました。養成所生活の最後の部屋が熊谷芽緯ちゃんと宇野紅音ちゃん。高卒現役組で年下の2人と3人部屋だったんですが、わちゃわちゃ楽しくやって笑いの絶えない生活でした」

養成所の卒業記念レース、優勝の松井優佳(中央)、2着谷元音羽(左)、3着五味田奈穂(右)

 養成所1年間の集大成。在所成績は2位だったが、卒業記念レースは4連勝の完全優勝と最高の結果で締めくくった。

 しかしこの「卒業記念チャンピオン」の肩書が松井に大きくのしかかることになる。

卒記クイーンとして注目集めるも遠い優勝

 2023年5月の宇都宮ルーキーシリーズでデビュー。予選は1、1着でクリアするも、決勝は3着。続く第2戦の松戸も3、1着できっちり決勝に勝ち上がるも2着。第3戦の福井も1、1着と連勝だったが決勝2着と優勝はできず、あと一歩の開催が続いた。

 7月の本格デビューは地元近畿地区の向日町。先輩相手のレースでも予選は1、1着と連勝。しかし決勝は4着。同期の成績優秀者が選抜された9月向日町のルーキーシリーズプラスでも3着だった。

 期待を背負いデビューしたものの結局12月までの7か月で準優勝が6回と“シルバーコレクター”状態で、なかなか優勝に手が届かなかった。

「厳しい1年目でしたね。126期の卒業記念を優勝した仲澤春香ちゃんみたいにはいかなかったですね。それまでの競技生活でも、最初でバーンと目立って、そのあとは… みたいなことはありました。高校時代もそうだったから慣れてはいたのですけど。注目されるのはやっぱり得意じゃないなって思いました…」

(撮影:北山宏一)

地元でようやくつかんだ初優勝

 今年に入ってからも惜しい開催は続いた。4月高知のフレッシュクイーンでは、人生初の失格を喫してしまう。同月久留米のGI・オールガールズクラシックの前座戦も1、1、2着の準優勝と悔しい思いをした。

 その翌月、5月の岸和田でようやく待望の初優勝を達成した。

「地元の岸和田で優勝できてうれしかった。3月にも岸和田に呼んでもらっていたけど、優勝できなくて…。5月こそ優勝したいと気持ちを強く持って走ることができて、勝ててよかった」と地元での初優勝達成を喜んだ。

(撮影:北山宏一)

S班・古性優作ら属する恵まれた練習環境

 “卒記クイーン”の看板を背負った松井にとって、初優勝まで時間がかかってしまったが、苦しい時期が続いても腐ることはなかった。

 練習環境の良さは申し分ない。古性優作を筆頭に強い選手が多い大阪支部に所属し、ホームバンクの岸和田競輪場にはウエートトレーニング施設もそろっていて、強くなるためには抜群の環境だ。

「大阪の先輩たちはみんな優しいです。分からないことを聞けば答えてくれるし、練習が楽しくできる。古性さんは自分が自転車を新しくしたときにはセッティングを見てくれる。近畿の選手が岸和田で合宿することも多くて、ガールズケイリンの選手もいろんな選手が来るので刺激になります。たくさん話が聞けてすごくためになるんです」

大阪支部の選手たち(本人提供)

GI出場近づくも現実直視「自分に足りないものある」

 岸和田は毎年6月にGI・高松宮記念杯とパールカップを実施する競輪場だ。松井も来年以降はGI出場が視野に入ってくるが、本人は現実をしっかり見ている。

「今の実力でGIに出ても自信を持って走れない。この前岸和田に吉川美穂さんと久米詩ちゃんが練習に来て一緒にもがいたけど、脚力の差を感じたし刺激ももらえた」

 松戸と久留米でオールガールズクラシックの前座戦に参加したことで、GIに出場する選手たちとの意識の違いを肌で感じたという。

「トップクラスの選手は自信を持ってレースに臨んでいる。ウォーミングアップのときから気持ちが入っているのを感じました。レース後の自転車整備も時間をかけてしっかりやっていた。今までの自分には足りない部分だったので、見習わないと。今年のパールカップは関係者席で見た。いずれは出られるように頑張ります」

124期の同期と。(左から)高橋美沙紀、宇野紅音、五味田奈穂、神戸暖稀羽、松井優佳

ガールズケイリン選手は“天職”、親孝行も

 遠回りこそしたが、松井優佳にとってガールズケイリン選手は天職だ。

「選手になれて本当によかったと思います。競輪選手は練習を頑張って、レースでいい結果を残せば、いい賞金がもらえる。デビューしたときと、初優勝のときは家族に焼肉をごちそうすることができました。やりがいのある仕事だと思います」

 憧れの存在はガールズケイリン界をけん引し続ける児玉碧衣だ。

「高校生のとき愛媛国体で一緒に走った児玉碧衣さんがすごく格好良かった。児玉碧衣さんのような自力を出していけるように頑張っていきたいです」

 松井優佳の挑戦はまだまだ始まったばかり。天性の運動神経の良さを発揮して、トップの舞台へ駆け上がる!

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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