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山田裕仁のスゴいレース回顧

【火の国杯争奪戦 回顧】脇本雄太“大敗”の背景にあったもの

2024/10/07 (月) 18:00 29

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが熊本競輪場で開催された「火の国杯争奪戦」を振り返ります。

火の国杯争奪戦を制した深谷知広(写真提供:チャリ・ロト)

2024年10月6日(日)熊本12R 開設74周年記念 火の国杯争奪戦(GIII・最終日)S級決勝

※左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①松浦悠士(98期=広島・33歳)
②深谷知広(96期=静岡・34歳)
③脇本雄太(94期=福井・35歳)
④町田太我(117期=広島・24歳)
⑤嘉永泰斗(113期=熊本・26歳)
⑥中川誠一郎(85期=熊本・45歳)
⑦坂井洋(115期=栃木・29歳)
⑧阿部拓真(107期=宮城・33歳)
⑨隅田洋介(107期=岡山・37歳)

【初手・並び】
←④①⑨(中国)②⑧(混成)⑦(単騎)⑤⑥(九州)③(単騎)

【結果】
1着 ②深谷知広
2着 ①松浦悠士
3着 ⑨隅田洋介

400mバンクに生まれ変わった熊本競輪場で初の記念開催

 10月6日には熊本競輪場で、火の国杯争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。全面改修を終えて、今年の7月に400mバンクへと生まれ変わった熊本競輪場。リニューアル後の「初」記念らしく、S級S班が4名も揃うという超豪華メンバーでの開催となりました。この強力メンバーに負けてはいられない… とばかりに気合いが入っていたのが、九州地区の選手たち。地元・熊本勢はとくに注目を集めていましたね。

準決11Rでワンツーを決めた中川誠一郎(8番車)と嘉永泰斗(2番車)(写真提供:チャリ・ロト)

 初日特選は、打鐘前から先行した深谷知広選手(96期=静岡・34歳)の番手で有利に立ち回った、郡司浩平選手(99期=神奈川・34歳)が快勝。後方から豪快に捲り追い込んだ脇本雄太選手(94期=福井・35歳)が2着で、単騎ながら立ち回りの巧さをみせた松浦悠士選手(98期=広島・33歳)が3着という結果でした。脇本選手は、内で包まれて動けないあの位置から、よく2着まで追い上げてきたものですよ。

 どうも調子が上がってこない山口拳矢選手(117期=岐阜・28歳)は二次予選で敗退するも、脇本・深谷・松浦のS級S班3名はキッチリと決勝戦に勝ち上がり。松浦選手はさらに調子を上げてきている印象で、深谷選手も上々のデキでしたね。そして、それ以上にいい仕上がりだったのが脇本選手で、二次予選と準決勝は10秒台の上がりをマークして連勝。文句なしのデキで、絶好調に近い状態だったと思います。

地元・熊本勢は新旧エースが決勝進出

 地元・熊本勢では、中川誠一郎選手(85期=熊本・45歳)と嘉永泰斗選手(113期=熊本・26歳)が勝ち上がり。中川選手は、2022年7月の佐世保以来となるGIII優出です。番組や前を任せた選手に助けられた面があったとはいえ、初日から1着、2着、1着という結果で決勝戦に駒を進めてきたのですから、地元ファンは大盛り上がりだったことでしょう。決勝戦は、嘉永選手が前で中川選手が番手という並びです。

地元ファンに愛される中川誠一郎(写真提供:チャリ・ロト)

 3名が勝ち上がった中国勢の先頭は、町田太我選手(117期=広島・24歳)。オール2着で駒を進めてきたわけですが、主導権を奪って粘り抜いた内容は本当に素晴らしかった。デキだけならば、全出場選手のなかでも一番でしょう。番手は、二次予選と準決勝でも町田選手と連係していた松浦選手。ライン3番手を、隅田洋介選手(107期=岡山・37歳)が固めるという布陣です。

 深谷選手は、阿部拓真選手(107期=宮城・33歳)と即席コンビを結成。阿部選手も、勝ち上がりの過程で調子のよさが感じられた選手のひとりです。こちらは当然、深谷選手が前で、阿部選手が後ろという隊列に。そして単騎で勝負するのが、脇本選手と坂井洋選手(115期=栃木・29歳)の2名で、いずれも強力なタテ脚があるのは言うまでもありません。問題は、単騎でこの相手にどう立ち回るかでしょう。

 車番に恵まれた中国勢は、前受けからの突っ張り先行を目論むはず。先頭を任された町田選手が絶好調モードで、その後ろを回る松浦選手と隅田選手も自力がありますから、ここをすんなり先行させてしまうと手も足も出ないで終わってしまう可能性があります。それを阻むために、他のラインはどのような戦略や戦術をもって臨んでくるのか。それでは、決勝戦の回顧に入っていきましょう。

決勝は中国勢の前受けでスタート

 レース開始を告げる号砲と同時に、1番車の松浦選手と2番車の深谷選手、6番車の中川選手が飛び出しました。ここは最内の松浦選手がスタートを取って、中国勢の前受けが決まります。深谷選手は4番手からで、6番手に単騎の坂井選手。地元・熊本の嘉永選手は後方7番手で、最後方に脇本選手というのが初手の並びです。おおむね、レース前に想定されたとおりの隊列ですね。

赤板で嘉永泰斗(5番車)が先頭に立つ(写真提供:チャリ・ロト)

 後方の嘉永選手が動いたのは、青板周回(残り3周)の2センターから。先頭を抑えにいくのではなく、明確に「斬る」という意志を感じるスピードで、先頭の町田選手に迫っていきます。赤板(残り2周)を通過したところで嘉永選手が前に出ると、町田選手は無理せずいったん3番手に引きますが、打鐘前の2コーナーを回ってから加速。先頭に立った嘉永選手を、すかさず叩きにいきます。

町田太我(4番車)が即座に主導権を奪う(写真提供:チャリ・ロト)

最終ホームで単騎の坂井が動く

 町田選手が外から先頭を奪い返し、中国勢3車が前に出切って打鐘後の2センターへ。嘉永選手は4番手に下げて、深谷選手が6番手に。単騎の坂井選手が8番手、そして離れた最後方が脇本選手という隊列となって、最終ホームに帰ってきます。ここで仕掛けたのが、後方にいた坂井選手。いい加速で一気にポジションを押し上げて、最終1コーナーでは隅田選手の外まで進出しました。

最終ホーム、坂井洋(7番車)が後方から加速(写真提供:チャリ・ロト)

 しかし、町田選手の逃げもかかっているので、坂井選手はそこからが詰められない。最終1センターを回ってバックストレッチに入ったところで、松浦選手は町田選手との車間を少しきって、進路を軽く外に振って坂井選手をブロックしつつ追走します。7番手の深谷選手や、最後方9番手の脇本選手は、まだ動かないまま。そして最終バック手前で、中団の嘉永選手が先に仕掛けました。

最終バック、脇本より先に深谷が捲る

 外から前との差をジリジリと詰める嘉永選手ですが、ここまでに脚を使っているぶん、前を一気に飲み込めるような勢いはありません。隅田選手の外に坂井選手と嘉永選手が並んで、その後ろの最内に中川選手という隊列で、最終バックを通過。そしてここで、最後方の脇本選手よりも先に、深谷選手が7番手から捲り始動。イエローライン付近を力強く加速して、一気に前を射程圏に入れます。

最終2センター、内から隅田(9番車)、嘉永(5番車)、深谷(2番車)が並走(写真提供:チャリ・ロト)

 ここで、坂井選手が力尽きて後退。逃げ粘る町田選手が先頭で、単独2番手に松浦選手。その後ろで内から隅田選手、嘉永選手、深谷選手が並ぶという隊列で、最終2センターを回りました。内を突いた中川選手は進路がなく、最後方の脇本選手は仕掛けが遅れて、いまだに最後方という絶望的な状況。主導権を奪った中国勢が優勢のままで、最後の直線に入りました。

 進路を外に出して、町田選手を差しにいく松浦選手。その後ろから隅田選手も続きますが、そこに外からグイグイと伸びる深谷選手が猛追します。深谷選手は瞬時に隅田選手を抜き去り、松浦選手の外から接近。30m線を過ぎたところで、先頭の町田選手を松浦選手と深谷選手が捉えて、前に出ました。深谷選手マークの阿部選手も追いすがりますが、逆に離されている状況。大外からは脇本選手も迫ってきますが、時すでに遅しです。

 松浦選手の外から並んだ深谷選手は、ゴール直前にもうひと伸び。松浦選手を捲りきったとハッキリわかる態勢で、ゴールラインを駆け抜けました。ゴール後には、力強いガッツポーズも飛び出した深谷選手。これが今年2回目、通算では21回目となるGIII勝利で、節目となる400勝も達成しましたね。2着は松浦選手で、3着は隅田選手。逃げた町田選手が4着と、中国勢にとっては悔しい結果となりました。

素晴らしい伸びで深谷知広(2番車)が1着(写真提供:チャリ・ロト)

 レースを終始リードしていたのは中国勢で、赤板過ぎに嘉永選手をいったんは前に出すも、すかさず叩いて主導権を奪いきることに成功。町田選手の逃げは力強く、かなりかかっていました。そこを「このままではまずい」と坂井選手が果敢に単騎捲りにいったことで、レースが動いた。タラレバになりますが、坂井選手の動き出しがもっと遅かったならば、中国勢が上位を独占していたかもしれません。

深谷は伸びるコース把握していた

 この坂井選手の動きを利して、さらに脇本選手の仕掛けも待って仕掛けた、今回の深谷選手。もっとも伸びるイエローライン付近を通っての捲りも、それを把握した上でやっていたと思いますよ。最後の直線では、マークする阿部選手のほうが突き放されるという素晴らしい伸び。熊本の復興を早くから支援してきた深谷選手の優勝は、地元ファンにとっても喜ばしいものだったでしょうね。

地元ファンも深谷の優勝に沸く(写真提供:チャリ・ロト)

 坂井選手に続いて仕掛けた地元・熊本勢も、存在感を大いに発揮。いい結果こそ出せませんでしたが、町田選手に突っ張らせないスピードで前を斬ったのはお見事で、最終バックで仕掛けてからも、嘉永選手は前との差をジリジリと詰めていました。とはいえ、本当にいい頃ならば、あそこでもっと前に迫れていたはず。夏に病気欠場した影響か、嘉永選手のデキは復調途上といったところでしょうから。

単騎の脇本は「さすがに消極的すぎ」

 エキサイティングで文句なしに面白い決勝戦となりましたが、それだけに残念だったのが、脇本選手の走りです。後方に置かれる展開での捲り不発があると考えてはいましたが、「それでもこのデキの脇本選手ならば」と信じて、ここから勝負したファンは多かったはず。好調な機動型が多いなかでの単騎戦という難しさがあったとはいえ… さすがにあれは消極的すぎました。

 結果論にはなりますが、前にいた坂井選手が仕掛けたときに、連動してついていくのがベストだったでしょうね。坂井選手にスピードをもらっての仕掛けであれば、優勝できた可能性は十分あるはず。あとは、「坂井選手がやったレースを自分がやる」という選択肢もあった。勝てたかどうかはともかく、町田選手を捲りきって先頭に出るところまでは、今回のデキならば確実にいけたと思います。

 しかし、脇本選手は強気にいけずに「待って」しまった。その理由を簡潔にいうならば、この手で優勝できるという自信を持てなかったからでしょう。実際、町田選手を捲りきって先頭に立った後、そのままゴールまで押し切れるかどうかは微妙なところ。守ってくれる味方のいない単騎であることや、松浦選手が切り替えてきそうなこと、後から深谷選手の鋭い捲りが飛んでくることなど、立ちはだかる壁は高いですからね。

大敗喫した脇本雄太(写真提供:チャリ・ロト)

「展開」と「メンタル」の重要さ

 さらにいうと、KEIRINグランプリ出場に向けて優勝賞金を上積みしたい気持ちも、強気な仕掛けに「待った」をかけたかもしれません。優勝を意識した結果、攻めきれなくなって大敗するというのは、よくある話なんですよ。展開待ちになって敗れるという「脇本選手の負けパターン」であるのと同時に、こういったメンタル面の弱さも出ての大敗だったのではないか… というのが、私の推察です。

 輪界“最強”のタテ脚を持つ男が絶好調に近いデキでも、レベルが高くデキのいい相手ばかりになる決勝戦だと、太刀打ちできないことがある。優勝を意識して攻めきれなくなると、逆に脆さが出て大敗してしまう。競輪という競技における「展開」と「メンタル」の重要さが、よく表れた決勝戦でもありましたね。競輪は、自分との戦いに勝てるかどうかが問われる、メンタルスポーツでもあるのです。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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