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不屈の男・金子貴志の奮闘記 〜40代の挑戦〜

【金子貴志の記憶】稲村成浩さんの引退と被災乗り越えた熊本競輪場 改めて感じる“走れるという幸せ”

2024/09/22 (日) 18:00 22

 netkeirinをご覧の皆さんこんにちは、金子貴志です。まだまだ残暑が厳しいですが、皆さん体調にはお気をつけくださいね。

 今回は、先日引退した稲村成浩さんと、再開された熊本競輪場について書いていきたいと思います。

(撮影:北山宏一)

ナショナルチームで一緒だった稲村成浩さん

 稲村さんの引退は、本当にビックリしました。稲村さんは1990年、グリーンドーム前橋で開催された「世界選手権」に出場し、タンデムで齋藤登志信さんと組んで銀メダルを獲得しました。それも2人が高校生のときです。当時中学生だった私は、テレビでたまたま世界選を中継しているのを見て、くぎ付けになりました。

 そしてその後、私と稲村さんはナショナルチームのチームメイトになりました。期間は短かったですが、1998年頃のことです。

 稲村さんはとてもお洒落な人で、ヨーロッパブランドの靴やバッグを身につける姿がとても格好よかったです。デビューしたばかりの私にもたくさん話しかけてくれて、優しい先輩でした。

稲村成浩さん(写真提供:チャリ・ロト)

 その稲村さんが引退。私と一緒で近年は腰痛に苦しんでいたので、最近は競輪場で会うと練習内容などよく情報交換していました。高校生のころからストイックに練習に励み、体を追い込み続けた選手生活だったと思います。ここで引退するというのは本当に難しい決断だったと思いますが、今後は腰を労りながらゆっくり体を休めてもらいたいです。そして、第二の人生も輝かしいものになることを願っています。

熊本地震後の記憶

 前回のコラムでも少し触れましたが、再開した熊本競輪場を走ってきました。

 2016年4月14日、熊本地震が発生し甚大な被害が出ました。熊本競輪場もスタンドはガラスが割れ、バンクは亀裂が生じ、検車場もひどく変わり果ててしまいました。

地震により崩落した壁と亀裂が入ったバンク(本人提供)
ガラスが割れ、ブルーシートで覆われたスタンド(本人提供)

 当時、私は深谷に誘われてチャリティーイベントに参加しました。その時初めて、被害の大きさを目の当たりにして非常にショックを受けました。大変な状況のなか行われたイベントでしたが、多くのファンの方が集まってくれて逆に私たちが励まされたのを覚えています。

熊本地震後にチャリティーイベントに参加(本人提供)

 熊本のファンは熱い方が多くて、地震以前から私が参加した時に大きな声援をくれました。お陰で成績も良かったですし、相性が良く好きなバンクでした。

 そして7月20日、熊本競輪がついに再開。私は26日からのモーニング開催に参加してきました。地元選手にとって、この8年という期間はどんなに長かったことでしょう。中川誠一郎君にも時々状況を聞いていましたが、無事に再開され、10月には待ちに待った熊本競輪場での熊本記念が行われるということで、心からよかったと思います。

被災前の面影残る熊本競輪場

 熊本競輪場は以前500バンクで直線が長く“滑走路”と呼ばれており、後ろからでも最後は届く感じがあって好きでした。再開後は400バンクとなり少しさみしさがありましたが、実際に走ってみると直線が長くコーナーが短いところは以前のバンクの雰囲気が残っていると感じました。

被災前の面影を残して再開された熊本競輪場(編集部撮影)

 改修してまったく別の競輪場に生まれ変わることもありますが、熊本競輪場はオーロラビジョンの下に残る500バンクの跡や以前からある建物など、ところどころに被災前の面影が残っていました。施設は、宿舎、検車場、控え室、トイレ、シャワーと新しく綺麗になっていましたが、建物は昔のものと同じで懐かしく感じました。

走れることは当たり前ではない

 熱いファンが多いことも変わっておらず、モーニングでも朝からファンの方々が「金子、頑張れよ」と声をかけてくれました。後からレースダイジェストを見ても声援がよく聞こえ、地元選手にとっては一段と気持ちが入ることでしょう。再開までには廃止する案もあったと聞きましたが、このように盛り上がり「再開して良かった」と多くの人が感じていたらいいなと思います。

熊本競輪場(編集部撮影)

 私のホームバンクである豊橋も、廃止論もあったなかで建て直した経緯があります。競輪業界の状況がいいときも、そうでないときも、たくさんの人に支えられて走ることができているのだと改めて感じました。

 今回は車で行きましたが、街並みもとても栄えていて以前よりも活気があるように思えました。かなり復興したように見える今にいたるまで、どれほど多くの方の苦悩や苦労があったことかと頭が下がります。私たち選手は、走ること、競走に参加できることは当たり前じゃないとしっかり思わなければなりません。走れることは幸福なのだということです。

「走れる幸せ」を噛み締めて(撮影:北山宏一)

旅打ちにもってこいの街・熊本

 私は同期で熊本出身の友田雄介君(引退、現日本競輪選手養成所教官)と仲が良く、レース後にはよく食事に行ったりしていました。食べ物が美味しいところも熊本の魅力です。名物の馬肉は馬刺しでも焼き肉でも最高で、旅打ちにはもってこいだと思います。人の温かさを感じる土地で、一度訪れたらきっと好きになると思います。皆さんもぜひ一度熊本を訪れてみてください。

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金子貴志

Kaneko Takashi

愛知県豊橋市出身。日本競輪学校75期卒。2013年には寛仁親王牌と競輪祭を制し、同年のKEIRINグランプリでも頂点に。通算勝利数は500を超え、さらには自転車競技スプリント種目でも国内外で輝かしい成績を収めている。またYoutubeをはじめSNSでの発信を精力的に行い、キッチンカーと選手でコラボするなどホームバンクの盛り上げにも貢献。ファンを楽しませることを念頭に置き、レース外でも活発に動く中部地区の兄貴的存在。

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