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山田裕仁のスゴいレース回顧

【北条早雲杯争奪戦 回顧】ファン目線と選手目線での“違い”

2024/08/28 (水) 18:00 39

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが小田原競輪場で開催された「北条早雲杯争奪戦」を振り返ります。

北条早雲杯争奪戦を制した郡司浩平(写真提供:チャリ・ロト)

2024年8月27日(火)小田原12R 開設75周年記念 北条早雲杯争奪戦(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①郡司浩平(99期=神奈川・33歳)
②脇本雄太(94期=福井・35歳)
③松井宏佑(113期=神奈川・31歳)
④阿部拓真(107期=宮城・33歳)
⑤北井佑季(119期=神奈川・34歳)
⑥松坂洋平(89期=神奈川・42歳)
⑦和田真久留(99期=神奈川・33歳)
⑧新村穣(119期=神奈川・30歳)
⑨鈴木裕(92期=千葉・39歳)

【初手・並び】
←⑧⑤③①⑦⑥⑨(南関東)②④(混成)

【結果】
1着 ①郡司浩平
2着 ③松井宏佑
3着 ⑦和田真久留

初日から存在感を発揮した地元・神奈川勢

 8月27日には神奈川県の小田原競輪場で、北条早雲杯争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。南関東では平塚・オールスター競輪(GI)に続いてのグレードレース開催で、S級S班からは佐藤慎太郎選手(78期=福島・47歳)と脇本雄太選手(94期=福井・35歳)の2名が参戦。オールスター競輪の最終日に落車した松浦悠士選手(98期=広島・33歳)は、骨折などはなかったようですが、体調不良で残念ながら欠場となりました。

 期するものがあったのは、やはり地元である神奈川の選手。オールスター競輪の決勝戦でファンの期待に応えられなかった郡司浩平選手(99期=神奈川・33歳)や松井宏佑選手(113期=神奈川・31歳)、優出を逃した北井佑季選手(119期=神奈川・34歳)などは、いつも以上に気合いが入っていたことでしょう。地元・神奈川勢は、初日特選に4名が出場。ひとつのラインに結束して勝負してきました。

 ここは、先頭を任された松井選手が前受けから果敢に先行。赤板(残り2周)から仕掛けた脇本選手や、捲ってきた小林泰正選手(113期=群馬・30歳)などの追撃を退け、松井選手の番手から差した北井選手が1着でゴールインしました。2着が郡司選手で3着が松井選手、さらに4着も和田真久留選手(99期=神奈川・33歳)と、ラインによる上位独占を決めています。

 さすがは地元という走りで、短走路で捲りが決まりづらいという、小田原バンクの特徴を生かした走りができていましたよね。カントが非常にキツいので、コーナーで外から捲るのは容易ではない。「前受けから突っ張って先行」という現代競輪における“勝ち”のセオリーが、これほど有効に機能するバンクも珍しいでしょう。その後の二次予選や準決勝でも、神奈川勢はおおいに存在感を発揮していました。

 初日特選では9着に大敗した脇本選手も、二次予選と準決勝は、いずれも1着で決勝戦に勝ち上がり。元ナショナルチームというのもあるのか、脇本選手は短走路を得意としているような印象があります。打鐘から素晴らしいスピードで捲った準決勝での走りはじつに力強く、デキも上々である様子。佐藤選手は残念ながら二次予選で5着に敗れて、優出を逃しています。負け戦での結果から考えるに、ややデキ落ちだったかもしれませんね。

決勝は南関7車VS脇本-阿部の混成ライン

決勝に進出した神奈川6選手。(後列左から時計回りに)和田真久留、郡司浩平、松坂洋平、松井宏佑、北井佑季、鈴木裕(写真提供:チャリ・ロト)

 結局、地元・神奈川勢は決勝戦に大挙6名が勝ち上がり。しかも、ひとつのラインにまとまっての勝負を選択しました。先頭を任されたのは新村穣選手(119期=神奈川・30歳)で、番手は北井選手。松井選手は、選手生活で初となる3番手を回ります。郡司選手が4番手で、和田選手が5番手。そして6番手を回る松坂洋平(89期=神奈川・42歳)の後ろに、同じ南関東の鈴木裕選手(92期=千葉・39歳)がつきます。

圧倒的劣勢で決勝を戦うことになった脇本雄太(写真提供:チャリ・ロト)

 もうひとつのラインは脇本選手が先頭。番手には、これが初連係となる阿部拓真選手(107期=宮城・33歳)がつきました。ラインができたこと自体はプラスに働くでしょうが、いくらデキがよさそうな脇本選手といえども、7車と2車の二分戦はさすがに分が悪い。しかも脇本選手は、この相手でも「タテ脚での真っ向勝負」を選ぶでしょうからね。捌かれるリスクがないというのは、南関東勢にとってかなり大きいはずです。

 この「南関東7車連係」は、ファンの間でも大きな話題となったようですね。しかも、やろうと思えば二段駆けどころか、三段駆けや四段駆けまで可能な並び。競輪が個人戦ではなくチーム戦である以上、普通に考えれば初日特選と同様、南関東勢の圧勝でしょう。では果たして、実際に決勝戦はどのような展開となったのか…それではそろそろ、レース回顧に入っていくことにしましょう。

1番車の郡司がスタート決め南関勢が前受け

 レース開始を告げる号砲が鳴ると同時に、いいダッシュをみせたのが1番車の郡司選手と、4番車の阿部選手。ここは内の郡司選手がスタートを取りきって、南関東勢の前受けが決まります。新村選手が先頭に立ち、脇本選手は後方8番手からという、予想された通りの初手の並びとなりました。そして、青板(残り3周)周回のバックで先頭誘導員が離れると同時に、新村選手が前へと踏み込みます。

南関7車の後方に脇本ら混成2車ライン。一列棒状のまま赤板へ(写真提供:チャリ・ロト)

 一列棒状のままで赤板を通過して1センターを回って、バックストレッチに進入。そして、レースが打鐘を迎えるのと同時に、後方の脇本選手が仕掛けました。しかし、その急加速に番手の阿部選手はついていけず、打鐘後の2センターでは進路を内に切り替え、空いていた南関東勢の懐に突っ込んでいきます。ここで先頭の新村選手が力尽き、2番手の北井選手に早々とバトンが渡されました。

打鐘過ぎ4コーナー。脇本(黒)が仕掛け、番手の阿部(青)は内へ進路を切り替える(写真提供:チャリ・ロト)

 捲りにいった脇本選手が外からジリジリと差を詰め、和田選手の外併走で最終ホームを通過。内に進路をとった阿部選手は、松坂選手の内を併走しています。最終1センターを回ってバックストレッチに入ったところで、外の脇本選手と内をついた阿部選手がそれぞれ和田選手の前に出ますが、ここで脇本選手は力尽きて失速。内の阿部選手は和田選手を捌きにいくも、こちらもここで脚をなくしてしまいます。

最終ホーム。南関ラインは新村(桃)に代わり北井(黄)が先行(写真提供:チャリ・ロト)

 これで、ライン戦における南関東勢の勝利が確定。しかし、後方から迫っていた脇本選手のプレッシャーに反応したのか、番手にいた松井選手が仕掛けて、まだ脚が残っていそうな北井選手に外から迫ります。最終3コーナーでは、北井選手と併走でもがき合う態勢に。その直後には郡司選手が追走し、少し離れて和田選手や松坂選手が続くという隊列で、最終2センターを回ります。

 ここで松井選手が先頭に立ち、内で粘る北井選手と外の郡司選手がその直後を併走。その後ろからは和田選手が差を詰め、前の4車が一団となって最後の直線に向きました。松井選手の早仕掛けによって、絶好の展開となった郡司選手。松井選手との差を少しずつ詰めて、キッチリ差し切ったところがゴールラインでした。昨年に続く連覇達成で、小田原記念はこれで通算5回目の優勝となります。

郡司(白)が松井(赤)を差し切り1着。通算5度目の小田原記念制覇(写真提供:チャリ・ロト)

 2着は松井選手で、接戦となった3着争いは和田選手が競り勝っていましたね。ライン3番手〜5番手で決まったというのもあって、3連単は5,220円と意外なほど高い配当となりました。阿部選手が7着で脇本選手は8着という結果で、“最強”と称される存在であっても、ここはやはりキツかった。脇本選手としても「この条件下でやれることはやった」という気持ちが強いでしょうね。

ファン目線では「面白くない」並びだが...

 さて…この決勝戦については、さまざまな意見があって当然だと思います。「南関東7車連係」はレース前から物議を醸したようで、ネット上ではその是非をめぐって、多くの方が意見を述べられていますね。“興行”として考えた場合に面白いか面白くないかでいえば、そりゃあ「面白くない」ですよ。ファンがワクワクして、手に汗を握るような展開になるとすれば、脇本選手が南関東勢の思惑を粉砕するケースだけでしょうから。

 別ラインの先頭が脇本選手だったのがまだ救いで、これが並の一流選手であれば、さらに面白味のない決勝戦になっていたはず。ただし、脇本選手が勝ち上がっていなかった場合にも南関東勢が7車連係を選んでいたかどうかは、実際のところわかりません。この場合、自分にも優勝できるチャンスが欲しいと考えた選手が、別線で戦うと主張していた可能性もゼロではないと思います。

 しかし、結果として南関東勢は7車連係を選んだ。ファン目線だと、これはつまらない選択、自分が優勝するチャンスをみすみす捨てている選択にみえるかもしれませんが、選手目線だと「けっこう自然な話」なのですよ。現在の南関東や神奈川は選手の関係性がよく、いい空気を共有している感がありますから、なおさらです。記念の決勝で「同県」の仲間が分かれて戦うという考えは、基本的にはなかったのでしょう。

 同県であっても、仲がよくないならば話は別です。実際、私が現役のときにも、選手層は厚いのに仲が悪く、強さのわりに与し易い印象の県や地区がありましたからね(笑)。そういった例外をのぞき、同県ならば連係するのが自然というのが、選手目線での考え方。しかも今回の神奈川勢は、郡司選手や北井選手、松井選手といった、南関東や神奈川に貢献大の選手ばかり。だからこそ、話がまとまったともいえます。

 選択の余地があったとすれば神奈川勢ではなかった鈴木選手ですが、だからといって脇本選手の後ろは回れませんよね。単騎で脇本選手の番手を奪いにいく手もありますが、わざわざ競りにいくタイプでもないので、それも厳しい。となれば、南関東ラインの最後尾を固めるしかない…というのが、選手目線で考えた結果。一人の競輪ファンとしては「面白くない」と思いつつも、元選手としては「それも致し方なし」と感じる。それが、私の立ち位置からの感想ですね。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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