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村上義弘 全ては競輪から教わった

【村上義弘が走り続ける理由】自分を成長させてもらったファンの期待に応えたい

2021/07/28 (水) 18:00 27

KEIRINグランプリ2勝、日本選手権競輪4勝を含む特別競輪13勝。46歳の今もなお、近畿の柱として存在感を放ち続ける村上義弘選手。競輪界のレジェンドはどのようにして誕生したのか。その原点を探るべく村上義弘ヒストリーを3回に分けてお送りします。第3回目はGI初制覇後から、自分に付けられたキャッチフレーズ、ファンへの想い、後輩たちに伝えたいことを語ります。

自分へ付けられたキャッチフレーズに対して当初は…(撮影:桂伸也)

「先行日本一」「魂の走り」…キャッチフレーズに対する自分の想い

 前回は、1994年にデビューしてから9年目、2002年11月に全日本選抜競輪で優勝し、初めてGIタイトルを獲得したことまでを書いた。それは、中学時代から抱いてきた「日本一の競輪選手になる」という大きな目標を、ついに達成した瞬間でもあった。

 その後も、競輪漬けの日々を送り、ただひたすらに走り続けた結果、KEIRINグランプリを2回、日本選手権競輪を4回、オールスター競輪を1回制覇。これまで合計で8回、日本一になることができた。

 そうした中、かつて競輪ファンから中野 浩一さん(35期)が「ミスター競輪」、滝澤正光さん(43期)が「怪物」と呼ばれたように、いつしか自分にも、競輪選手としてのキャッチフレーズが付けられるようになった。

 その代表的なものが、「先行日本一」と「魂の走り」だろう。

 最初はマスコミ関係者が記事や見出しなどにしてくれて、それをきっかけに、ファンの間でも定着していったと思う。

 自分としても、中学時代から、滝澤さんが徹底して先行する姿に憧れ、競輪選手になってからも、先行にこだわり続けてきたし、レースでは必ず、魂を込めてペダルを漕いできた。それだけに、そんなふうに呼んでもらえることは、ありがたいとしか言いようがない。

 しかし、20代の頃にキャッチフレーズを付けられた当初、とまどいを感じたのも事実だ。なぜなら、自分自身、それに見合うだけの実力を備えているとは思っていなかったからだ。「ああ、ずいぶん高く評価されてしまったな……」というのが本音だった。

 ただ、逆にそのおかげで、「日本一の競輪選手になる」という目標はあったとはいえ、どこかぼんやりしていた、自分が目指すべき競輪選手の理想像が定まったのは間違いない。

「ファンの人たちは、俺に対して、そんなふうに期待してくれているのか。だったら、自分をそこに近づけていくことが一番なんじゃないか!」

 そうした気持ちを抱かせてくれた、「先行日本一」と「魂の走り」というキャッチフレーズがあったからこそ、競輪選手としての自分を作っていくことができた。つまり、“ファンあってこその村上義弘”と言っても過言ではないだろう。

初のドリームレース出場、新聞で自分の名前を目にして大騒ぎ

オールスター競輪、ファン投票での出場はこの上ない喜び(撮影:桂伸也)

 そんな自分が、ファンの存在の大切さを最も強く感じたのは、2002年のオールスター競輪に出場した28歳のときだ。GIで唯一ファン投票が行われることで知られるオールスター競輪は、1位から9位までの選手がドリームレース、10位から18位までの選手がオリオン賞に出走する権利を獲得する。

 当時の自分はデビュー9年目。GIで優勝したことはなかったが、その年の日本選手権競輪と寛仁親王牌競輪では決勝に進出していた。だから、実績的に、さすがにドリームレースは無理としても、オリオン賞には選ばれるのではないかと、密かに期待していた。

 しかし、ファン投票の結果が掲載された新聞を手に取り、オリオン賞のメンバーを見ると、残念ながら、選ばれていなかった。

 「ああ、ダメだったか……。そうはうまくいかないな」

 落胆しながら、とりあえずドリームレースのメンバーの方に目を移してみたところ、驚くべき文字が飛び込んできた。

 なんと、そこにあったのだ、村上義弘という名前が!

「おおーっ、7位に入ってるじゃないか! ついにドリームレースに出走できるぞ!」

 そのときはもう、自宅で大騒ぎするしかなかった。そして、投票してくれたファンのことを思い浮かべると、いまだかつてないほど、胸に熱いものが込み上げてきたことを覚えている。

 その後も、ドリームレースに15回選んでもらい、そのうちファン投票1位は3回。これは、競輪選手として、このうえない誇りであり、プロである以上、ファンの期待を裏切ってはいけないという責任感を、より強く感じさせてくれたことでもある。

車券を買ってくれたファンに納得してもらえるのがプロ

 こうしたファンの存在の大切さについては、日頃から、後輩の選手たちにも伝え続けてきた。特に、レースでなかなか力が発揮できない選手に対しては、ファンと車券を例に挙げて、こんなふうに口にすることが多い。

「アマチュアは、自分の勝ち負けだけを考えていればいいが、プロは違う。ファンが、お前のために自分のお金で買った車券を握りしめて、『頑張れ、頑張れ!』と応援してくれるんだ。勝負だから、勝つこともあれば負けることもあるが、どんな結果になっても、ゴールするまで全力を尽くさないといけない。たとえば、お前がファンの立場で、お前自身の車券を握りしめていたとする。そのとき、お前のレースを最後まで見て、その走りや結果に対して納得できたのかどうか。それを常に頭に入れておくことが重要なんだぞ」

 もちろん、そうした言葉が心に響く選手もいれば、すぐには響かない選手もいる。それでも、口を酸っぱくして言い続けているうちに、明らかに成長が見られた選手がいると、こちらとしても応援したくなるものだ。まあ、そこで褒めることができないのが、自分の悪いところでもあるのだが……。

成長を遂げた選手を見ると応援したくなる(撮影:島尻譲)

 8月10日から15日までの6日間、いわき平競輪場で第64回オールスター競輪が開催される。ファン投票13位の自分は、オリオン賞への出走が予定されている。投票してくれたファンの期待に応えるためにも、「魂の走り」を胸に、最後まで全力を尽くすつもりだ。(取材・構成:渡邉和彦)

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村上義弘 全ては競輪から教わった

村上義弘

Yoshihiro Murakami

1974年京都府生まれ、花園高出身。日本競輪学校73期卒。代名詞は「先行日本一」「魂の走り」。KEIRINグランプリ2勝、日本選手権競輪4勝を含む特別競輪13勝。実績だけでなく競輪に向き合う姿勢や常に全力を尽くすレーススタイルは、選手・ファンから絶大の信頼を得ている。ファンの存在を大切にし続ける競輪界のレジェンド。

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