2024/04/01 (月) 18:00 35
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが武雄競輪場で開催された「大阪・関西万博協賛競輪」を振り返ります。
2024年3月31日(日)武雄12R 第8回大阪・関西万博協賛競輪(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①山田庸平(94期=佐賀・36歳)
②浅井康太(90期=三重・39歳)
③菅田壱道(91期=宮城・37歳)
④朝倉佳弘(90期=東京・43歳)
⑤小倉竜二(77期=徳島・47歳)
⑥仁藤秀(117期=静岡・25歳)
⑦山口敦也(113期=佐賀・26歳)
⑧菅原大也(107期=神奈川・32歳)
⑨町田太我(117期=広島・23歳)
【初手・並び】
←①⑦(九州)③(単騎)②④(混成)⑨⑤(中四国)⑧⑥(南関東)
【結果】
1着 ①山田庸平
2着 ⑤小倉竜二
3着 ⑨町田太我
3月31日には佐賀県の武雄競輪場で、大阪・関西万博協賛競輪(GIII)の決勝戦が行われています。いわゆる「記念」ではないGIIIで、S級S班は誰も出場していませんでしたが、なかなかいいメンバーになったんですよね。注目株は、ここまで3連続優勝と絶好調モードの浅井康太選手(90期=三重・39歳)や、松阪のS級シリーズを逃げ切って優勝してきた地元代表の山田庸平選手(94期=佐賀・36歳)あたりでしょう。
そんな両者がぶつかった初日特選でしたが、ここを制したのは主導権を奪ってそのまま逃げ切った町田太我選手(117期=広島・23歳)。打鐘前から動いての主導権奪取でしたが、かかりのいい逃げで後続を完封。町田選手マークの小倉竜二選手(77期=徳島・47歳)とワンツーを決めるという、素晴らしい滑り出しをみせます。自力で勝負した浅井選手は4着、山田選手は8着という結果でした。
町田選手は二次予選でも逃げ切って1着をとり、準決勝では連係した小倉選手に差されるも2着を死守。これなら決勝戦を逃げ切っても不思議ではない…と思わされるほど、デキのよさが目立っていましたね。浅井選手も、二次予選が1着で準決勝が2着という結果で勝ち上がり。初日特選で敗れたとはいえ相変わらず動きはよく、このところの好調モードをしっかり維持できている様子がうかがえました。
それとは対照的に、目立つほどのデキだと私には感じられなかったのが山田選手。二次予選では1着をとりましたが、準決勝は「ギリギリ食い込んだ」といった内容での3着で、動きは前節のほうが格段によかった印象なんですよ。ここを目標に身体をつくってきたつもりが、手前でピークを迎えてしまったのでは…という懸念があり、しかも決勝戦は自力での勝負に。ちょっと厳しい戦いになりそうだというのが、レース前の見立てでした。
ラインが4つに単騎が1名という、コマ切れ戦となった決勝戦。九州勢の先頭は前述したように山田選手で、番手を同県の山口敦也選手(113期=佐賀・26歳)が回ります。1番車をもらえたのは大きな強みですから、地元の意地をみせるためにも、それを活かせる立ち回りをしたいところ。主導権を奪いそうな中四国勢が2車ラインとなったのも、山田選手にとっては追い風といえるでしょう。
中四国勢は、当然ながら町田選手が先頭で、番手が初日特選や準決勝でも連係していた小倉選手という組み合わせ。デキのいい先行選手とうまいマーク選手の組み合わせで、町田選手はここも徹底先行の構えでしょうから、その力をいかにそぐかが他のラインのテーマとなりそうです。とはいえ町田選手にも、車番に恵まれなかったことやコマ切れ戦となったことで、どのようにうまく逃げるかという課題があります。
南関東勢は、菅原大也選手(107期=神奈川・32歳)が先頭で、番手に仁藤秀選手(117期=静岡・25歳)という組み合わせ。ラインとしての総合力はちょっと見劣りますが、どちらも自力があるので、菅原選手が果敢に主導権を奪いにいっての二段駆け…というシナリオがなくはないんですよね。菅原選手はこれが初となるGIIIの決勝戦進出ですから、気合も入っているはず。いい走りを期待しましょう。
浅井選手は、同期である朝倉佳弘選手(90期=東京・43歳)との即席コンビを結成。立ち回りのうまさには定評がある選手で車番も悪くないですから、主導権を奪ったラインの直後につけての捲りを狙ってくるでしょう。そして唯一の単騎勝負が、菅田壱道選手(91期=宮城・37歳)。コマ切れ戦のここなら展開ひとつで優勝が狙えそうで、単騎だからといって軽視はできませんよね。なかなか面白く、難解なメンバー構成です。
では、決勝戦の回顧に入りましょう。レース開始の号砲が鳴って、まずスタートを取ったのは1番車の山田選手。九州勢の前受けが決まり、その直後には単騎の菅田選手がつけました。浅井選手が4番手で、町田選手が6番手。最後方8番手に菅原選手というのが、初手の並びです。後ろ攻めとなった南関東勢が、ここからどう動くか。それ次第で、展開が大きく変わりそうです。
後方の菅原選手が動いたのは、青板(残り3周)周回のバックから。少しポジションを上げて、外から町田選手の動きを抑えにいきます。それならば…と町田選手はポジションを下げて、後方8番手に。南関東勢と中四国勢の位置が入れ替わって、赤板(残り2周)を通過しました。次は後方となった町田選手が動くかと思いきや、その前に菅原選手が再び動いて、先頭の山田選手を斬りにいきました。
この動きに連動して、仁藤選手の後ろにつけていた町田選手。打鐘の手前から前に踏み込み、菅原選手を叩いて主導権を奪いにいきます。先頭だった山田選手は、抵抗せずに引いて5番手に。ここでレースは打鐘を迎えて、菅原選手と町田選手がもがき合いながら打鐘後の2センターを通過。ここで町田選手と小倉選手が先頭に出切って、一列棒状となって最終ホームに帰ってきます。
後方に置かれるカタチとなった浅井選手が最終1センターから仕掛けますが、先頭でガンガン飛ばす町田選手がかかっているのもあって、前との差をなかなか詰められません。そしてバックストレッチに入ったところで、今度は5番手の山田選手が捲り始動。ここまでうまく脚を温存できていたのもあって、素晴らしいダッシュで一気に南関東勢を飲み込んで、中四国勢を射程圏に入れました。
そのままグングン加速する山田選手は、最終3コーナー手前で小倉選手の外に並びかけますが、小倉選手はこれをブロックできません。その後方では、山田選手の鋭いダッシュについていけず、番手の山口選手が離れてしまっています。さらにその後方では、浅井選手が外を回って前を追いますが、前まで届くかどうか。菅原選手マークの仁藤選手は、切り替えて内の最短コースを突きます。
最終2センターでは山田選手が町田選手の外に並び、内外併走で最後の直線へ。その後ろからは小倉選手が前を追い、内から最短コースを抜けてきた仁藤選手が4番手に浮上します。外を回った浅井選手はいまだ7番手と、これはもう届きそうにない。最後の直線の入り口で山田選手が町田選手を捲りきって、単独先頭に立ちます。それを外から小倉選手が追い、町田選手を捉えるも、山田選手との差は詰まりません。
その後ろでは、外から山口選手が接近してきたことで、その内を回っていた仁藤選手と菅原選手が接触。ゴール直前で、この両者が落車してしまいます。その外、イエローライン付近を通っていた浅井選手がようやく伸びてきますが、粘る町田選手を捉えられるかどうかといった態勢。前の状況はほとんど変わらず、中団から豪快に捲りきった山田選手が、そのまま先頭でゴールラインを駆け抜けました。
2着は小倉選手で、逃げた町田選手が粘りきって3着。後方に置かれる展開となった浅井選手は、4着まで差を詰めるのが精いっぱいでしたね。菅原選手との主導権争いで脚を使わされる展開になったとはいえ、町田選手の逃げはかなりかかっていたはず。それを一気の脚で捲りきったのですから、山田選手は強い競輪をしていますよ。「地元3割増し」という競輪格言の正しさを、改めて痛感しましたね。
なぜ痛感したかといえば、それは私が山田選手についての評価を見誤っていたからです。デキのよさを理由に浅井選手のほうを上に評価していたわけですが、山田選手もこのシリーズのなかで、再びしっかりと調子を上げてきていた。そうでなければ、あれほど鋭い捲りは打てませんからね。あの捲りの鋭さだと、無理にブロックにいくのは危ないと小倉選手も判断したのでしょう。
初日の段階ではいまひとつだったデキを、シリーズで戦いながらしっかりと立て直せる「コンディショニング」の技術。これがあるのも、超一流や一流と呼ばれる選手が安定した結果を残せる理由のひとつです。そして、このシリーズでの山田選手は、最終日にそれをキッチリ間に合わせることができた。これが、うれしい地元でのGIII初優勝につながったといえるでしょう。それを事前に見抜けなかったのが悔やまれます。
町田選手もいい走りをしていましたが、どうも決勝戦になると、あと一歩が足りないという結果が続いていますね。もっと活躍できるだけのポテンシャルがあると感じるだけに、ちょっと歯がゆいというか。彼の課題である「逃げ方の幅」についても、少しずつ成長してきているとは思うのですが、もうひと皮むけてほしいところ。まだ23歳という若さなのですから、まだまだ上を目指せるはずです。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。