2024/01/29 (月) 18:00 45
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんがいわき平競輪場で開催された「いわき金杯争奪戦」を振り返ります。
2024年1月28日(日)いわき平12R 開設73周年記念 いわき金杯争奪戦(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①新田祐大(90期=福島・38歳)
②井上昌己(86期=長崎・44歳)
③嘉永泰斗(113期=熊本・25歳)
④神田紘輔(100期=大阪・37歳)
⑤新山響平(107期=青森・30歳)
⑥窓場千加頼(100期=京都・32歳)
⑦山田庸平(94期=佐賀・36歳)
⑧伊藤旭(117期=熊本・23歳)
⑨佐藤慎太郎(78期=福島・47歳)
【初手・並び】
←⑥④(近畿)⑦②(九州)③⑧(九州)⑤①⑨(北日本)
【結果】
1着 ①新田祐大
2着 ⑥窓場千加頼
3着 ⑦山田庸平
1月29日には福島県のいわき平競輪場で、いわき金杯争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。あいにくの強風に見舞われたのもあって、シリーズ初日から超高配当のオンパレード。十万車券がこれほどバンバン出たシリーズというのは、ちょっと記憶にないほどですよ。本命党はもちろん、大穴党でも手が届かないような決着のレースが多かったですから、かなり苦戦した方が多かったのではないでしょうか。
出場メンバーは「超」が付くほどの豪華さで、近畿からは脇本雄太選手(94期=福井・34歳)と古性優作選手(100期=大阪・32歳)のツートップが参戦。和歌山記念を病気欠場していた山口拳矢選手(117期=岐阜・28歳)も、今年はここから始動します。それらを迎え撃つ北日本も、佐藤慎太郎選手(78期=福島・47歳)に新山響平選手(107期=青森・30歳)、新田祐大選手(90期=福島・38歳)など超強力です。
初日特選は、特別競輪の決勝であっても不思議ではないメンバー。ここは、北日本の4車連係をものともせずに、脇本選手が6番手から力強く捲って快勝しています。しかし、脇本選手は二次予選で落車棄権となり、3日目以降を欠場。さらに古性選手も準決勝で僅差の4着に敗れて、勝ち上がりを逃しています。また、山口選手も準決勝で7着に敗退。決勝戦に駒を進めたS級S班は、佐藤選手と新山選手の2名となりました。
北日本勢は新田祐大選手(90期=福島・38歳)も決勝戦に勝ち上がり、タイトルホルダー3名による豪華な連係に。先頭を任されたのは新山選手で、番手を回るのが新田選手。3番手を固めるのが佐藤選手という並びとなりました。自分の後ろがいずれも地元・福島の選手ですから、新山選手は「ラインから優勝者を出す走り」をしてくるでしょうね。ほかに徹底先行タイプが見当たらないので、主導権は奪いやすいはずです。
4名が勝ち上がった九州勢は、ひとつのラインに結束はせずに別線を選択。近況が絶好調で、昨年末には広島記念で優勝している山田庸平選手(94期=佐賀・36歳)は、井上昌己選手(86期=長崎・44歳)とのコンビで挑みます。そして嘉永泰斗選手(113期=熊本・25歳)は、高校の後輩でもある伊藤旭選手(117期=熊本・23歳)とタッグを組んでの勝負に。機動力のある嘉永選手がどう動くかで、展開はかなり変わりそうですね。
最後に、2名が勝ち上がった近畿勢。こちらは、窓場千加頼選手(100期=京都・32歳)が前を任され、その番手を神田紘輔選手(100期=大阪・37歳)が回ります。これが二度目のGIII決勝戦進出となる窓場選手は、デキのよさが際立っていた選手のひとり。相手関係は言うまでもなく強力で、車番にも恵まれなかったのでレースの組み立てが難しいですが、四分戦ならば立ち回り次第で上位争いも可能でしょう。
このメンバーだと新山選手がすんなりと主導権を奪える展開もありそうですが、他のラインの先頭がいずれも好調モードなんですよね。しかも機動力もあるとなれば、北日本は決して楽ではない。嘉永選手が機動力を駆使して乱戦に持ち込む…といったケースもありそうで、展開を読むのがなかなか難しい。ある意味、大波乱の連続だったシリーズの締めくくりにふさわしい決勝戦となりました。
それでは、回顧に入りましょう。レース開始を告げる号砲が鳴って、飛び出していったのは4番車の神田選手と2番車の井上選手、6番車の窓場選手。車番に恵まれなかった近畿勢は、初手での前受けを狙っていたのでしょう。逆に、車番的に有利だった北日本勢は、スタートを取りにいく気配なし。結局、スタートは4番車の神田選手が取りきって、近畿勢の前受けが決まります。
その直後の3番手に山田選手がつけて、5番手に嘉永選手。北日本勢は意外にも、後方7番手からの後ろ攻めとなりました。前受けからの突っ張り先行が多い新山選手にしては珍しい選択で、レース後にコメントを確認したところ、これはレース前に立てたプラン通りだったようですね。そんな新山選手が動き出したのは、青板(残り3周)周回の3コーナー過ぎからでした。
ゆっくりと後方から進出を開始した新山選手ですが、5番手にいた嘉永選手がそれに先んじて動いて、こちらも前に。3番手にいた山田選手は伊藤選手の後ろに切り替えて、後を追います。窓場選手と嘉永選手がほぼ併走の状態となり、先頭で赤板(残り2周)を通過。窓場選手は軽く突っ張って先頭を主張し、嘉永選手もそこを強引に斬りにはいかず、様子見の状況に。そこに大きく外を回って、新山選手が接近します。
外に意識がいっている先頭の窓場選手は、イエローライン付近を走行。赤板後の1センター過ぎ、ぽっかりと空いていた内をすくって、今度は山田選手が先頭に立ちます。窓場選手が3番手で、その外には新山選手が先頭の北日本勢。嘉永選手が後方8番手という隊列に変わって、打鐘前のバックストレッチへ。ここで、新山選手が山おろしを使って一気に加速して、先頭を奪いにいきました。
新山選手が山田選手をかわして先頭に立ったところで、レースは打鐘を迎えます。打鐘後の2センターでは北日本3車が前に出切って、一列棒状の隊列に。そして、そのまま最終ホームに帰ってきます。ここで動いたのが、後方に置かれるカタチとなっていた嘉永選手。挽回を期して早めに捲りにいきましたが、先頭で逃げているのが新山選手なのですから、前との差はそう簡単には詰まりません。
嘉永選手は、最終1センター過ぎで6番手の窓場選手に外から並びかけますが、そのタイミングに合わせて窓場選手も捲り始動。仕掛けを合わされた嘉永選手は、ここで脚が止まってしまいます。しかし、窓場選手の番手にいた神田選手は、ダッシュについていけず連係を外して後方に。嘉永選手の番手にいた伊藤選手は、ここで自力に切り替えて前を追って、先頭集団の後ろに取りつこうとします。
それとほぼ同じタイミング、最終バック通過と同時に仕掛けたのが、中団にいた山田選手。ここまでにかなり脚を使っていたはずなのですが、それを感じさせない鋭い加速で、前にいる北日本勢に襲いかかります。山田選手は佐藤選手の外を一瞬でパスして、一気に先頭まで飲み込みそうな勢いで、新田選手の外まで進出。新山選手の脚が止まったことを察した新田選手は、ここで迷わずタテに踏み込み、番手から発進しました。
ギリギリのタイミングで、山田選手の捲りに合わせて番手から発進できた新田選手。持ち前のダッシュで山田選手の進出を抑え込んだまま、最終3コーナーに進入します。その後ろは、内から佐藤選手、井上選手、単騎で捲ってきた窓場選手が併走状態に。その後ろからは、伊藤選手がいい脚で伸びてきています。山田選手の捲りを合わせきった新田選手が少しだけ前に出て、最終2センターを回って最後の直線へと向かいます。
少しだけ抜け出している新田選手を、その直後から佐藤選手と山田選手が追いすがりますが、その脚色はほとんど同じ。さらにその後ろからは、内を突いた伊藤選手と、イエローライン付近を捲ってきた窓場選手が迫ってきます。しかし、先頭の新田選手との差はなかなか詰まらない。2番手は、外からよく伸びた窓場選手や、内の狭いところに突っ込んだ伊藤選手など、4車が横並びの激戦となりました。
先頭でゴールラインを駆け抜けたのは、力強く抜け出してリードを最後まで守りきった新田選手。意外なことに、地元記念での優勝は今回が「初」なんですね。偉大なるグランドスラマーの新田選手といえども、簡単には勝てないのが地元記念というもの。ある意味、念願であり悲願でもあった優勝ですから、この勝利の味は格別だったと思いますよ。新田選手がシリーズを通して「誰かの後ろ」を走ったのも、今回が初となります。
2着には外から捲った窓場選手が届いて、3着に山田選手。オールスジ違いの決着だったのもあって、3連単は11万車券という高配当となりました。このシリーズはもう、最初から最後まで高配当尽くしでしたね。新田選手マークの佐藤選手は僅差の4着で、5着は伊藤選手。後方に置かれる展開となり、捲りも不発に終わった嘉永選手は、8着大敗という苦い結果に終わっています。
敗れたとはいえ、このシリーズで大いに存在感を発揮したのが窓場選手。思いきってスタートを取りにいったことが、近畿勢は好結果につながりましたね。展開も向いたとはいえ、この強い相手の記念決勝で2着に食い込めたというのは大きな収穫で、窓場選手も「デキさえよければトップクラスにも通用する」と自信を深めたはず。記念戦線でファンをアッといわせるような好走をまた見せてくれるかもしれません。
そして、結果は3着ながら驚くほどの強さをみせたのが山田選手。山田選手が脚を相応に使っているのは北日本勢もわかっていたでしょうから、あれほど鋭い捲りが飛んでくるというのは想定外。タラレバですが、仕掛けをもうひと呼吸だけ遅くしていれば、もっと際どい勝負になっていたかもしれません。しかし、山田選手はそれを選ばず、最終バックからの仕掛けでねじ伏せにいった。あの強さには正直、驚かされましたよ。
新田選手とのワンツーを決められなかったことで、ファンから不満の声があがるかもしれない佐藤選手についても、ちょっと触れておきましょう。リプレイで最終3コーナー付近をよく確認してほしいのですが、ここで先頭の新田選手は、じつは「外帯線の外」を走ってしまっているんですよね。こうなると番手の佐藤選手は、ほかの選手の進路を封じるために内を完全に閉めたまま、コーナーをタイトに回る必要が出てきます。
本来ならば外に出しての加速を考えたいタイミングですが、実際に佐藤選手の直後には伊藤選手が迫ってきていますから、マーク選手の“仕事”として絶対に動けない。もしかするとこの瞬間、佐藤選手は「新田、もっとまっすぐ走れ!」なんて思っていたかもしれませんね(笑)。それもあって、佐藤選手は最後の直線に入るまで、内からまったく動かないままで走っている。当然、差しにいくタイミングも遅れたはずです。
そして最後に、大敗を喫した嘉永選手について。九州のこれからを担う存在となった嘉永選手でも、ポジション争いで後手を踏むと、こんな結果になってしまう。これが競輪の怖いところで、実際に嘉永選手は自分の良さをまったく発揮できませんでした。残念な結果で、悔やむべき結果でもありますが、5月にいわき平で競輪ダービー(GI)が開催されることを考えると、この敗戦から得たものは大きかったはず。次への糧としてほしいですね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。