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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭の走り始め】平原康多の地元記念への思い、悔しがる深谷知広、満身創痍の金子貴志、そして稲垣裕之の老い!?

2024/01/28 (日) 16:30 44

 netkeirinをご覧のみなさま。こんにちは。伏見俊昭です。
 2024年初コラムになる今回は、走り始めとなった大宮記念での振り返りや選手たちとのエピソード、そしてお正月についてお話ししていこうと思います。本年もどうぞよろしくお願いします。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

大掃除で終わった元日、そして娘たちとのいちご狩り

 今年の走り初めは1月5日からの大宮記念(東日本発祥倉茂記念杯)。昨年は大みそか前検で1月1日からいわき平でしたが、今年は自宅で新年を迎えることができました。やはり、大みそかや元日に前検日を迎えると気持ち的に落ち着かないんですよ。だから4日前検なのは、良いスタートでしたね。

 だからといって正月休みを満喫ということもなく、もちろん練習です。年末は大みそかまで、年明けは2日から練習を始めて、休んだのは元日だけです。普通の家庭は年末に大掃除をして新年を迎えるんでしょうが、年末に時間が取れなかったので、元日に大大掃除をしました。時間がかかったのでその日は掃除だけで終わってしまいましたが、正月から家でダラダラするよりは、掃除をして部屋も心もスッキリして気持ちが良かったです。

 2日は午前と午後の練習の間の休憩中に上の娘が「行きたい」と言うので娘2人といちご狩りに行きました。松阪インターを降りてすぐのところに農園があるんです。あとはいつも行っている佐那神社(三重県多気郡多気町)に初詣でに行ったくらいですね。

鬼気迫る気迫が感じられた平原康多

地元にかける思いが伝わった平原康多君の表情(撮影:北山宏一)

 そんなこんなで迎えた4日の前検日。大宮に入ると記者さんがなんか笑いながら近づいてくるんですよ。そういう時って大体、1Rなんですよ。この予感は大当たりして1Rの2番車…。初日の1Rってすごいプレッシャーなんです。早い時間に走り慣れてないこともあるし、こなさなければならないルーティンが前倒しでどんどん早くなるし。それに前検日も休まらない。1Rの1番車は若手イケイケ選手が入ることが多いですが、今回は中井俊亮(奈良)君。彼は僕以上にプレッシャーがあったでしょうね(笑)。

 レース自体は高橋晋也(福島)君が一緒だったので安心感がありました。シンヤが良いタイミングで仕掛けてくれて、そのおかげで今年は1着からスタートできました。期の一発目ってA級から上がってきた選手が多くて、その選手たちがどういうレースをするのがわからないので「この選手どういう感じ?」ってリサーチもします。「徹底先行ですね」とか「引いてカマシが多いですよ」とか教えてもらいます。聞いたとおりに別線の先行選手がすごく積極的に前々踏んでいたので、事前にリサーチしておいてよかったです。まあ、シンヤは何でもできるから、別にどうこう心配することもないんですけどね。1着もうれしいですが、北日本ライン3人で上位独占できたのもよかったです。

 1Rだと11時には終わるので、そこからゆっくり2日目に向けて体を休めることができるのは、早いのはつらいですが、プラスなこともあります。2日目の二次予選9Rは森田優弥、平原康多、中田健太の地元3人がガッチリ連係する強烈な地元番組でした。その中で辛くも4着で準決勝に進んだという感じですね。

 平原君は長年、SSの座を守ってきましたが、今年は久々のS1。いつもより表情がキツく。鬼気迫る気迫が感じられました。平原君と走ったのは久々だけど、いつもならもっと自然体な感じなんですよね。平原君って表情が優しい雰囲気があるじゃないですか。でも今回は顔が険しくて、この地元記念にかける思いが伝わってきたという印象が強かったです。ここで優勝して良いスタートダッシュを決めて、来年はまたSSに戻るんだという強い意志を感じましたね。もちろん、それは本心は平原君しかわからないことですが、僕はそう感じましたね。

悔しさを滲ませた深谷知広「佐世保だったら優勝」

KEIRINグランプリ2023の悔しさを滲ませた深谷知広君(撮影:北山宏一)

 深谷知広(静岡)君には「グランプリ惜しかったね」と声をかけました。すると深谷君は悔しさを滲みだしながら「こうで、こうで」ってレースの話をしてくれました。そして「佐世保だったら優勝でしたね」と。立川は直線が長いけど、佐世保は400バンクで一番、直線が短いからですね。「そうだね」と一応、返事はしましたが、多分、佐世保ではグランプリは開催されないでしょうね(笑)。深谷君は去年の「競輪祭(GI)」決勝で松井宏佑(神奈川)君を連れて先行しましたが、南関から一人でも多くグランプリ出場者をという気持ちが伝わってきました。この一戦でもあのあどけなかった深谷君が一皮も二皮もむけたなって印象です。

 脇本雄太君とは前検日にあいさつしたくらいですが、今回は途中欠場してしまいました。初日から彼らしくない走り、深谷君が遅れているところをさばいて前に出るなんて普段、脇本君がやらない走りだったので、調子が悪いのかなとは感じていました。年末年始の疲れかなと思いますが、その中で参戦したというのはやっぱり責任感からなんでしょう。

KEIRINグランプリのうっぷんを晴らし見事優勝した清水裕友君(写真提供:チャリ・ロト)

 清水裕友君はいつもどおり、検車車で自転車に淡々と向き合っていました。でもいつもよりはさらにその時間が長かったかな。グランプリに関して清水君は不完全燃焼だろうから、そのうっぷんを晴らす走りになるんだろうなと思っていたら、見事優勝でしたね。

満身創痍の同期・金子貴志の姿

 大宮には同期の金子貴志(愛知)君もいました。金子君は車での移動が多く、前検日入りもいつも早いです。「いつも車って大変じゃない?」と聞いたら「車の方が楽だから」って。

同期の金子貴志君の姿には胸が熱くなった(撮影:北山宏一)

 金子君は今、腰の状態があまり良くなくて、ハードケースの積み下ろしが厳しいらしく、車からの自転車を下ろすほうが楽なんだとか。そんな状態でも「頑張って走るよ」と前向きです。「選手をやっているから体も動く。辞めちゃったら多分、体が動かなくなって歩くのもままならないかも」と。初日は僕が1Rだったので早めの行動をしていたら、金子君も早くからご飯を食べていました。「早いね」と声をかけると「朝はお風呂に入って腰を温めないと体が動かないんだよ」と。どう返事していいかわからず、言葉が出ませんでした。「お互いもうジジイだね、ははは…」なんて言えません。腰が痛かったら力も入らないし、普通は走れないですよ。そんな深刻な状況でも頑張れるなんて、落車だ、ケガだ、コロナだ、って騒いでいた自分が恥ずかしくなりました…。

稲垣裕之「今日はどこから来はったんですか?」

10分前のことをも忘れてしまった稲垣裕之君との会話は大宮の一番の思い出(撮影:北山宏一)

 有難いことに先月のコラムの反響が大きくて「たけしさんと麻雀したんですか? すごいですね」と言ってきてくれる人が多かったです。稲垣裕之(京都)君もその一人。「たけしさんとなんて羨ましいです」って。その後に「今日はどこから来はったんですか?」って聞いてきたので「松阪からだよ」って応えました。

 その10分後くらいにすれ違ったら「伏見さん、今日はどこから来はったんですか?」って全く同じこと聞いてきて、まさにデジャブ。「さっきも同じこと言ってたよ」と言うと「ああ、そうでしたっけ」と苦笑いしながら、そそくさといなくなってしまいました。歳を取るといろんなことをすぐ忘れるようになるのかも…と稲垣君の背中を見ながら感じました(笑)。

 実は大宮で一番、印象的だったのはこの稲垣君との会話なんです(笑)。

目先のレースをひとつ、ひとつ

 大宮でお会いしたスポーツニッポン記者の中林陵治さんはいつも「伏見君、10回グランプリ出場しようね」って言ってくれます。今回も前検日に言ってくださいました。有難い言葉なんですが、今はGIに出られるような点数もないし、2つ返事で「今年もグランプリ狙います」とは言えなかったです。だから「グランプリにはもちろん、出たいけど出るためにはひとつひとつ、上っていかないといけないので、まずは目先のレースを頑張ります」と応えたら「そういう目標を自分の中で持っていればいい」と言ってくれました。今はグランプリを目指すという強い気持ちは持てないけど、そう言ってくれる人がいるっていうことを忘れずに今年も一年、頑張りたいっていう前向きな気持ちになれました。

 現在は練習メニューも確立しているし、昨年は落車もケガもなかったから追い込めた練習ができています。一戦、一戦頑張って、どのレースでも悔いが残らない走りがしたいです。今年も昨年同様、無事故で走り切りたいです。


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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