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山田裕仁のスゴいレース回顧

【火の国杯争奪戦in久留米 回顧】レースを単調なものにしている現行ルール

2023/10/10 (火) 18:00 101

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが久留米競輪場で開催された「火の国杯争奪戦in久留米」を振り返ります。

2023年10月9日(月)久留米12R 開設73周年記念 火の国杯争奪戦in久留米(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢

①嘉永泰斗(113期=熊本・25歳)
②郡司浩平(99期=神奈川・33歳)
③新山響平(107期=青森・29歳)
④塚本大樹(96期=熊本・35歳)
⑤山田久徳(93期=京都・36歳)
⑥松岡辰泰(117期=熊本・27歳)
⑦永澤剛(91期=青森・38歳)
⑧中本匠栄(97期=熊本・36歳)
⑨菅田壱道(91期=宮城・37歳)

【初手・並び】

←⑥①⑧④(九州)②(単騎)③⑨⑦(北日本)⑤(単騎)

【結果】

1着 ⑧中本匠栄
2着 ①嘉永泰斗
3着 ②郡司浩平

地元・熊本の選手が存在感を発揮

 10月9日には福岡県の久留米競輪場で、火の国杯争奪戦in久留米(GIII)の決勝戦が行われています。熊本地震で被災して大きなダメージを受けた熊本競輪場ですが、来年6月に再開できる見通しが立ったとのこと。待ち望んでいた熊本競輪の再開が決まったのですから、地元選手の喜びは本当に大きかったですよね。そんな背景もあってか、このシリーズでは地元・熊本の選手が随所で存在感を発揮していました。

 S級S班が5名も出場する豪華なシリーズとなったのも、お祝いムードをさらに強めましたね。また、骨折休養に入っていた松浦悠士選手(98期=広島・32歳)がここから復帰というのも、注目を集めたポイントのひとつです。まだ万全にはほど遠いデキだと思いますが、それでも2勝をあげたのだから、さすがですよね。決勝戦進出こそ逃しましたが、イメージ以上に動けていたと思います。

 残念ながら初日特選で、嘉永泰斗選手(113期=熊本・25歳)など2名が落車するアクシデントがあり、斜行で失格となった守澤太志選手(96期=秋田・38歳)は欠場に。優勝候補の一角だった古性優作選手(100期=大阪・32歳)はデキが思わしくなかったようで、準決勝で4着に敗退しています。結局、決勝戦まで勝ち上がったS級S班は、郡司浩平選手(99期=神奈川・33歳)と新山響平選手(107期=青森・29歳)の2名だけでした。

熊本勢と北日本勢の強い追い風

 決勝戦に4名が勝ち上がった九州勢は、そのすべてが地元・熊本の選手。もちろん一致団結してひとつのラインにまとまり、優勝を目指します。先頭を任されたのは松岡辰泰選手(117期=熊本・27歳)で、番手に嘉永選手。ライン3番手が中本匠栄選手(97期=熊本・36歳)で、4番手を塚本大樹選手(96期=熊本・35歳)が固めるという布陣です。いかにも「二段駆け」がありそうな並びですよね。

地元・熊本ラインの先頭を任された松岡辰泰選手(提供:チャリ・ロト)

 地元・熊本勢に立ち向かうは北日本の3名。先頭は新山選手で、初日特選から3連勝で決勝戦に駒を進めてきたように、デキは上々です。その番手を回るのは菅田壱道選手(91期=宮城・37歳)で、3番手が永澤剛選手(91期=青森・38歳)という並び。主導権が欲しい熊本勢に新山選手がどこまで抵抗するかによって、このレースの展開は大きく変わってくることでしょう。

 そして単騎で勝負するのが、郡司選手と山田久徳選手(93期=京都・36歳)の2名。郡司選手は調子をグングン上げているようで、勝ち上がりの過程でもかなりの強さをみせていました。とはいえ、4車と3車のラインがいるレースで単騎だと、選択肢はかなり限られてくる。郡司選手が単騎になったことは、熊本勢と北日本勢のどちらにとっても、強い追い風となりましたね。

 ラインが2つに単騎が2名ですから、「斬って斬られて」が何度も繰り返されるような展開にはなりません。レース序盤の注目ポイントは、どちらが前受けするか、でしょうね。1番車の嘉永選手がいる熊本勢のほうが有利ですが、その嘉永選手は落車のダメージを抱えたままで走っており、万全ではない。レース前の想定とは違って、北日本勢が前受け、熊本勢が後ろ攻めとなる可能性も十分にあります。

 それでは、決勝戦のレース回顧に入りましょう。スタートの号砲が鳴ると当時にいい飛び出しをみせたのは、2番車の郡司選手と8番車の中本選手。となれば、スタートを取るのは単騎の郡司選手ではなく、中本選手のほうです。中本選手が先頭誘導員の直後を確保し、青写真のとおり熊本勢の前受けに。郡司選手がその直後の5番手で、新山選手は6番手から。最後方に山田選手というのが、初手の並びです。

 初手の並びが決まってからはとくに動きがないまま、レースは赤板(残り2周)を迎えます。赤板を通過する手前から、先頭の松岡選手は先頭誘導員との車間をきって、新山選手がくるのを待ち構えていましたね。しかし、新山選手が実際に動き出したのは、赤板を通過した直後から。一気に加速しながら赤板後の1センターを回って、4番手の外までポジションを押し上げます。

赤板を通過した直後から動き出した新山選手(提供:チャリ・ロト)

 先頭の松岡選手は、新山選手に合わせて前へと踏んで抵抗。そのまま全力モードにチェンジして、打鐘前のバックストレッチから早々とスパートを開始します。それをみた新山選手は、無理に叩きにはいかず減速。その間に、最後方にいた山田選手が内をすくって、郡司選手の後ろに切り替えました。新山選手はその後ろ、後方7番手に戻ります。熊本勢が主導権を奪って、レースは打鐘を迎えました。

 その後も、一切ペースを緩めずにガンガン飛ばす先頭の松岡選手。一列棒状で最終ホームに帰ってきますが、松岡選手の番手にいる嘉永選手は前との車間をきって、いつでも発進できる態勢を整えています。後方に置かれるカタチとなった新山選手は、先ほどの仕掛けで脚を使っているのもあって、果たしてここから巻き返せるかどうか。ここまでは、熊本勢が事前に思い描いていたとおりの展開ですからね。

 隊列に動きがないままで、最終1センターも通過。そして最終2コーナーを回ったところで、中団の郡司選手や後方の新山選手が仕掛けるよりも先に、嘉永選手が番手から発進して先頭に立ちます。簡単そうにみえて簡単ではない、二段駆けからの押し切り。松岡選手の全力スパートが早かったのもあって、実際はかなりキツい展開だったでしょう。それでも、バトンを受け取った嘉永選手は必死に踏んで先頭をひた走ります。

 かかりのいい逃げからの二段駆けで、中団の郡司選手や後方の新山選手は差を詰めようにも詰められず、そのままの隊列で最終バックを通過。最終3コーナーで新山選手が仕掛けて、外から詰め寄ろうとしますが、前との差がなかなか縮まりません。郡司選手もここで仕掛けて、塚本選手の外を併走しながら最終4コーナーを回って、最後の直線に。新山選手はその後も伸びがなく、後方のままです。

 先頭で踏ん張る嘉永選手の外から、差しにいった中本選手がジワッと差を詰めます。その後ろには、内にいる塚本選手と、外から伸びる郡司選手。さらにその後ろには山田選手もいますが、内の進路は完全にふさがっています。伸び脚がいいのは外の郡司選手ですが、先頭の嘉永選手も粘りに粘っており、中本選手も変わらずジリジリと伸びている。この3車がほぼ横並びで、ゴールラインを駆け抜けました。

 最後の最後で、ほんの少しだけ車輪が出ていたのは中本選手。自身初となるGIII制覇を、多くの地元ファンが見守る久留米バンクで決めてみせました。2020年には伊東で共同通信社杯(GII)を制しているとはいえ、この優勝の喜びはひとしおでしょう。僅差の2着争いに競り勝ったのは嘉永選手で、熊本勢のワンツー決着。ゴール後には、練習仲間でもある中本選手と嘉永選手が、肩を組んで喜んでいる姿も見られましたね。

ほんの少しだけ車輪が出ていた中本選手が、自身初となるGIII制覇を果たした(提供:チャリ・ロト)

 郡司選手は、最後よく差を詰めるも3着まで。4着が塚本選手で5着が山田選手という結果で、新山選手は7着に終わっています。久留米は先行有利なバンクで、そこであれだけ見事な二段駆けを決められると、やはり新山選手といえども苦しい。熊本勢に終始一貫して追い風が吹いていたシリーズで、いかにも地元記念といった印象でしたね。勝機をキッチリとモノにした、熊本勢の完勝といえる内容です。

 新山選手を封じるために、ラインから優勝者を出す走りに徹した松岡選手。早い段階での番手捲りという厳しい展開を、ダメージが残る身体で最後まで踏ん張り抜いた嘉永選手。いずれも“これぞ競輪”という気持ちの入った走りで、その結果として中本選手が優勝できたのですから、納得の結果でしょう。それに単騎の選手も、この舞台で地元勢を分断するような走りは仕掛けづらい。とんでもない「悪役」になっちゃいますからね。

 だから郡司選手は「熊本勢と北日本勢のどちらが前受けでも、その直後を取る」というプランを立てて、初手からその位置をしっかり確保しにいった。その後はできるだけ脚を温存して、あとは勝負どころに賭ける心積もりだったのでしょう。3着という結果でしたが、このレースにおける最善は尽くしたはず。勝負どころで内を突いていたとしても、スムーズに進路が確保できていたかどうかは微妙ですからね。

 新山選手の走りについては、「現行ルールにおいては致し方なし」という感想になります。私が現役の頃は「何はともあれ、とりあえずは前を抑えにいけ」と教えられたものですが、それは選手の走りに対する規則やペナルティが現在ほど厳しくなかったから。例えば、バンク中央のやや内側に引かれているイエローライン。何のためにあるのかを知らない方もいるでしょうが、これも昔は存在しなかったんですよ。

抑止力とペナルティの重さが釣り合っていない現行ルール

 イエローラインは、「先頭員の誘導中および退避後の競走選手間による牽制行為(外柵走行を含む)」を抑止するために引かれたもの。バンクの幅をフルに使った進路変更の多い走りや、外柵を使って他のラインの進路を狭めることを禁止するために引かれたものなんですね。先頭走者がこれを下側から越えて「外側を2秒程度継続して走った場合」や、イエローラインの外側から追い抜いた選手が「内に復帰せずにそのまま2秒程度継続して走った場合」に失格となります。

 それ以外にも、暴走行為を抑制するための「先頭から著しく離れてゴールしたとき」という失格規定が、「先頭から6秒程度以上離れて決勝線に到達したとき」という具体的なものに変更されるなど、ルールはこれまでに何度も変更されてきました。「ラインの仲間のためとはいえ、自分自身が勝てない走り(=暴走)は許されない」というのが、昨今のルール変更においてもっとも重きが置かれたポイントでしょう。

 そこにさらに追加されたのが、2019年4月1日に変更された現行ルールにおける「先頭誘導員の早期追い抜き」の厳罰化。失格となる基準が厳格なものとなり、ペナルティも非常に重いものとなりました。個人的にはそれ以前のルールでも、暴走行為は十分に抑制できていたと思うんですよ。それに、レースの自由度がさらに落ちてしまう。前を斬ったり抑えにいくことに対して、選手が二の足を踏んでしまうケースが増えるからです。

 今回のメンバー構成だと、前受けを選んだ熊本勢は突っ張る可能性が非常に高い。そこで先頭を奪おうとすると、容易には突っ張れないようなスピードで前を斬るか、抑えにいってから加速しての踏み合いになりますよね。しかもそれを、赤板を通過して先頭誘導員が離れるタイミングを、かなりシビアに見定めて実行する必要がある。うっかり失敗すれば即失格で、さらに4カ月相当のあっせん停止です。

 ルールはルールですから、選手は守らねばならない。ただ、このルールによってレースの“動き”が大きく制限されて、結果として展開が単調なものになってしまっている面があるのは否めません。しかも、実際にこの反則でペナルティを受けたのは、暴走行為とはかけ離れた「うっかり」程度のものがほとんど。抑止力とペナルティの重さが、まったく釣り合っていないんですよね。

 現在の競輪で初手の位置取りがきわめて重要なものとなったのも、この新ルールによって「道中で動きづらくなったから」にほかなりません。競輪の楽しさをもっと訴求するためにも、道中の駆け引きやダイナミックな動きを阻害するルールや、重すぎるペナルティが是正されることを切に願います。余談が長くなってしまいましたが、これが「新山選手が動きづらかった背景にあるもの」なのです。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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