2025/09/24 (水) 18:00 17
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが青森競輪場で開催された「みちのく記念善知鳥杯争奪戦」を振り返ります。
2025年9月23日(火)青森12R みちのく記念善知鳥杯争奪戦(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①新山響平(107期=青森・31歳)
②南修二(88期=大阪・44歳)
③郡司浩平(99期=神奈川・35歳)
④河端朋之(95期=岡山・40歳)
⑤菊池岳仁(117期=長野・25歳)
⑥永澤剛(91期=青森・40歳)
⑦荒井崇博(82期=長崎・47歳)
⑧松岡貴久(90期=熊本・41歳)
⑨阿部力也(100期=宮城・37歳)
【初手・並び】
←⑤⑦(混成)③②(混成)①⑨⑥(北日本)④⑧(混成)
【結果】
1着 ③郡司浩平
2着 ①新山響平
3着 ②南修二
9月23日は「秋分の日」で、ようやく秋めいた気候になってきましたね。この日には青森競輪場で、みちのく記念善知鳥杯争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。ここに出場のS級S班は郡司浩平選手(99期=神奈川・35歳)と、地元代表でもある新山響平選手(107期=青森・31歳)の2名。つい先日の福井・共同通信社杯競輪(GII)で優勝している、南修二選手(88期=大阪・44歳)にも注目が集まります。
新山選手は2019年に青森記念を制覇。このときは、兄である新山将史選手(98期=青森・34歳)とのワンツーという最高の結果でした。しかし以降は勝てておらず、そろそろ二度目の優勝が欲しいところです。その前に立ちはだかる郡司選手は、先日の福井・共同通信社杯競輪が一次予選敗退という残念な結果だっただけに、ここは巻き返しを期してかなり気合いが入っていることでしょう。
ラインが4つに単騎が1名のコマ切れ戦となった初日特選は、この両者がライン先頭で激突。降りしきる雨のなか、新山選手が打鐘で前を叩き先行します。しかし、最終バックから差を詰めてきた郡司選手がいい伸びをみせて、ゴール前では北日本ラインと南関東ラインの4車がほぼ横並びに。道中で巧みな立ち回りをみせた郡司選手が1着で、新山選手マークの守澤太志選手(96期=秋田・40歳)が2着という結果でした。
郡司選手はその後もじつに安定した走りをみせ、二次予選2着、準決勝1着で決勝戦に勝ち上がり。初日特選では4着に敗れた新山選手も、二次予選1着、準決勝3着という結果で決勝戦に駒を進めます。南選手も前場所でのいいデキをキープできているのか、二次予選からは連勝で勝ち上がり。あとは、河端朋之選手(95期=岡山・40歳)もなかなかデキがよさそうでしたね。
決勝戦は単騎なしの四分戦となり、北日本勢は唯一の3車ラインとなりました。この“数の利”を活かしたいところですが、先頭を任された新山選手はどう立ち回るのか、注目ですね。新山選手の番手を回るのは阿部力也選手(100期=宮城・37歳)で、ライン3番手を永澤剛選手(91期=青森・40歳)が固めるという布陣。楽に主導権を奪えるようなメンバー構成ではないので、どうレースを組み立てるかはなかなか難しいですよ。
北日本勢以外は、すべて混成ライン。郡司選手の後ろには、南選手がつくことになりました。郡司選手が3番車で南選手が2番車と、車番に恵まれたのはかなり大きいですよ。郡司選手はスタートダッシュも鋭いので、確実にいい位置が取れそうです。そして、河端選手には松岡貴久選手(90期=熊本・41歳)、菊池岳仁選手(117期=長野・25歳)には荒井崇博選手(82期=長崎・47歳)と、九州勢がそれぞれ番手を回ります。
それでは、決勝戦のレース回顧に入りましょう。レース開始を告げる号砲と同時に、3番車の郡司選手と5番車の菊池選手、9番車の阿部選手が飛び出していきます。内の郡司選手がスタートを取れる態勢でしたが、ここは譲って、菊池選手がスタートを取ります。郡司選手は3番手につけて、北日本勢はその後ろの5番手から。最後方8番手に河端選手というのが、初手の並びでした。
後方の河端選手が動き出したのは、青板(残り3周)周回のバックから。外からゆっくりと位置を上げていきますが、先頭の菊池選手は誘導員との車間をきって、それを待ち構えます。新山選手は松岡選手の後ろに切り替えますが、先頭の菊池選手が突っ張る姿勢を示したことで、河端選手は無理せずに自転車を下げました。それをみた新山選手は、瞬時に元の位置へと戻っています。
河端選手も後方8番手に戻って、打鐘前のバックストレッチに進入。その後は誰も動く気配を見せず、一列棒状のままでレースは打鐘を迎えました。先頭の菊池選手は、後ろを何度も振り返りつつじわりとペースを上げて、打鐘後の2センターを通過。そして最終ホームに帰ってきたところで一気に踏み込み、全力逃げ態勢にシフトしました。その後も後続に動きはなく、そのままの隊列で最終1センターを回ります。
最終バックストレッチに入ったところで真っ先に仕掛けたのは、河端選手でも新山選手でもなく、3番手の郡司選手。少し外に出して、前をいく菊池選手を捲りにいきました。新山選手もこの仕掛けに乗って追走。仕掛けた郡司選手は素晴らしい伸びで、最終バック過ぎには菊池選手を捉えて先頭に立ちます。それを南選手がぴったりと追走して、その後ろに北日本勢が続く隊列で、最終3コーナーに向かいました。
新山選手はまだ仕掛けず、前を射程圏に入れた3番手で最終2センターを通過。後方の河端選手に伸びはなく、その後ろの松岡選手も離れてしまっています。ここで勝負は完全に、郡司選手、南選手と北日本勢との争いに。前の2車を新山選手が追うという隊列のままで最終コーナーを回って、最後の直線に向きます。郡司選手の直後に南選手が迫り、それを外から新山選手が追って、30m線を通過しました。
ここで4番手以下は少し離されて、前3車の争いに。先頭で粘る郡司選手と、それにジリジリと迫る南選手の外から、いい伸びをみせる新山選手が一気に迫ります。ゴール前では3車が並んでのハンドル投げ勝負となりますが…最内の郡司選手が少しだけ出ているのが目視できましたね。差しにいった南選手と捲り追い込んだ新山選手は届かず、郡司選手が今年6回目となるGIII優勝を決めました。
2着争いはかなり僅差でしたが、競り勝ったのは外を伸びた新山選手のほう。南選手が3着で、離れた4着に阿部選手という結果でした。郡司選手は自分のタイミングで仕掛けられたとはいえ、捲りにいったのは最終バックストレッチに入ったところでしたから、楽に押し切ったという内容ではない。優勝者インタビューでも口にしていたように「南選手に差されたならば仕方がない」と覚悟しての仕掛けだったと思います。
そんな“覚悟”があった郡司選手とは対照的に、自分が優勝したいという気持ちの強さゆえに、やや消極的な仕掛けとなってしまった新山選手。地元記念なのですから優勝したくて当然ですが、その気持ちの強さは時として迷いを生んでしまう。自分の前にいるのが強い郡司選手というのもあって、なおさら動けなくなってしまった。その結果、最後の直線勝負に賭けるカタチになったように感じました。
郡司選手については、車番に恵まれたのがやはり大きかったですよね。菊池選手や阿部選手もスタートダッシュは速いですが、それよりも内の車番をもらえたので、初手での攻防で菊池選手にスタートを譲って最高の位置を取れた。新山選手がスタートで勝負してきた場合でも4番手が取れるし、それ以外のラインならば3番手が取れる。菊池選手が前受けから突っ張って主導権というのは、まさに理想的な展開です。
立ち回りが難しかったのは新山選手のほうで、自分の優勝も含めて「ラインから優勝者を出す」には、もがき合いになるような展開は絶対に避けたい。菊池選手のような「先行へのこだわりが強い選手」がいて、しかも菊池選手が初手で後ろ攻めとなる可能性もあるとなると、得意とする前受けからの突っ張り先行には持ち込みづらかったといえます。選択肢にはあるとしても、切りづらいカードだったわけです。
レース後に新山選手は、郡司選手よりも先に最終ホームで仕掛けていれば…という反省の弁を述べていましたが、それで実際にどうなっていたかは判断が難しいですよね。郡司選手の前にライン3車で出切るのはそう簡単な話ではなく、仕掛けを合わされてさらに厳しい展開となっていた可能性もある。つまり、このカードも新山選手には決して切りやすくはなかった…ということです。
郡司選手のような強い選手が初手で欲しいポジションを得て、道中でも理想的な展開に恵まれたのですから、それを逆転するのはかなり難しい。あの位置で仕掛けた郡司選手を南選手が差せなかったのですから、郡司選手はデキも上々だったはずです。このところ調子を落としていた印象ですが、郡司選手クラスともなれば、どこかで必ず戻してくる。次の松阪記念や、前橋・寛仁親王牌(GI)での走りが楽しみですね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。