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すっぴんガールズに恋しました!

【布居光】積極策貫く競輪一家の末っ子! 苦悩乗り越え掴んだ初白星「父と一緒に電卓を叩いて…」

アプリ限定 2023/09/01 (金) 18:00 59

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。積極的なレースが魅力の成長株・布居光選手(23歳・和歌山=118期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!

競輪一家の末っ子として生まれる

 布居光は和歌山県和歌山市出身。競輪選手の父・寛幸(72期)、母、翼(109期)、大地(111期)と3人きょうだいで育った。

競輪選手の父・寛幸(72期)のもとに生まれる(本人提供)

 いまは5人家族のうち4人が現役選手の“競輪一家”だが、もともと父は家庭に仕事の話を持ち込むタイプではなく、幼少期は競輪のことはあまり知らなかったそうだ。

「小さいころの記憶があんまりないけど、父のレースを見に行った覚えはないですね…」

 小学生低学年までは2人の兄や兄の友だちと遊ぶことが多かったという活発な少女だった光。「運動神経は人並み」と話すが3歳から水泳、小学校では男子と同じチームでサッカーをしていたそうだ。

「水泳は兄たちと一緒に始めて、和歌山で伝統のある“岩倉流泳法"を習っていました。サッカーは同学年の男子に混ざってやっていた。本当はシュートを決めるフォワードがしたかったのに、ポジションはゴールキーパー。体が大きいっていう理由だけでゴールを守っていました(笑)」

2人の兄・翼(109期)と大地(111期)も競輪選手(本人提供)

 スポーツとは別に英会話も10年くらい続けたそうだが「今はもう話せないですよ」と笑いながら振り返る。なんと当時の夢は歌手になることだったそうだ。

「歌がうまかったわけではないし、人前に出ることが得意だったわけでもないのですが…。K-POPが好きで、少女時代やSHINeeのライブを見に母と大阪城ホールへ行ったりしていました。ライブに行くとすごく元気がもらえるから、自分もそうなりたいと思った時期があったんです。1度だけオーディションに応募したこともあります」

兄たちの自転車競技に励む姿に「カッコいい!」

 中学時代は陸上競技部に所属した。短距離種目や四種競技をしていたが、成績はパッとしなかった。高校進学を控え悩んでいた時期に、兄たちが自転車競技で活躍する姿を見て“これだ”と思ったそうだ。

「兄たちが自転車競技を始めて、試合の応援に行くことがありました。そのときの兄たちの姿を見て『カッコいい!』と思ったんです。陸上競技では成績が出なくて悔しかった。自転車競技なら高校1年生がスタートラインだし、自分もいい成績を出せるんじゃないかなと思って、父や兄たちと同じ和歌山県立和歌山北高校への進学を決めました」

 和歌山北高は競輪選手を多く輩出している自転車競技の名門高。3年間一緒の女子部員はいなかったが先輩、後輩の男子部員や顧問に恵まれていたこともあり部活動は楽しかったと話す。

「部活は厳しかったけど、やりがいがありました。1年上に張野幸聖さんと南蓮さん、1年下に石塚慶一郎。顧問の先生も自分に合わせた練習メニューを組んでくれたりして期待してくれた。朝も4時30分くらいに起きて、5時30分には競輪場で朝練習。放課後も練習でとにかく自転車漬けでしたね。バイトもしたことないし、放課後遊びに行った記憶もない。そんな高校生活でした」

兄たちの影響で自転車競技の道へ(本人提供)

父から与えられたチャンスは「一度だけ」

 ガールズケイリン選手を志したのも高校時代だ。父や兄たちの影響… かと思いきや、それ以上に競輪選手を志した“まさか”の理由があった。

「自転車競技が好きだったので、本当は大学に行って続けようと思っていました。でも自分はとにかく勉強が嫌いで(笑)。大学に行って自転車競技を続けるとなると、あと4年勉強しなきゃいけないのかと思うと、厳しいなと。それで高校卒業後すぐに競輪選手になろうと思いました」

 そうして一念発起し、養成所の入所試験に向けて練習に励んだ。父からは「試験を受けるのは1回だけ」と言われており、一発合格以外に道はなかった。

「合格できるか不安になることが嫌だったので、とにかく練習だけは休まずやりました。父から『試験は1回だけ』と言われたことは覚えています。どんな真意があったのかは聞いていないけど、競輪選手は危険を伴う仕事だし、正直心配もあったのかもしれないですね」

(撮影:北山宏一)

 夏の大会が終わったあとも練習を継続した成果が実り、118期の1次試験は無事突破。2次試験はSPIに作文、そして面接だ。

「勉強嫌いだからSPIは自信が全くなかったです。1次試験が終わってから参考書を買って勉強しました。せっかく1次試験を突破できたのに2次試験で落ちたら選手になれないから…。当日は筆記がまあまあ、作文は制限時間ぴったりに書き終わった。面接は緊張したけど何とかできました」

 養成所の合格発表は年明け。部活に向かう着替えの最中にふと思い出し、ホームページを開いて、自分の名前を見つけたそうだ。

「すぐに部活の顧問の先生に報告にいきました。そのあと友だちにも報告してみんなすごく喜んでくれた。家に帰ると両親も合格の結果をチェックしていてくれて喜んでくれました」

「なにかで一番になりたくて」苦しかった養成所生活

 晴れて日本競輪選手養成所118期として2019年5月に入所した光。しかし養成所生活は苦しかったと振り返った。

「ずっと実家にいたからか、集団生活が苦手でした。いままでは身近に相談できる人がいたのに、養成所では孤独に感じてしまって…。自分は几帳面な性格で、周りを気にし過ぎて体の疲労がすごかったです。夏と冬の帰省が楽しみでした。実際、帰省から養成所に戻ったタイミングが一番調子も良かったです」

 養成所時代は落車もあり、競走訓練に参加できない時期もあった。

「入所当時は最終バックを取ることを目指していたけど、どうやったら最終バックを先頭で通過できるかわからなかった。そんな中でもなにかで一番になりたくて、Sを頑張っていました。前受けから飛び付きのレースを繰り返しやっていました」

 卒業記念レースは6着、5着。在所成績は21人中15位で卒業を迎えた。

8月京王閣で118期の同期たちと(左から田中月菜、布居光、中村美那、青木美保、岡本二菜)

順調なデビュー後に襲ったアクシデント

 卒業後はデビューに向けて、父の協力のもと実戦的な練習を積むことができたという。2020年5月小倉のルーキーシリーズでデビューを迎え、4着、2着、6着。車券に貢献し、決勝進出も果たした。

 7月の本デビュー後、先輩たちとの対戦になっても和歌山、名古屋で連続して決勝に進出。

「先入観を持たずにレースに臨めたのが大きいですね。最初は自分のやりたいようなレースができていました」

 順風満帆なスタートを切り初勝利も間近かと思われたが、すぐにアクシデントが起こってしまう。9月の地元和歌山で落車し、リズムが大きく狂ってしまった。

「地元戦での落車だったのでキツかったですね。この落車から併走が怖くなってしまった。棄権して(競輪場の)外に出てからはSNSでの評判を見てしまって…。自分は結構真に受けてしまうので、精神的にも苦しかったです」

 体だけでなく心にもダメージを負ってしまい、成績は一気に急降下。のびのび走っていたはずの布居光は、レースで萎縮し大敗を繰り返す日々が続いた。

 浮上のきっかけをつかめず苦しんでいる時期にさらなる不運が襲った。2022年1月広島での落車だ。

「前年の12月武雄で久しぶりに決勝に乗れて、1月の地元戦でも決勝に乗れた。さあこれからってタイミングでの落車で…。初めてろっ骨を骨折したんですけど、それ以上に心が折れてしまいました」

 傷はなかなか癒えず、復帰は4月中旬の函館まで延びてしまった。3か月の戦線離脱で失われたレース勘は想像以上だったようだ。

「復帰はしたものの、力が入らなかった。レースをしていても前の集団が遠くて、視界が追い付かない。これはまずいなと思いました」

(撮影:北山宏一)

代謝回避へ落とせない競走得点「父と電卓を叩いて…」

 大敗は続き、ガールズケイリンのデッドライン(代謝制度の対象となる競走得点)と言われる『47点』を意識せざるを得ない状況まで追い込まれてしまった。

「あの期(22年前期)は父と電卓を叩いて競走得点を計算していました」

 父・寛幸も愛娘の現役続行を願い、気をもんでいたはずだ。

 大ピンチの状況下で臨んだのはガールズケイリン10周年記念大会(平塚)。華々しいセレモニーの裏で勝負駆けに挑み、5着、3着、3着と着をまとめ、22年前期の競走得点を47・00でクリア。晴れて代謝争いから抜け出し、今後1年半の現役生活が保証された。

攻めるレース貫き初白星をつかむ

 22年後期は競走得点こそ45・48と落としたものの、開き直って攻めるレースが増えていった。

「自力を出したい気持ちと競走得点を取りたい気持ちで心は揺れていました。でも、次の期で47・00を取れればいいって気持ちに切り替えたんです。駆けていくレースを増やして、動くイメージを付けていった。そういうレースをしているうちに駆け方を覚えて、少しずつ粘れるようになってきた。その結果が今年につながっているんだと思います」

(撮影:北山宏一)

 競走得点を恐れず、攻めるレースを続ける姿勢がついに報われる。今年3月の高知最終日の一般戦で初勝利をゲットしたのだ。

「高知の初白星はうれしかったですね。ゴール後に同じレースを走っていた川嶋百香さんから『初めての1着だよね。おめでとう』って声をかけてもらった。敢闘門から検車場に戻るといろんな人が『おめでとう』と言ってくれました」

 同じ近畿地区の坂口楓華にも初勝利を祝ってもらったそうだ。

「決勝に乗っていた坂口楓華さんにも「おめでとう」と声をかけてもらった。坂口さんはいつも自分のことを気にしていてくれたので…。この開催には和歌山北高の先輩2人(張野幸聖、南蓮)もいて、いろいろアドバイスをくれた。このとき初勝利を挙げることができて本当によかった」

(撮影:北山宏一)

積極策でガールズケイリンを盛り上げる!

 ひとつの勝利は彼女にとって大きなきっかけとなった。その後、4月奈良、5月和歌山、7月向日町と1着を取り、7月の高松では22年1月和歌山以来となる決勝進出も決めた。心身の傷もようやく癒えて、さあ、ここからが本番だ。

「次の目標は予選で1着を取りたいですね。その次はコンスタントに決勝に乗れるようになりたい。今は家族だけじゃなく、和歌山の若手選手やアマチュアたちとも練習をしている。せっかく練習をしているんだし、自力を出したいです。対戦相手を見過ぎてしまうのが自分のダメなところ。自分との戦いだと思ってしっかり仕掛けるレースをしていきたい」

 自身の課題をしっかり見つめ、さらなるステップアップのため燃えている布居光。オフは大好きなジャニーズやK-POPで充電している。過酷なガールズケイリン界で戦っていくうえで、心のお守りになっているようだ。

「ジャニーズやK-POPは落ち込んだ気持ちを上げてくれる。気持ちが上がっているときはさらに上げてくれるんです」

(撮影:北山宏一)

 布居光はレースを必ず動かす。彼女のレースには、選手を目指したときからの思いが表れている。

「自分はファンの皆さんが見ていて面白いレースをしたいと思っています。しっかり先行して残れる選手になって、ガールズケイリンを面白いと思ってもらえるように頑張りたいです」

 ラインのないガールズケイリンで先行が有利な戦法とは言えないが、挑んでいる選手は応援したくなる。そして、レースを動かす選手はファンからの人気もついてくる。

『積極策でガールズケイリンを盛り上げる』。そう心に誓う布居光の挑戦は始まったばかり。ガールズケイリン界の新しい“光”となる!

(撮影:北山宏一)

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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