アプリ限定 2023/09/21 (木) 18:30 78
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は10月の「オールガールズクラシック」でビッグレースに初出場する山口伊吹選手(24歳・長崎=116期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
山口伊吹は長崎県松浦市の出身。5人きょうだいの3番目で、6歳上と5歳上の兄がふたり、3歳下と6歳下の弟がふたりいる。次男は現役競輪選手の山口龍也(111期)だ。
小さいころからきょうだいと一緒に体を動かして遊ぶことが多かったという伊吹。小学3年生からバレーボール、小学6年生から自転車競技を始めた。
「山口家はスポーツ一家で、男のきょうだいはみんな野球をやっていました。自分は母親がやっていたのと、近所の方の勧めもあってバレーボール。男の子だったら絶対野球をやらされていましたね。自転車との出会いは小学6年生のとき。先に自転車競技を始めていた兄の練習についていくことがあり、そのとき父から勧められました。佐世保競輪で自転車に乗っているとき、当時高校生だった(高橋)朋恵ちゃんにも会っていますね」
中学時代は自転車競技部がなく、陸上競技部に所属。週末は兄・龍也が練習する鹿町工業高校自転車競技部の練習に混ぜてもらっていた。その後、伊吹も長崎県内で唯一、自転車競技部がある同校へ進学した。
「進学するときは悩みましたよ。小さなころの夢はパティシエになることで、お菓子作りができる授業がある高校への進学を真剣に考えて時期があって。父に話をしたけど『パティシエになることはいつでもできる』と一喝され、あえなく却下。兄を追いかけて鹿町工業高校に進むことになりました」
高校に入学すると自転車競技のセンスを遺憾なく発揮。早い時期から大会で好結果を残していった。
「同じ高校の自転車競技部には同期の高尾貴美歌もいました。入学してすぐの西日本大会で松井優佳(124期)とも知り合いました。高校時代は部活漬けで、練習に大会と遊ぶ暇は全くなかった。アルバイトも興味はあったけど、両親に反対されました。学校があるときは毎朝、母が自動車に自分の自転車を積んで学校まで送ってくれた。母の職場は高校と真逆の方角にあるのに、ありがたかったですね。練習が終わった放課後は自分で朝来た道を自転車で帰っていました」
競輪選手になることを決心した最大の理由は、親身になって応援して活躍を喜ぶ家族の姿だった。
「高校生のとき全国大会にいくと家族がいつも応援に来てくれました。自分がいい結果を出すと家族が喜んでくれて…。『競輪選手になって活躍すればもっと家族が喜んでくれるはず』と思った。自転車競技を始めたときは“絶対に競輪選手になるぞ”という感じではなかった。でも大会で活躍していく中で自然に競輪選手になりたいと思うようになりました」
進路が決まると、秋に行われる日本競輪学校116期の試験に向けて練習にも熱が入った。しかし高校3年生になると謎のスランプに突入。試験が迫ってもタイムが出なくなってしまったのだ。
「原因不明のスランプで大変でした。同級生の中でも自分はタイム計測の競技が苦手で、ケイリンのように競い合う競技のほうが好きだった。でも競輪学校の試験はタイムが大事。試験前は苦しかったです」
不安に襲われながらも1次試験を前にタイムが上昇し、何とか1次試験を突破した。だが2次試験もすんなりとはいかなかったそうだ。
「私は『やればできる子』なんですけど(笑)、高校時代は全く勉強をしていなかった。部活中心の生活で、成績はなかなかひどかったんです。数学の100点満点のテストで13点を取ったことも…(苦笑)。このままじゃ競輪学校の2次試験に落ちてしまうと思って、学校の追試クラスで一生懸命勉強しました。次のテストでは98点が取れて、競輪学校の2次試験もその勢いで乗り切りました」
年明けの合格発表はドキドキの中で迎えた。
「授業中に携帯を使ってはダメだったけど、この日ばかりは気になって仕方ありませんでした。(試験結果が出る)15時になると携帯の画面を何度もスワイプして、自分の名前を見つけたときはホッとしました」
2018年5月、日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に入学。学校生活は楽しかったと振り返る。
「兄から競輪学校の厳しさは聞いていたので身構えていきました。でも高校時代の練習のほうが厳しかったから大変と思ったことはない。朝もゆっくり寝ることができるし、夕方も日が暮れれば授業が終わって、お風呂にも入れる。嫌だなと思ったことはなかったです」
仲間の存在も学校生活においては大きかったそうだ。
「(岩崎)ゆみこちゃんは試験のときからすごく印象に残っているんです。バスパン(バスケットボールパンツ)を履いたかわいい子がいるなと思っていました。夏の時期からゆみこちゃんと一緒にHPD教場(ハイパフォーマンスディビジョン教場・世界で活躍できる選手を育てることを目的としたトレーニンググループ)に入ったことで2人で一緒にいる時間が増えました。(高木)佑真と(南)円佳は滝澤校長のT教場で一緒。苦しい練習を一緒にすることで『みんなで練習を乗り切ろうね』みたいな感じで、自然と仲良くなりました。佑真とは朝練習も一緒にすることが多かった。円佳は学校生活の最後で部屋が一緒になって、そこでグッと距離が近くなりました」
仲間の存在が支えになり、学校生活は順調に進んだ。競走訓練でも好成績を残し、在校1位で卒業記念レースを迎えた。卒業記念レースも難なく決勝に進出したが、結果は準優勝。在校1位と卒業記念レース優勝のダブルゲットは叶わなかった。
「学校に入るときから在校1位と卒業記念レースの優勝は狙っていました。負けたくない気持ちが強かったですね。今振り返ると、学校時代の成績なんて何にも意味がないのに、あのころは結果が欲しかった。ほとんど追い込みで1着を取っていただけでしたから、今はもっと競走訓練で動いておけばよかったと思います。卒業記念レースの決勝も円佳の後ろで2番手。学校時代の円佳は突っ張り先行で強かった。あまりにもいい位置が取れてしまって自分から動くことをせず構えてしまった。いま思い出しても悔しいレースです」
卒業後は気持ちを切り替えてデビューまでの日々を過ごした。6月に岸和田で同期だけで行われたエキシビションレースは好位確保からバックまくりで快勝したが、先輩相手のレースはうまく行かなかった。
デビュー戦となった2019年7月の大宮競輪場。在校1位の看板を背負ってレースに臨むも、予選1走目は7着。後ろ攻めから抑えにいくも、亀川史華(110期)に突っ張られてしまい、一度も先頭に立つことさえできず敗れた。予選2走目は最終バック7番手の苦しい展開も最後まで諦めず踏んで3着と奮闘した。
しかしここで珍しいことが起きた。
ガールズケイリンの普通開催で、決勝への勝ち上がりは2日間のポイント上位者だ。2日間着位が一緒のときは、直近4カ月の競走得点上位者が勝ち上がるのだが、デビュー戦の新人は競走得点が0点となる。
この開催ではともに7着、3着で予選2走を終えた新人の山口伊吹と藤田まりあで7番手の椅子を争うことになった。決勝への勝ち上がりはガラポン抽選。デビュー戦で右も左もわからない新人2人がガラポン抽選を行い、山口伊吹が勝ち上がりの権利を獲得したのだ。
「いきなりガラポン抽選で決勝進出が決まるのは驚きました。決勝に乗れたのはよかったけど、レース内容は散々。先にデビューした同期も先輩相手のレースで苦戦していましたね。自分は在校1位だったし、やれる自信を持ってレースに行ったけど、そんな自信は一瞬で崩れました」
デビュー2場所目の地元佐世保では大勢のファンの前で初勝利を達成。11月の防府では初優勝と順調に見えた1年目だったが、本人は「理想のガールズケイリン選手とは違う一年目でした」と振り返る。
その後は愛らしいルックスがメディアやSNSで話題となり、人気ガールズ選手の仲間入り。しかし2年目以降、車券に絡んでファンに貢献する機会は増えたもののレース内容は動く選手の後ろを取ることが多く、あまり存在感は見せられずにいた。一部では“人気先行レーサー(人気に実力が伴っていないこと)”と言われることもあり、悔しい思いを募らせていた。
さらにデビュー3年目の夏、アクシデントに見舞われた。7月の地元佐世保予選2でゴール後落車。左肩にヒビが入ってしまい、長期欠場することとなった。
「競輪選手になる前も、落車は経験していました。歯を折ったり、唇に穴が空いたこともありましたけど、この落車はキツかった。少しずつ脚に力が入ってきたタイミングだったので、精神的にかなりこたえました。体のケガはいつか治るけど、心のケガは難しい。またゼロからのスタートになってしまったな、と…」
そんな彼女の心にもう一度火を付けたのは、大好きな家族の存在だった。高校球児だった三男は、2020年夏の長崎県大会を優勝したがコロナ禍で甲子園が中止に。野球部を引退してからは競輪選手を目指し、真面目に練習を重ねていたという。
「三男の弟が練習に引っ張り出してくれました。三男は5人きょうだいの中で一番ストイックだと思う。落車で気持ちが折れてしまっていた自分のことを練習に連れ出してくれて、感謝しています。弟と一緒に練習をするようになって、長い距離を乗り込む練習が増えました。そのおかげで復帰してからも決勝に乗れたし、その後の成績も安定したんだと思います」
昨年2022年はキャリアハイの成績を残した。
1月の和歌山で久しぶりに優勝をすると、5月青森、7月玉野、8月函館と優勝を積み重ねた。夏に体調を崩してレースを走れない期間もあったが、11月武雄でも優勝。73走して1着14回、優勝5回と充実の1年を過ごした。
今年はここまで優勝が6月高知の1回だけとやや物足りないが、レース内容は抜群だ。9月の久留米では児玉碧衣に先着し、存在感は増している。
「7月に膝を痛めて少し休んだけど、今はもう大丈夫。9月の平塚では先行して1着も取れました」
10月にはGI「第1回オールガールズクラシック」でビッグレース初参加が決まっている。名だたるトップレーサーたちに挑む心境をこう語った。
「初めてのGI参加は後悔しないように走りたい。上位の選手に比べたらプレッシャーはないと思うし、取れた位置からそのまま流れ込むようなレースはしたくない。開催に参加する前はデビュー前の岸和田や、デビュー当時のしっかり動けていたときの動画を見てから臨みたい。昔の映像を見ると勇気が湧くんです。自分はタイムを出すのは苦手ですが、併走や横の動きは怖いと思ったことがない。松戸のクラシックは存在感を出せる3日間にしたいと思います」
最近の趣味は大好きな温泉やサウナに行ってリラックスすること。『ジャンクSPORTS』等メディア出演や競輪場でのトークショーなど、ガールズケイリンの魅力を広めるための活動も積極的におこなっている。
前検日はフワフワした雰囲気で選手仲間や関係者と仲良く話している姿を目にするが、レースになると一瞬で目の色が変わる。やわらかい雰囲気から闘争心むき出しで戦う選手へと変貌するギャップも、彼女の魅力だろう。
高校時代、大会で結果を出して喜ぶ家族の姿を見て選手を目指した山口伊吹。これからはトップ選手の一員としてGIレースで活躍し、家族だけでなく競輪ファンも喜ばせるレースを見せてほしい。
きっとすぐに“人気先行レーサー”のイメージを払拭し、実力も備えた選手としてガールズケイリン界を盛り上げてくれるはずだ。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。