2023/07/30 (日) 16:00 58
夏を迎えるにあたり、脇本雄太は岸和田「高松宮記念杯(GI)」、久留米記念「中野カップレース(GIII)」、函館「サマーナイトフェスティバル(GII)」、そして地元の福井記念「不死鳥杯(GIII)」を走り抜いた。3年ぶり3度目のファン投票1位に輝いた英雄は、西武園の「オールスター競輪(GI)」を前に、充実と試練の時間を過ごしている。そんなワッキーの1日、1週間の過ごし方は?(取材・構成:netkeirin編集部)
脇本雄太の日々は、やはりトレーニングの日々。強さを誇り、人気に応える責任と向き合っている。一般的な練習日は「朝は大体8時起床ですね。9時から練習開始で、朝ご飯は大体決まったものを食べます」。メニューはフルーツとヨーグルトで「消化が良くて、栄養もあるもの」を摂取する。
午前のメニューは「ロードかジムトレーニング。ロードだったら1時間くらい体を起こす感じで行きます。ジムの時はがっつりやります」。競輪場には「午前は入らない」という。12時くらいに昼食を取るが「好きなものを食べるか、妻の作ったご飯。たんぱく質がどうとかはあまり考えない」という。
ナショナルチームに所属していた時は「炭水化物とかたんぱく質をグラム単位で指定されていました。例えば、麺ならゆでた状態で300グラム、とか」と細かく決められていたが、「競輪をやっていく上では、ね」。ストレスを感じないことも重要だという。
午後は競輪場に入って「14時から、と決めています。内容は曜日によって分けていて、例えば週末には乳酸系を、とかがあります。重たいギアで600メートルから800メートル。主に600メートルかな。それを4本の時が多くて、2本、3本の時も」といったメニューを、その時の体の状態に合わせてこなしていく。
一つひとつの練習の質、にはこだわっている。「今は手を抜いたからって誰かに怒られるわけではないんですが、どれだけ自分に厳しくできるか、ですよね。自分との兼ね合いなんですが、1本の質が低いと本数をこなさないといけない」。強くあるために必要なことは、体が知っている。
弟子もおり、福井の仲間たちと練習をともにするわけで「僕がいると緊張感があるみたいで、みんなの質も高くなっていると思う」。福井記念で決勝進出を果たした鷲田幸司もそうだった? 「ワシコーさんは支部長職が忙しくてそんなにいつも一緒に練習できるわけじゃないけど、こうした練習の成果が出たのかな」と笑う。明らかに、ワッキー効果は大きかっただろう。
また、大事なのは「練習の時間でずっと集中しているんです」ということだ。「ナショナルチームの時も、休んでいる時間にブノワにいろんなアドバイスをもらったりして考えていた。トレーニングにあたっての質の求め方とか、ですね。ボーっとしている時間はない」ことが染みついていて、休憩時間も様々なシミュレーションをしながらトレーニングに励んでいる。
もちろん、東京五輪に向けて極限を超えた戦いを終えた身でもある。そのため「疲れに応じて昼の練習を抜いてマッサージを入れることも」とケアには余念がない。いつまでも若々しいが、34歳なのは事実だ。
17時には競輪場での練習を終え、帰宅。晩御飯を19時から始めて「食べ終わったら風呂に入る。そして後は寝るだけ、の状態を作って…」。20時から21時がゲームの時間だ。
「若いころは徹夜でゲームをしてそのまま練習でも平気だったけど、さすがにここ最近は眠気が襲ってくる(苦笑)」
ゆっくり休んで、また次の日。オフの日も「作ります。週でいうと6勤1休か5勤2休。今は割と自由に決められるので。今は子どももいないので自由なんで。生まれたりしたら、また考えて」とのことで、体の状況を踏まえつつ、レースへの準備にいそしんでいる。
とはいえ、現状がすべてではない。「今のナショナルチームもまた進化していると思うし、もっと効率よくできるかも、と勉強しないといけない。辞めてからはコーチとかと話す機会はないけど、寺崎(浩平)君がいるので、聞いて、情報を絶やさないようにしています」と、トップに君臨し続けるために必要なものは求め続けている。
戦いの日々は、6月、7月とボルテージを上げていった。岸和田の「高松宮記念杯(GI)」は昼間の6日制、5回走りだった。
「高松宮記念杯は濃かったですね…」
死闘を振り返る。少し顔色を青くして「昼間の6日間、5回走りはみんな想像以上にダメージがあったと思う」と話す。競輪場の環境もあり「分宿だったので睡眠時間も自由がきかなかった」。日に日に消耗する中だったが決勝は古性優作(32歳・大阪=90期)と稲川翔(38歳・大阪=90期)を連れての突っ張り先行だった。
「最大の思いは近畿から多くグランプリに、という中で早めに主導権を取れれば」の狙いがあった。また「2人の地元でもあったんで」と、大阪2人がっちり結束して別線の選手にチャンスを与えなかった。さすがに「戦えたとは思うけど、徐々に体力がなくなっているのも感じた。年齢も年齢なので」とこぼしたものの、熱過ぎる走りはファンの胸を叩いたものだ。
久留米記念を「体力が残っていなかった…」と振り絞って走ると、函館の「サマーナイトフェスティバル(GII)」はまた新たなドラマを生んだ。決勝で松浦悠士(32歳・広島=98期)が番手に付くことになった。
「最初は勝手に自分で単騎と思っていて、記者の人にも『自力。単騎でも自力』って答えていたんですよ。そしたら、松浦君が来て…。『ついてもいいですか』っていうので、『いいよ』と」
その時に脳裏に浮かんだのは「二分戦になる」という現実。別線は佐々木悠葵(27歳・群馬=115期)を先頭にする関東勢3人と、後は単騎の3人。「先手を取らないと」と思った。それに「後ろに付いてくれるということは、僕自身を評価してくれるからだと思っている。普段の僕のレースを知っているからこそ、なので、何かを変えることは失礼」。自分らしい走りに徹した。
松浦の優勝という結末で幕を閉じた函館のあとには、地元の福井記念が控えていた。初日特選で苦杯をなめた後は2連勝で決勝へ。そこに試練があった。
「今後こういうレースは増えてくると思う。いい経験になりました。まあ、地元記念の決勝で…というのは気持ち的にアレでしたけど」
関東のマーカー・河野通孝(40歳・茨城=88期)が、藤井栄二(32歳・兵庫=99期)の後ろでジカ競りを挑んできた。この時、ワッキーは何を考えていた?
「競られるから自力で、という考えはなかった。ちょっとずつでいいと思うんです。急に戦法チェンジするわけじゃないんで。負ける可能性が広がると考える人もいるだろうけど」
競りになり、競ることだけでいえば河野が上なのは事実。戦前の推理で、「競り負けた時に下げてまくって勝ちにいくのでは」と考えたファンの声もあった。が、踏み遅れた後、必死に追い上げて番手を守ることに力を費やした。結果は6着。負けは、負けだった。
「でも常にそこはこだわらないといけないと思っている。自分が若い時に後ろで競り負けた選手が追い上げてこなくて疑問に思ったこともある。だからそこはブレずに行く。もちろん今回は失敗したわけなんで、早めに取り返したいと思っています」
人気を裏切ってファンに迷惑をかけた分は、またこれから取り返す決意を燃やす。それはすぐに迫る、3度目のファン投票1位で挑む西武園「オールスター競輪(GI)」でこそだ。
脇本雄太
Yuta Wakimoto
脇本雄太(わきもとゆうた)。1989年福井県福井市生まれ、日本競輪学校94期卒。競輪では特別競輪9勝、20年最優秀選手賞を受賞。自転車競技ではリオ、東京と2度オリンピック出場、20年世界選手権銀メダル獲得。ナショナルチームで鍛えられた世界レベルの脚力とメンタルは競輪ファンからの信頼も厚く、他の競輪選手たちに大きな刺激を与えている。プライベートではゲーム・コーヒー・麻雀など多彩な趣味の持ち主。愛称は”ワッキー”。