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平原康多の勝ちペダル

【#36】「気持ちだけは切らせたくない」満身創痍でも走り続ける理由

2023/07/24 (月) 18:00 54

サマーナイトフェスティバルにて(撮影:北山宏一)

満身創痍の状態で走り続けていた平原康多選手は、G2サマーナイトフェスティバルで見事に決勝に進出しました。来月には地元西武園で行われるG1オールスターが控えています。ここからどんどん調子を上げていってもらいましょう!


◆競輪は難しいし面白い!

ーーサマーナイトお疲れ様でした。厳しいコンディションの中での決勝進出でしたね。

 自分でもビックリですよ。ただ、ここで流れが変わったかなというのはありました。

ーーそれはレースの中でのことですか?

 ええ。眞杉(匠)に付いた準決は、2センターまでコースがなかった。その時点では守澤(太志)の外を踏むしかないと思っていました。4角から間を割って踏み込まなきゃと考えていた時に、眞杉が守澤にドンッ! と当たったんです。焦って踏んでいたら、引っかかって落ちていた。本当に一瞬のタイミングなんですけど、そこを踏まずに冷静に見られたことで、決勝にも乗れたし、悪い流れが変わったんじゃないかと思いました。

ーーあの眞杉選手の一発は衝撃的でしたね。

 本当に気持ちが入っていましたね。

ーー好調でも決勝に乗れるとは限らないのに、こうして状態が万全じゃない時に乗れたりする。競輪は難しいし面白いですね。

 もちろん眞杉のおかげなんですけど、運だけではないと思っています。

ーー正直なところ、体の状態はどうだったのですか?

 肩甲骨は完全にくっついてはいないけど、肩や腕の可動域に関しては問題ありませんし、パワーにも耐えられます。ただ、その後の宮杯(高松宮記念杯)でやった股関節、恥骨の部分が100%の負荷をかけられる状態ではないですね。

ーー最近、目標選手と車間が空いてしまうシーンがあるのはそれが原因なんですね?

 それもありますね。あとは先行選手との呼吸や駆け引きの部分も原因にはあります。

ーー決勝戦は脇本雄太選手と松浦悠士選手が初連係でした。20年の平塚GPで平原選手が脇本選手と連係したのと同じような衝撃がありました。

 並ぶことがいいとか悪いとかではなく、脇本という強い選手の後ろを回れるタイミングとチャンスが来たということ。僕もずっと敵として戦ってきたけど、あの時に付いたことは1つも後悔していませんし、いい経験になりました。

あの時に付いたことは1つも後悔していません(撮影:北山宏一)

ーーその2人との戦いは、いかがでしたか?

 脇本のスピードにどう対処するかが課題でした。それでも、打鐘からホームを「10秒4」、ホームからバックが「10秒6」のようなタイムで来られると、自分が本調子だったとしても優勝はなかったでしょう。張りながら出ていくようなスピードじゃありませんから。

ーー作戦はどうだったのでしょう?

 佐々木(悠葵)は「脇本さんが来るタイミングを見て踏みます」と言っていましたし、全て佐々木の感性とタイミングに任せました。

ーー単騎が3人いたのは、やりづらかったですか?

 脇本のスピードに集中していたので、単騎は気にしていられなかったのが正直なところです。

ーーそして、脇本選手には完敗だったと?

 悔しい気持ちはもちろんありますけど、戦ってみて得たものも大きかったです。

ーー満身創痍(そうい)の状態で休まないのはなぜですか?

 前橋から恥を忍んで走らせてもらっているのは、気持ちだけは切らせたくないからです。休んでしまって戦う気持ちを失ってしまうことが一番怖いですね。

気持ちだけは切らせたくない(撮影:北山宏一)

ーー8月には西武園オールスターが控えています。今年もファン投票でドリームレース(5位)に選出されました。

 今年は運に見放された部分もあるし、けがも続きました。満足に走れていない中でそうやって選んでいただけるのは、本当に励みになります。

ーー本番までにはベストの状態に持っていけそうですか?

 体が万全でなかったので、試したいセッティングがあっても、ここまではなかなか体とマッチしてくれなかった。ただ、ここまでやって分かったこともあるし、やらなきゃいけないことも見えました。オールスターまでに、ベストに近付けたいし、やるしかないですね。

(文中敬称略)

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平原康多の勝ちペダル

平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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