アプリ限定 2023/03/30 (木) 12:00 78
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。3月のクローズアップ選手は2月に2度目の産休から復帰した溝口香奈(37歳・大分=108期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
溝口香奈は兵庫県南西部・たつの市出身。自然の多い土地で1つ下の妹、5つ下の弟と元気よく育った。子どもの頃から体を動かすことが大好きで、妹と野山を駆けまわっていたそうだ。中学時代は地元の公立校で吹奏楽部に所属する傍ら、器械体操、水泳、ピアノに習字、学習塾とたくさんの習い事を掛け持ちするガッツあふれる少女だった。
卒業後は兵庫県立大学附属高校へ進学。選んだ理由は“私服通学”だったからだという。
「中学は自宅と学校が遠かったこともあり、がっつり部活動に打ち込む感じではなかったんです。高校では運動系の部活をやりたかったし、テニス部を選びました。3年間部活に打ち込んだ青春時代でした」
高校卒業後の進路は両親の勧めもあり大学進学を選択。大阪芸術大学に入学し、アイスホッケー部で体を動かした。
「大学に入って一番最初に仲良くなった友達の影響です。自分が4年生のころは20人くらいになったけど、今はなくなってしまいました」
写真学科だったこともあり、大学時代の友人は写真関係の仕事を選ぶ人が多かった。溝口もその流れで「日本写真判定株式会社(現・株式会社JPF)」へ就職することに。これが溝口と公営競技の出会いだった。
「写真関係の求人の中から日本写真判定を見つけました。最初の仕事先は尼崎ボートレース場で、場内業務を担当しました。その後、奈良競輪へ異動になりました」
それは、ガールズケイリンの48年ぶりの復活が決まった頃だった。ちょうど1期生を募集していたが、溝口は自分が選手になるとはまだ思ってもいなかったという。
「ガールズケイリンの存在は認知していたけど、自分がやることになるとは思わなかった。日々競輪場での業務をしている中で、ガールズサマーキャンプの存在を知って、そのときに参加してみようと思ったんです」
仕事を通して競輪を知り、当時面識があった遥山夕貴(福岡・108期)とサマーキャンプに参加することになった。“ガールズケイリン元年”である2012年夏のことだ。
「梅ちゃん(遥山)と『サマーキャンプ行ってみようか』という流れになったので。この時のサマーキャンプには引退した飯田よしのさんや、122期の小泉夢菜さんがいましたね。その後、ガールズケイリン選手になった人がいっぱいいました」
そのサマーキャンプをきっかけに、「ガールズケイリンをやってみたい」と決意した溝口。3期生の適性試験を受験する。
「結果は不合格。でも、このままじゃ終われないと思い、4期生を技能で受けることに決めました。中川武志さんに師匠になってもらい本格的に練習を始めた。島田優里ちゃんと一緒に練習漬けの毎日でした。職場の理解もあり、練習に打ち込める環境があり、4期生で合格することができました」
同期は児玉碧衣、尾崎睦らタレント揃いだ。自転車経験の少なかった溝口だが、卒業記念レースは3、4、2着で決勝進出し、決勝は6着。在校成績7位と健闘した。
「同期の中で尾崎睦と児玉碧衣は抜けて強かったし、当時から期待されていました。細田愛未と三宅玲奈の4人はT教場(滝澤正光校長が直接指導する教場)、自分は普通の教場でしたね。もう時効の話だけど、むっちゃん(尾崎睦)達T教場は練習が終わったあと、先生からアイスクリームをもらっていた(笑)。当時はそれがすごくうらやましかったですね。同期はみんな楽しくやっていましたよ。特に佐藤亜貴子さんはいろいろ話を聞いてくれました」
そして迎えたデビュー戦は地元・奈良競輪場。ファンや関係者の大きな期待を背にスタートをすると、奥井迪、田仲敦子をうまく追走して3着入線。いきなり車券に貢献した。幸先いいデビュー戦だが、緊張のあまり記憶はあまり残っていないという。
「デビュー戦が奈良だったことは覚えていますが、緊張でなんにも覚えていないんです。3着に入れたことだけはなんとなく思い出したけど、本当に緊張していて…」
デビュー2場所目の高知ミッドナイトでは最終日の一般戦で初白星。4場所目の弥彦では初の決勝進出を果たし、その後はコンスタントに車券に貢献、決勝進出も増えていった。
「デビューしたときから変わらない気持ちとしてあるのが『競輪が好き』ってこと。日本写真判定に勤めていたときに初めて競輪に携わり、こんなに楽しいものはないと思ったんです。だからこそ選手になりたいと思ったし、選手になれてからは細くてもいいから長く続けたいと思っています」
溝口と言えば、魚屋周成(32歳・大分=99期)との夫婦レーサー。出会いのきっかけは共通の知人がいたことだ。
「夫とは知人の紹介で知り合いました。日本写真判定で働いているころは競輪場の映像関係の仕事をしていたので、彼の名前は見たことがあったんです。出走表を作るとき『魚屋周成』って名前をパソコンで打ち込んでいましたから(笑)」
2017年1月11日に二人は結婚。“夫婦レーサーでよかった”と思う瞬間は、やはり競輪の話を理解し合えることだそう。
「普通の人だと『バックを踏む』とか『締め込んでくる』とかわかんないですよね(笑)。だけど競輪選手同士だと分かり合えるし、同じ話題で笑えるんです。結婚してよかったと思えることですね」
しかし、この年は激動の1年になった。溝口は入籍直後の2月小倉で落車し、頭を強く打ってしまったのだ。4月に復帰し2場所走ると、今度は妊娠していることがわかった。
産休から復帰したのは2019年1月。なかなか決勝に乗れない苦しい時期が続いたが、同年11月の向日町では3、3、2着で準優勝を果たす。このレースの決勝は加瀬加奈子との“ママさんレーサーコンビ”でワンツー決着だった。
「出産ギリギリまで体を動かしていたので、『脚力の貯金』がありました。そのおかげで復帰してからすぐレースの流れに乗れたのだと思います」
翌2020年もまた大変な1年だった。2月にはいわき平、京王閣、大宮と3場所連続で決勝に乗り、好調ムードの波に乗っていたが、4月玉野で鎖骨を骨折。6月に復帰するも決勝に乗れない開催が続き、10月の地元別府を走り終わった後、2人目の妊娠がわかった。
「2人目のときは大変でした。4月の鎖骨骨折もあり、1人目のときと違い『脚力の貯金』がなくなった。切迫早産で入院も長くなってしまって…。でも生まれてきてくれて、2人とも育ってくれているしよかった」
出産後は2023年夏から復帰する計画を立てていたが、ある出来事が起こる。
「2022年の年末、洗濯物を干しているときに滑ってじん帯を損傷してしまいました。夏からの復帰が遅れるかなと思っていたときに、あのことがあって…」
1月17日、夫の魚屋周成が先頭員早期追い抜きで失格となる。処分は4か月間のあっせん停止。つまり、無収入になってしまったのだ。
「これは競輪の神様が『早く復帰しなさい』と言っているのかと思いました。失格したその日に産休からの復帰を決めて、2月14日に現場復帰へ向けた走行試験をして。すぐに追加の連絡が来て復帰することになりました」
まさに“母は強し”。凄まじい行動力で、2月18日の小倉ミッドナイトから復帰する。当然ながら、直近4か月の競走得点は0点。ミッドナイトは競走得点順の車番になるため、毎日7番車からのレースになるのを承知の上で追加を受けた。
結果は7、6、7着。緊張もあったそうだが、“仕事場”に戻ると選手としての闘争心がまだ燃えていることを感じたという。
「復帰戦を走ったことで、やっぱり競輪選手を辞めたくないって気持ちが芽生えました。走る前はこのままストレートで(代謝になり)終わっていくのかなとも考えたことがあったけど、開催に参加したことでまだ競輪選手をやりたいと思いました。レースに行けばガールズケイリンの仲間がいるし、楽しい。夫はまだしばらくレースを走ることができないので、自分が頑張って賞金を稼ぐつもりです。2月の小倉、前橋、3月の京王閣と立て続けに走って、練習不足なのがわかったし、今は4月末の地元戦に向けてしっかり練習をしています」
“肝っ玉母ちゃん”として急遽2度目の復帰を果たした溝口。彼女の心を癒している“趣味”があるという。
「2人目を産んだあとに、趣味であんこのお花作りを始めました。元々高校卒業後は調理や製菓の専門学校に行きたかった。大学に進んだおかげで映像制作の魅力に気付いて、今の職業につながっているのですが、お菓子作りにずっと興味があったんです。時間に余裕ができてからスクールに通っていて、あと少しで資格もとれそう。気分転換にもなるし、いい趣味を見つけることができました」
“好きなこと”を徹底的に極める姿勢には脱帽だ。仕事に趣味に資格取得と、バイタリティ溢れる溝口は、昨年デビューした安東莉奈(21歳・大分=122期)の師匠でもある。
安東は高校卒業のタイミングで競輪選手養成所を受験したが不合格。2回目の受験に際して、溝口に弟子入りしたそうだ。安東は、師匠への感謝を口にした。
「1回目の試験のときは大塚健一郎さんが練習を見てくれていたのですが、2回目の受験に向けて大塚さんが溝口さんに話を通してくれて、練習を見てもらうようになりました。溝口さんは産休中でお腹が大きいときにも練習を見てくれました。私はそのおかげで122期で養成所に入ることができた。本当に感謝しかないです」
無事デビューを迎えた安東はルーキーイヤーから健闘している。師匠・溝口もホッとしているようだ。
「プロデビューするまではいろいろ言ってきたけど、デビューしてからは自主性に任せています。これからは好きなようにやって頑張ってもらえれば充分ですよ」
今年の夏で38歳を迎える溝口。やる気はまだまだみなぎっている。
「すぐに点数は上がらないと思うし、まずは46点をキープするところから頑張ります。本当にガールズケイリンは面白い。負けて悔しいって気持ちもあるし、まだまだこれから。少しずつ戻していきますよ」
ガールズケイリンには多くのママさんレーサーがいる。選手同士の結婚も増えてきた。産休や復帰へ向けての環境の整備はまだ課題もあるが、溝口のようなママさんレーサーが復帰して活躍することで、どんどん働きやすい環境になるはずだ。
「子どもを産んでから競輪選手を辞めようと思ったことはありません。もちろん子どもも大事だけど、自分のことも大事にしたい。競輪は走っても、見ていてもすごく面白い。体が続く以上はやっていくつもり」
これからも“肝っ玉母ちゃんレーサー”溝口香奈の挑戦は続く。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。