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すっぴんガールズに恋しました!

【神澤瑛菜・森内愛香】ラストラン欠場、最終戦で代謝決定… 引退した二人の歩みと選手不足の現状へ提言

アプリ限定 2025/10/02 (木) 18:00 12

今回のクローズアップは2025年前期をもって代謝制度により強制引退となった116期の神澤瑛菜、118期の森内愛香。ラストランを欠場した神澤、最終戦まで代謝回避の可能性を残した森内の2人が、現在の心境を明かします。さらに松本直記者が選手不足が目立つ近況のガールズケイリンについて提言。未来のために今考えるべきこととは…。

(左から)神澤瑛菜、森内愛香

【神澤瑛菜】ラストラン欠場も…期末に爪痕
「亡き父が背中押してくれた」

後閑親子との縁で競輪選手志す

 群馬県安中市出身の神澤瑛菜。中学時代はバレーボールに熱中し、推薦で私立前橋育英高校へ進学した。同校は自転車競技の名門で、OBには後閑信一氏がいる。卒業後の進路に悩んでいた頃、父から「足で稼ぐんだ! 」と声をかけられた。父は後閑氏の同級生で、娘を競輪へ導きたい思いがあったのだろう。

 父の勧めで前橋競輪場を訪れた神澤はバンクを走る選手たちの姿に「格好いい」と一目惚れし、日本競輪学校116期の適性試験を受験。バレーボールで鍛えた運動神経を発揮して合格した。学校生活は「家族と離れるのが辛かった」というが、後閑信一氏や娘・百合亜さん(ガールズ1期生)の助言に背中を押され、1年間の厳しい訓練を乗り越え卒業。2019年7月、宇都宮でガールズケイリン選手としてデビューした。

デビューから初勝利、恩人の冠レース

 デビュー後はなかなか成績が振るわなかった。しかし同年10月弥彦の最終日、最終バックでは苦しい展開だったが3角から踏み上げると、大外を一気に突き抜け初勝利を飾った。「初めて落ち着いて走れた。うまく流れに乗れた」と振り返る。翌年1月の松阪では初の決勝進出も果たした。

 最も思い出に残るのは2021年8月京王閣。恩人である後閑氏の冠レース「後閑信一杯」にあっせんされると、体重を絞るなど準備を徹底し臨んだ。「絶対に結果を残したい」と意気込み、見事決勝進出を果たす。決勝前インタビューでは“後閑Tシャツ”を着用でき、競輪人生のハイライトとなった。

 しかしその後は喘息発作や父の死、コロナ禍の影響で成績は低迷。

「京王閣の後は喘息の発作が出てしまったり、競輪選手になることを応援してくれた父が亡くなったりと、いろいろ重なり成績が落ち込んでしまいました。コロナ禍で他の選手との練習もやりづらくなったことも私にとっては痛かった。選手生活の晩年はウォーミングアップのときから胸の痛みに悩まされました」

 それでも2024年夏の川崎ではダイナミックな追い込みで久々の白星。親交のある當銘直美の通算100勝とも重なり喜びを分かち合った。

「お客さんの前で話をするのが久しぶりで舞い上がっていましたね。家に泊まりに来てくれたこともある當銘さんが100勝を決めた開催で自分も最終日に勝つことができて、一緒に写真が撮れたので思い出深いです」

最後の半年、気持ちで挑んだレース

 しかし大敗スパイラルからは抜け出せず。2025年前期は代謝を回避するため懸命に走ったが、挽回することはできなかった。

「最後の半年は『神澤、頑張っているな』と思ってもらえる走りを心がけました。Sからレースを始めてみたり、最終ホームや最終バックを先頭で通過できるように考えたり…。私に賭けてくれている人もいると思うし、後方で何もできず終わることがないようにと思っていました」

 2025年6月の地元前橋では気合十分で挑んだ。「ミッドナイトだったけど、群馬の先輩もいたし、売店には師匠(大河原和彦・58期・引退)もいたんです。気持ちを込めたレースをしようと思いました。最終日はいろんな思いを持ってレースに臨んだ。ちぎれることなくレースを終えることができたので、改めて競輪は気持ちだなって」と語る。

 その後の富山最終日には最終バックを先頭通過する積極的なレースを披露。

「選手紹介のときの声援がすごく多くてびっくりしました。恩返しをしたい、自分の勇姿を届けたいと思って腹をくくりました。選手人生で最終バックを取れたのは、これが初めてでした。最後は父が背中を押してくれたような気がします。レース後は記憶が飛ぶくらい苦しかったですけどね」

ラストランは無念の欠場

 期末に爪痕を残した神澤だったが、ラストランのはずだった6月末の福井モーニングは欠場。喘息悪化によるドクターストップだった。

「福井には同期も来てくれると聞いていたので参加したかったけど、肺に穴が空いてしまいました。医師からは『ラストランでも3日間走るのは難しい』と言われてしまった。最後まで走りきれず残念だったけど、諦めるしかありませんでした」

 6年間の選手生活。代謝制度による幕引きには悔いが残る。

「常に期末の得点を意識していて、順調なときは少なかったです。喘息もあったけど、自分に甘い部分もあったのだと思う。私のような状況でも結果を出している選手もいるから、言い訳はできません。私は踏ん張りが足りなかったのだと思います」

 それでも競輪界での経験を生かして、今は新たな人生をスタートさせている。

「落車は5回あったが大ケガなく終えられたのは両親が丈夫な体で産んでくれたおかげ。ガールズケイリン選手として過ごした経験はかけがえのないもの。選手生活はやりきれたかなと思います。今は体調もだいぶよくなり、スポーツジムで働いています。また1から勉強して頑張りたいです」

 苦しい時期が長かった神澤の選手生活。どんなときでも心の支えとなったのは、ファンの声援だった。

「ファンの方々に、心からありがとうございましたと伝えたいです。応援してくれたおかげで頑張れました。苦しくても、ファンの方が支えてくれたおかげで選手生活を続けることができました」

(撮影:北山宏一)

 地元・前橋バンクでは、10月にGI寛仁親王牌が控えている。選手生活を支えた仲間たちの雄姿を、神澤も楽しみにしている。

「まだ引退してから競輪場には行けていないんですが、10月の寛仁親王牌は観に行きたいと思っています。群馬の選手には本当にお世話になったので、走っている姿を見たら泣いてしまうかもしれませんね」

 選手生活の後半は体調不良もあり思うようなレースができなかったが、最後は気持ちの入った走りで神澤らしさを発揮できた。競輪界での経験を生かして、次のステージでも活躍してほしいと心から願う。

【森内愛香】最終戦まで代謝回避の可能性…
「泣かないで終わろうと思ったのに」

BMXからガールズケイリンへ

 大阪府岸和田市出身の森内愛香は、兄の影響で小6からBMXを始めた。最初は乗り気ではなかったそうだが、大会に出場するうちに楽しさを知り、中高は部活に入らず毎日競輪場に隣接する「サイクルピア岸和田」で練習した。

 高校時代は大学進学を考えていたが、父の勧めで養成所の116期試験を受験。BMXで全日本3位の実績があるため1次試験免除で臨んだが、2次試験は不合格だった。

「適性で受験して、不合格でした。しっかり準備したとは言えなかったけど、合格者リストに名前がないのが嫌で、もう一度挑戦したいと思った。118期の試験は技能で受けられるように、師匠(原田隆・77期)にすぐ『練習お願いします』と電話しました」

 反骨心に火がついた森内は、1年間原田の息子・翔真らと練習漬けの日々を送り、118期試験に合格。同期にはBMX時代からの友人・永禮美瑠もいて、養成所生活を支え合った。「118期は毎日どこかで揉めていたけど、今では笑い話」と振り返る。

デビューから初勝利、そして決勝進出

 養成所での在所成績は16位、在所0勝。それでも2020年5月広島でデビューすると、1走目では先行勝負を披露し、2走目は3着で車券に貢献と存在感を発揮した。その後も9月福井で初勝利を挙げるなど、順調な滑り出しを決めた。

「自転車を操ることは得意だったので、器用に立ち回って何でもできる選手になりたいと思っていました。福井の初勝利は最終バック7番手で、ラスト半周を夢中で走った感じでしたね。後からファンの方が撮影してくれたゴール後の写真を見たら笑っていたので、手応えがあったのかもしれません」

 2023年9月の大垣では初めての決勝進出を果たす。

「このころが一番自転車に乗れていましたね。デビュー1年目は競輪選手としての生活に慣れるまで大変だった。少しずつ慣れてきてようやく決勝に乗れた感じでした」

同期の永禮美瑠(右)と

代謝争いの渦中でも責務果たす

 しかしこれが最初で最後の決勝進出となった。この2場所後、西武園で落車したことでリズムを崩し、成績は低迷してしまう。

「BMXをやっていたこともあるから接触に怖さはないし、落車をしても軽傷で済んでいた。落車が多い割にケガは少ない選手生活だったと思うけど、成績は持ち直せませんでした」

 選手生活後半は、代謝争いをすることが多かった。半年ごとに成績下位3名が強制引退となる厳しい状況でも、森内は点数を強く意識せずレースに出続けた。とりわけミッドナイト競輪では、点数の低い選手が不利な外枠になり、さらに成績を落とすことになりかねない。

「私の場合、点数のことは気にしてもしょうがないと割り切っていました。もちろん考え方は人それぞれだと思うけど、競輪選手はレースを走ることが仕事だから、(不利な状況だからといって)休んだりすることは違うかなと思っていた。ミッドナイトを走れば7番車になることが多かったけど、ちゃんと参加しようと思っていました」

 選手生命を左右する状況にあれば、コンディション管理を優先して出場を見送っても不思議ではないが、受けたあっせんは走るということが森内のポリシーであり、覚悟だった。

同期の國村美留莉(左)と

代謝回避の可能性残るなか迎えた平塚

 ラストランは2025年6月の平塚開催。ギリギリまで代謝回避の可能性が残るなか、森内は平常心で競輪場入りした。

「これが最後かもしれないとは思っていたけど、自分自身はできることを一戦一戦やろうと思っていた。これは最後の平塚だけでなく、いつも思っていたことです。もしここで良い結果が出たら、その次からまた一戦一戦頑張るだけだと」

 この開催に同期はあっせんされていなかったが、追加で國村美留莉が参加となった。しかし結果は初日7着、2日目6着。決勝進出を逃した時点で、代謝は決定的となった。最終日は師匠や同期が平塚に足を運び、金網越しで森内に声援を送った。

「誰が応援に来てくれているかというのは知らなかった。関係者席とかでこっそり見ているのかと思ったら、ゴール前の金網のところにいてくれたんです。選手紹介でバンクに出たらみんなの大きな声が聞こえてびっくり。グッとこみ上げてくるものがありました。改めて選手である以上、1着を目指して走らないといけないと思いました」

 最後のレースとなった一般戦は、森内の愛車と同じ青色の4番車での出走だった。最終バックを3番手で通過したときには大きな歓声が上がった。最後の力を振り絞って駆け抜けたが結果は4着。勝つことはできなかったが全力を出し切り、悔いなく選手生活を終えた。

「同期のおかげで楽しい選手生活でした。最後も泣かないで終わろうと思ったのに、みんなが応援しに来てくれたのが見えて涙が止まらなかった。同期が大好きで、118期で競輪選手になれて本当に良かったです」

ファンへのメッセージ

 5年間の選手生活を終えた森内から、競輪ファンの方へのメッセージを預かったので、最後に紹介する。

「お久しぶりです。118期の森内愛香です。2025年6月で引退することになりました。報告が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。現役時代特に目立った成績を残すことができなかったにも関わらず、名前を呼んでいただいたこと、『頑張れ』と言ってもらえることがとても励みになりました。その他イベントで直接お話をしたり、前検日の競輪場入り前に喝を入れてもらったり、練習の合間にお話をしたりと、振り返ってみれば毎日が楽しく、たくさんの方に支えられた5年間だったなと改めて感じています。今後この5年間の経験を活かして次の人生も自分らしく頑張っていこうと思います。最後になりますが、5年間本当にたくさんのご声援ありがとうございました」

 競輪場で取材をすると、森内はいつも同期や仲間に囲まれていた。まだ次の仕事は未定とのことだが、森内の明るさがあればどんな仕事でもうまくいくはずだ。新しいステップでの活躍を応援したい。

深刻化する選手不足 公正安全のための提案

 ここからは最近のガールズケイリンで気になることをひとつ、書き記しておきたい。

 開催初日から6車立てとなるレースが目立つ。落車や新人の自粛欠場(127・128期の一部が新人訓練における規則違反で自粛欠場。期間は選手により異なる)などが重なり、選手不足が深刻化している。7車でレースを行うためにJKAの関係者も奔走しているが、追加で走れるのも中0日、中1日の強行日程の選手が多い。

 ガールズグランプリやオールガールズクラシックといったビッグレースへの出場を目指して賞金を積み上げるため追加を受ける選手もいるが、強行日程はパフォーマンス低下や疲弊につながる恐れもある。開催中は緊張感を保てていても、開催後は疲れが出ているのが目に見えてわかる。

(撮影:北山宏一)

 今の開催数を維持するためには、選手数そのものが足りていない印象を受ける。大胆な提案になるが、公正安全なレースを運営するためには登録審査制度(代謝)の一時停止など柔軟な対応も検討すべきではないか。

 ガールズケイリンは産休中の選手もいるため、登録数と実働数に差がある。今後もライフステージが変わる選手は増えるはずで、選手不足という状況に陥るのは今だけではないだろう。

 選手数が増えれば、班分け(L1、L2)の導入も視野に入る。制度整備と環境改善が、次世代の選手に安心して走れる舞台を提供し、ガールズケイリンをさらに魅力的にしていくはずだ。

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すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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