2021/04/07 (水) 20:00 5
現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんがベイサイドナイトドリーム(GIII)を振り返ります。
2021年4月6日 四日市12R ベイサイドナイトドリーム(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①浅井康太(90期=三重・36歳)
②深谷知広(96期=静岡・31歳)
③平原康多(87期=埼玉・38歳)
④原田研太朗(98期=徳島・30歳)
⑤諸橋愛(79期=新潟・43歳)
⑥福島武士(96期=香川・35歳)
【初手・並び】
←③⑤(関東)①(単騎)⑦④⑧⑥(中四国)②⑨(混成)
【結果】
1着 ⑤諸橋愛
2着 ③平原康多
3着 ⑧香川雄介
4月6日、四日市競輪場でナイターGIII「ベイサイドナイトドリーム」の決勝戦が行われました。松浦悠士選手や(98期=広島・30歳)や平原康多選手(87期=埼玉・38歳)、守澤太志選手(96期=秋田・35歳)など、松阪でのウィナーズカップ(GII)を走っていたS級S班の選手が、ここにも多く出場していましたね。
和田健太郎選手(87期=千葉・39歳)の準決勝敗退は残念でしたが、今回はあきらかにデキがよくなかったですから、これは致し方なし。それに対して、決勝戦へと勝ち進んだ選手は、みんな調子がよかった印象です。なかでも、平原選手のデキのよさは目立っていましたね。松浦選手も勝ち上がりの内容から、ウィナーズカップのときよりも調子を上げてきていた印象です。
今回の決勝戦で面白かったのが「人気」ですね。中四国ラインが4車となり、しかもその先頭を走るのは、松浦選手。通常であれば、ここが一本かぶりの人気になってもおかしくないですよね。しかし、実際には意外なほど人気が割れた。つまりそれだけ、中四国ラインの信頼度はそれほど高くないと考えたファンが多かったということです。
ではさっそく、決勝戦の回顧に入りましょう。スタートから、積極的に前の位置を取りにいったのは平原選手。単騎となった浅井康太選手(90期=三重・36歳)は、その後ろの位置を選択しました。そして4番手に、中四国ラインの先頭を走る松浦選手。守澤選手とのコンビとなった深谷知広選手(96期=静岡・31歳)は、8番手から仕掛けるタイミングをうかがいます。
その後は動きもなく淡々と流れて、赤板(残り2周)を過ぎても初手の並びのまま。後方にいた深谷選手が仕掛けたのは、1センター過ぎからでした。これを叩きにいくような動きはなく、打鐘から深谷選手が逃げるカタチに。平原選手は絶好の3番手、対照的に松浦選手は6番手からという態勢で、最終周回に入りました。後ほど改めて解説しますが、松浦選手にとっては初手の並びからして、難しい面があったんですよね。
最終1センターから松浦選手が捲りにいきますが、それを待っていた平原選手にキッチリ合わされてしまい、厳しい展開に。さらに、松浦選手の番手にいた原田研太朗選手(98期=徳島・30歳)は、浅井選手がヨコの動きで切り替えを狙ったことで、松浦選手から離れてしまいました。こうなってしまうと、中四国ラインは4車もいるという“数”の強みを、なにも発揮できません。
これで優勝は「前」での争いに。最終バックから捲った平原選手が先頭を走る深谷選手を捉えて、直線の入り口で先頭に躍り出ます。その番手にいた諸橋愛選手(79期=新潟・43歳)は、3コーナー手前で松浦選手に絡まれたことで平原選手と離れてしまいそうなシーンもあったんですが、最終的にはうまく振り切っていましたね。このあたり、さすがは底力のあるマーク選手ですよ。
それにこの「平原選手と離れそうになったこと」が、結果的には諸橋選手にとってプラスに働いたんじゃないでしょうか。諸橋選手は直線でもいい伸びをみせて、前を走る平原選手をゴール寸前で捉えきりました。絶対に離されてはいけないという気持ちが脚に乗り、その勢いのまま直線に向かえたことが、最後の爆発力につながった印象です。関東ラインによるワンツーで、しかも久々の記念優勝。諸橋選手、うれしかったでしょうね。
3着は、ラインが分断されてからも冷静に立ち回り、直線でもいい伸びをみせた香川雄介選手(76期=香川・46歳)。期待された中四国ラインでしたが、松浦選手は5着、福島武士選手(96期=香川・35歳)が6着、原田選手は9着という残念な結果に。上位に食い込めたのは香川選手だけでした。松浦選手がもっと早くから仕掛けていれば思う方がいるかもしれませんが、アレは動きたくても動けなかったんですよ。
例えば、深谷選手が後方から仕掛ける前に、先頭を走る平原選手を抑えにいったとしましょう。タイミングにもよりますが、基本的に平原選手は引かずに突っ張るでしょうね。私だったら、絶対に引かない。松浦選手だけを前に出して、その後ろにいる原田選手をヨコの動きでブロックして、番手を奪いにいきますよ。なぜなら、後方からの捲り一辺倒である原田選手は、タテの脚はあってもヨコの動きに弱いと知っているからです。そしてこれが、中四国ラインが一本かぶりの人気にならなかった理由でもあります。
後方8番手にいた深谷選手も、松浦選手とは別の理由から、平原選手を抑えにいきたくはない。抑えにいったところを、松浦選手に一気に捲られるような展開は避けたいですからね。それにこの並びだと、自分の次に松浦選手が仕掛ける順番になるわけですが、そのタイミングが遅くなればなるほど、自分にとって有利。なので、できるだけ仕掛けるタイミングを遅らせたいというのが、深谷選手の心理となります。
つまりあの並びになると、松浦選手は動くに動けず、深谷選手は動かない。そうなると有利になるのは、平原選手が先頭を走る関東ラインです。そして実際に、結果もそのとおりになった。いっけん、動きのない単調なレースに見えたかもしれませんが、そこにはまるで「詰め将棋」のような、心理面での駆け引きがあったんです。少しハードルが高いですが、これがわかるようになると、競輪はグッと面白味を増します。
さらにいえば、この「詰め将棋」に勝てる選択肢をアタマが導き出したとしても、思った通りにカラダが動いてくれるとは限りません(笑)。大きなレースで勝つには、アタマとカラダの“両方”が必要なんです。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。