2022/11/14 (月) 18:00 30
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが四日市競輪場で開催されたGIII「開設71周年記念 泗水杯争奪戦」を振り返ります。
2022年11月13日(日) 四日市12R 開設71周年記念 泗水杯争奪戦(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①古性優作(100期=大阪・31歳)
②浅井康太(90期=三重・38歳)
③守澤太志(96期=秋田・37歳)
④福田知也(88期=神奈川・40歳)
⑤坂口晃輔(95期=三重・34歳)
⑥橋本優己(117期=岐阜・22歳)
⑦坂井洋(115期=栃木・28歳)
⑧村田雅一(90期=兵庫・38歳)
⑨小原太樹(95期=神奈川・34歳)
【初手・並び】
←①⑧(近畿)⑥②⑤(中部)⑦③(混成)⑨④(南関東)
【結果】
1着 ③守澤太志
2着 ②浅井康太
3着 ⑤坂口晃輔
11月13日には三重県の四日市競輪場で、泗水杯争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。S級S班からは4名が出場していましたが、平原康多選手(87期=埼玉・40歳)は二次予選で敗退し、宿口陽一選手(91期=埼玉・38歳)は準決勝で敗退。決勝戦へと勝ち上がったのは、古性優作選手(100期=大阪・31歳)と守澤太志選手(96期=秋田・37歳)の2名だけでした。
その古性選手も調子がいいという印象はなく、コメントからは練習の疲れが残っている状態だった様子。守澤選手も「調子は悪くはないがよくもない」といった印象で、S級S班の選手は総じて、次の競輪祭(GI)や年末のKEIRINグランプリを見据えた調整で、ここに臨んできているように感じました。それに…これは記念の常とはいえ、かなり「地元びいき」の番組だったのも事実でしょう。
決勝戦で人気を集めたのは、地元・三重の総大将である浅井康太選手(90期=三重・38歳)。9月や10月の落車によるダメージが心配されましたが、それを感じさせない危なげない走りで、キッチリと決勝戦に駒を進めてきました。中部ラインの先頭は勢いのある橋本優己選手(117期=岐阜・22歳)で、番手に浅井選手。そして3番手を坂口晃輔選手(95期=三重・34歳)が固めるという布陣です。
2名が勝ち上がった近畿勢は、古性選手が先頭で、番手に村田雅一選手(90期=兵庫・38歳)という組み合わせに。自力でもやれる古性選手ですが、このメンバー構成やいまのデキだと、積極的に主導権を奪いにいくような競輪はしないでしょうね。持ち前の臨機応変さでレースの流れに合わせて立ち回って、上位に食い込んできそうです。総合力は、いうまでもなくナンバーワンですよ。
昨年この地で記念初優勝を決めた坂井洋選手(115期=栃木・28歳)は、今年は守澤太志選手(96期=秋田・37歳)との即席コンビで臨みます。坂井選手も自力があるとはいえ、その強みを最大限に活かせるのはやはり捲るカタチ。連覇を狙うならば、なおさらでしょう。マーク屋の守澤選手が番手についたことで、思いきった競輪もできるとは思いますが…そこはレースの流れ次第でしょうか。
南関東勢は、小原太樹選手(95期=神奈川・34歳)と福田知也選手(88期=神奈川・40歳)の神奈川コンビ。近況のよさでいえば、小原選手はかなり目立つ存在なんですよね。このシリーズでも調子のよさが感じられる走りをしていましたが、自力タイプではありませんから、上位争いに持ち込めるかどうかはレースの組み立て次第。うまく中団で立ち回りたいところでしょう。
自力でもやれる選手が多いですが、ここは事実上の「先行一車」で、中部ライン先頭の橋本選手が主導権を奪うだろう…という見方が強かった一戦。では、決勝戦の回顧に入りましょう。スタートが切られると、古性選手と浅井選手、守澤選手の3名が前に。これならば古性選手は引くこともできましたが、スタートを取って前受けを選択します。
中部ライン先頭の橋本選手が3番手で、坂井選手が6番手。そして後方8番手に小原選手と、初手の並びは車番の通りに決定。最初に動いたのは後方にいた小原選手で、青板(残り3周)周回のバックからゆっくりとポジションを押し上げ、先頭の古性選手ではなく、3番手の橋本選手を外から抑えにいきます。坂井選手は切り替えて、神奈川コンビの後ろにつけました。
このままの隊列で、赤板(残り2周)のホームを通過。1コーナーでは坂井選手が動いて、先頭の古性選手を斬りにいきます。古性選手は抵抗せず、坂井選手と守澤選手を前に出して3番手に。その後ろは内に中部ラインの橋本選手、外に神奈川コンビという態勢です。2コーナーを回ったところでは、小原選手が内をすくって古性選手の前に出ようとしますが、それを察知した古性選手に内を締められて、下げざるをえない態勢となります。
ここで、レースは打鐘を迎えました。それと同時に仕掛けたのが後方にいた橋本選手で、打鐘後の2センターでは、一気に守澤選手の外まで進出。しかし、これを前で待っていた坂井選手はキッチリと合わせきって、先頭のままで打鐘後のホームに。橋本選手はその後も諦めずに追いすがりますが、ここからの挽回が厳しいのは明白です。それを察知した浅井選手は、降りて守澤選手の後ろに切り替えました。
主導権を奪いきった坂井選手が先頭で、その後ろを守澤選手と、外で浮いたカタチとなった橋本選手が併走。さらにその後ろを浅井選手と坂口選手が追走して、古性選手が6番手という隊列で最終ホームを通過。古性選手に動きを封じられた小原選手は、最後方8番手と完全に後手を踏みました。孤軍奮闘を続けていた橋本選手は、最終2コーナーを回ったところで力尽きて後退します。
そして最終バックで、古性選手が5番手から始動。スピードに乗った捲りで、最終3コーナー手前では坂口選手の外を通過して、前を射程圏に入れます。しかし、古性選手の捲りを限界まで引きつけたところで、今度は浅井選手が外の古性選手を張り気味にスパートを開始。前の坂井選手と守澤選手に襲いかかりますが、守澤選手は坂井選手と車間をきって、古性選手や浅井選手の仕掛けを待ち構えていましたね。
守澤選手は、外から捲ってくる両者を軽くブロックしながら、最終2センターを通過。浅井選手の後ろにいた坂口選手は進路を内にとって、守澤選手のインを狙いながら最終4コーナーを回ります。そして最後の直線、先頭で踏ん張っていた坂井選手が苦しくなったところを、守澤選手が猛追。その外から浅井選手、内の狭いところからは坂口選手が追いすがります。古性選手は、思ったほど伸びがありません。
直線なかばで守澤選手が先頭に立ったところに、内と外から地元・三重の選手がジリジリと迫って、ゴール前では3車併走での大接戦に。最後はハンドル投げ勝負になりましたが、一歩先に抜け出した守澤選手が最後まで踏ん張り通して、先頭でゴールに飛び込みます。僅差の2着が浅井選手で、3着に坂口選手。最後の伸びを欠いた古性選手は、5着という結果でした。
守澤選手は、これがうれしい今年初の記念優勝。今年も獲得賞金ランキングの上位につけているものの、現在の北日本には強力な自力選手が少ないというのもあってか、記念戦線ではなかなか勝てずにいたんですよね。他地区との連係であるにもかかわらず、坂井選手が思いきった走りをしてくれたというのは大きい。この優勝で、競輪祭(GI)へ向けての弾みもついたことでしょう。
守澤選手優勝の立役者となったのが、見事に主導権を奪いきった坂井選手。最後は力尽きて7着という結果でしたが、果敢に先行した内容に前年覇者の“意地”を感じましたね。後ろを回るのが他地区の選手というのもあって、もっと連覇にこだわった走りをするかと思いきや、実際はその逆というか。今回は残念な結果に終わりましたが、レースの組み立てに幅が出たことで、選手としての凄味が増したように感じます。
坂井選手に突っ張られて主導権が奪えなかった橋本選手については、番手が浅井選手ということで、もっと思いきって逃げるカタチを思い描いていた人もいたかもしれませんね。しかし、彼の走りからは「何が何でも先行する!」といった強い意志は感じませんでした。おそらく橋本選手は最初から、自分自身も好勝負に持ち込めるような走りをするつもりだったのでしょう。
浅井選手は、昨年に続いての2着惜敗。守澤選手の後ろというベストポジションを確保できましたが、一歩およびませんでしたね。3着の坂口選手も惜しいレースで、着差を考えると接触によるロスがなければ、1着まで突き抜けていたかもしれない。とはいえ、競輪でタラレバを言い出せばキリがありませんから。この決勝戦に関しては、坂井選手が力強い走りをして、そしてようやく守澤選手に“勝ち運”が向いたということですよ。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。