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山田裕仁のスゴいレース回顧

【水都大垣杯 回顧】残念な結果と賞賛すべき“内容”

2021/03/15 (月) 18:00 11

失格となった1番車の浅井康太選手。選手心理としては「閉める」判断は間違っていなかったが…

現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが、平原康多選手の繰り上がり優勝となった水都大垣杯を振り返ります。

2021年3月14日大垣12R 開設68周年記念 水都大垣杯(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①浅井康太(90期=三重・36歳)
②平原康多(87期=埼玉・38歳)
③郡司浩平(99期=神奈川・30歳)
④柴崎淳(91期=三重・34歳)
⑤守澤太志(96期=秋田・35歳)
⑥原真司(86期=岐阜・43歳)
⑦古性優作(100期=大阪・30歳)
⑧上田尭弥(113期=熊本・23歳)
⑨吉田拓矢(107期=茨城・25歳)

【初手・並び】
←①④⑥(中部)⑨②(関東)③⑤(混成)⑦(単騎)⑧(単騎)

【結果】
1着 ②平原康多
2着 ⑦古性優作
3着 ⑥原真司
※1位で入線した①浅井康太選手は失格となりました

例年とは異なる風の吹き込みがレースに影響を与えた可能性も

 3月14日には、大垣競輪の水都大垣杯(GIII)決勝戦が行われました。私の地元、つまりかつてのホームバンクで、出走メンバーも精鋭ぞろい。それだけに楽しみにしていたんですが…う〜ん、ちょっと歯切れが悪くなるような結果になってしまいましたね。決勝戦に出走した全員が、「勝ち」にこだわるいいレースをしていただけに、こういう結果になってしまったのが惜しいというか。

 最終日に関していえば、落車が多かったのは風の強さが影響していたのかもしれません。大垣は時期によって強い風が吹き込むバンクではあるんですが、今開催はスタンド改修工事の影響で、その吹き込み方がいつもとは違っていたらしいんですよ。これには走り慣れている地元選手も戸惑ったようで、最終日で立て続けに落車事故が起こった背景には、この影響が多少なりともあったのかもしれません。

今シリーズで最も目立っていた上田尭弥

 ではさっそく、決勝戦を振り返っていきましょう。ラインが3車となったのは地元・中部だけで、その先頭を走るのは中部の“重鎮”である浅井康太選手(90期=三重・36歳)。関東ラインは2車で、こちらは初日特選と同様に、吉田拓矢選手(107期=茨城・25歳)が、平原康多選手(87期=埼玉・38歳)の前を任されました。

 そして、混成ラインながら強力なのが、先日の全日本選抜競輪(GI)を制した郡司浩平選手(99期=神奈川・30歳)と、守澤太志選手(96期=秋田・35歳)のタッグ。こちらも初日特選で連係していましたね。ただし、郡司選手はあきらかに調子落ち。初日などの内容から、私は準決勝では「負ける可能性が高い」と思っていたほどです。あのデキで1着をとって決勝戦に進んできたのは、さすがですよ。

 あとは、古性優作選手(100期=大阪・30歳)と上田尭弥選手(113期=熊本・23歳)が単騎という細切れ戦に。近畿勢の敗退で、逃げにこだわる唯一の存在だった上田選手が、単騎になってしまったのはもったいなかったですね。しかも、勝ち上がりの内容が素晴らしかった。今シリーズで、デキのよさがもっとも目立っていたのは彼でしょう。この相手でも展開次第では一発があると感じたほどです。

今シリーズで存在感をアピールした熊本の上田尭弥選手は23歳の若手

 スタートから積極的に前の位置を取りにいったのは、浅井選手が先頭を走る中部ライン。その後に関東ライン、郡司選手と守澤選手の混成ラインが続き、単騎の2人は後方から様子をうかがいます。赤板(残り2周)では、まずは郡司選手が前を抑えに。単騎の古性選手も、この動きについていきます。そこで前を切りにいったのが吉田選手で、打鐘ではこちらが前に出ました。

 そして最終ホーム手前で、展開のカギを握っていた上田選手が動きます。一気のカマシ先行で吉田選手を叩き先頭へと躍り出ると、そこからも素晴らしいスピードで先頭をキープ。この動きについていったのが直後にいた中部ラインで、上田選手の番手が転がり込んでくるカタチとなった浅井選手は、大チャンス到来です。

 ただし、中部ラインは最終1センター手前で古性選手のブロックを受けて、柴崎淳選手(91期=三重・34歳)と原真司選手(86期=岐阜・43歳)が離れてしまいました。この“機”を逃さずに動いたのが、もう脚が残っていない吉田選手から切り替えた平原選手。浅井選手の後ろを取りきって、上田→浅井→平原という態勢で最終バックから直線に。こういった瞬時の判断を“自然体”でやれてしまうのが、平原選手の凄味ですよ。

落車は各選手がそれぞれの仕事を全うした結果

 郡司選手と守澤選手は、勝負所で前方にスペースがなく、さらに外には古性選手がいて身動きがとれないカタチとなって万事休す。優勝争いは、完全に前の3人に絞られました。とはいえ、逃げた上田選手は必死にもがくも、直線ではさすがに余力なし。外に持ち出した浅井選手と、その“隙間”を狙って伸びてくる平原選手との争いとなり、そして、ここで事故が起こりました。

 ゴールの手前で、平原選手と接触した上田選手が落車。入線順は、浅井選手→平原選手→古性選手でしたが、そこから長い審議があり、結果として1位入線の浅井選手が失格となったわけです。理由は、ゴール前で内を閉めにいったことでの外帯線内進入。平原選手の進路を妨害したことに起因して、上田選手の落車事故が起きたというジャッジですね。正直なところ、これはかなり難しい判定だったと思います。

 というのも、選手心理としてはあそこは「閉める」んですよ。スペースを空けたままで内を割られたら、平原選手に勝たれる可能性がある。外帯線内進入は浅井選手のミスですが、あのカタチで内を閉めにいくこと自体は当然といえば当然。そして、それが上田選手を落車させる結果になると予測するのは難しい。しかも舞台は、勝つことで先につながるものが非常に多い、記念の決勝戦です。

 浅井選手は、目の前に転がり込んできた絶好の勝機を生かす競輪をした。平原選手は、他の追随を許さないレベルの“巧さ”をここでも発揮して、最高の結果を出すために全力の走りをした。そして上田選手は、超一流が相手でも通用する機動力があることを全国に知らしめた。その他の選手も、自分のやるべき仕事をまっとうしていますよ。

 本当にいいレースだったからこそ繰り返しになりますが、惜しいというか悔しいというか。う〜ん、どう表現していいか難しいですね、この気持ちは。でも、この相手に単騎で真っ向勝負を挑みにいった上田選手の気迫あふれる走りは、本当に素晴らしかった。ここは落車という残念な結果になってしまいましたが、先々が楽しみになるレースだったのは間違いなし。若手の注目株として、今後が大いに期待できるでしょう。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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