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前田睦生の感情移入

【競輪記者と選手】村上義弘は見抜いていた「前田さんは変わりましたよね」

2022/10/03 (月) 12:00 40

2012年京王閣グランプリ優勝

村上義弘のファン歴は22年

 競輪担当の記者をやっていて「どの選手が引退したら、一番ショック? 」という話で、「吉岡(稔真)だな…」「滝澤(正光)だろう」「神山(雄一郎)辞めたら…は想像できん」など、昔、先輩方に聞いたことがある。

 私の場合は“村上義弘”だった。村上義弘(48歳・京都=73期)がデビューしたのが1994年。私が競輪を見始めたのが2000年で、村上の先行一本の戦いに魅かれた。とにかく誰よりも苦しい道に挑戦しているようだった。

 当時、村上と小野俊之(45歳・大分=77期)が大活躍していて、小野によって“番手”という言葉、位置の重みも知ることになるわけだが、それはまた別のお話。「ムラカミはすげえな…」とずっと見ていた。22年と多くの人より、6年短いのが悔しいが、最初から今まで、競輪選手・村上のファンだった。

取材記者として

検車場ではいつもこんな感じだった

 東スポの競輪の記者として取材に出るようになり、今の今まで緊張しながらインタビューに向かっていた。なかなかうまくインタビューできないことばかりで、それでも聞きにいくのが仕事なので、繰り返していた。

 動画でインタビューを撮影するようになってからは、“ちゃんとしたものにしないと”とより緊張するようになった。こちらとしてもむき出しでぶつかっていく時間で、よくあったのが、開催について、自身について、などを聞いてインタビューを終える。しばらくして、あっ! 「明日のレースの戦い方(並びなど)を聞くの忘れた! 」

 駆け寄って「すみません、村上さん、明日は…」。「自力です」。何度か同じ失敗をして、あっ! と寄っていくと「またや、思いましたわ」と笑っていた。「自力や、自力。あっ、違う、明日は稲垣の番手やった! 」などということもあった。

仕事に追われる中で

厳粛な空気があった

 1日何本、1人どれくらいの時間で、誰に。求められる仕事に追われる中で、形だけのインタビューが続いたと思う。聞きたいことを聞く、これが原点。

 記者になって最初に学んだのが、内外タイムスという会社にいた先輩の「検車場というファンが入れないところに、記者の自分たちは入れて、選手に質問をすることができる。ファンが知りたいことを聞くのが仕事」ということだった。

 レースを見て思ったことや、次のレースへの思惑など、それは型にはまるものではない。その先輩も元々ファンで金網に貼り付いていたクチなので、今でもそれが信条だ。

 だが、失っていたようだ。「前田さんは変わりましたよね」ーー。

私はいつの間にか変わっていた

村上義弘のインタビュー

 3年ちょっと前かな、私の行っている動画インタビューについて、少し村上と話し込む時間があった。そこで「前田さんは変わりましたよね」と言われた。

「変わりました、変わりました、変わりました」…

 頭の中で何度も思った。灰色の汗が体の中を流れた。「そうです」。「なぜ、俺にインタビューをするのか」「村上義弘という存在があって、その人がしゃべる言葉の意味を」。

 その後、村上は前検の指定練習に行った。見抜かれていた。

 戻ってきた時。練習に行っている時間、自分の中で考えたことを話した。自分は以前のような聞くべきことを選手に投げかけず、頭の中で2分程度の時計を回しながら、次に聞く選手がウロついていたら、その場所を把握しながら…、まず最低限の質問を終えることに捕らわれていた。

 それって違わないか。選手に失礼じゃないか。ファンに無礼じゃないか。ファンが知りたいことを聞くのが原点と、それでやってきたんじゃないか。

握手した手は熱かった

偉大な背中

 ニッコリ笑って「仲直りしましょう」と握手してくれた。熱い手だった。

 今、何をおいても感謝の思いしかない。あの時は実はいろんな言い訳をして「おお、そうやったんや」と慰めてほしい気持ちもあったのが本当のところだが、なぜだか、もう一度インタビューを頑張らないといけないと思って、話に行けて良かった。

 ただ間違いなく、変な言い訳をしても怒られただけだろうな。いや、怒ってもくれなかっただろう。

「また、行きますからね、インタビューに! 」

 クッと両肩を上げて、あきれてたな…。

水色のサムソン


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前田睦生

Maeda Mutuo

鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。

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