2022/08/16 (火) 18:00 61
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが西武園競輪場で開催されたGI「オールスター競輪」を振り返ります。
2022年8月15日(月) 西武園11R 第65回オールスター競輪(GI・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①古性優作(100期=大阪・31歳)
②松浦悠士(98期=広島・31歳)
③守澤太志(96期=秋田・37歳)
④小松崎大地(99期=福島・39歳)
⑤吉澤純平(101期=茨城・37歳)
⑥寺崎浩平(117期=福井・28歳)
⑦成田和也(88期=福島・43歳)
⑧新山響平(107期=青森・28歳)
⑨脇本雄太(94期=福井・33歳)
【初手・並び】
←⑥⑨①(近畿)②(単騎)⑤(単騎)⑧④③⑦(北日本)
【結果】
1着 ⑨脇本雄太
2着 ②松浦悠士
3着 ③守澤太志
ファン投票によって出場選手が決まる競輪界の“祭典”、オールスター競輪(GI)が今年は埼玉県の西武園競輪場で開催されました。出場するのは、S級S班を筆頭とした名実ともに最高レベルの選手たち。初日のS級ドリームレースなんて、まるでKEIRINグランプリ(GP)のような出場選手でしたよね。出場選手の層がこれだけ厚いと、どのレースも車券が本当に難解で。でも、買っていて本当に楽しいんですよね。
S級S班がズラリと並んだ初日ドリームレースを制したのは、脇本雄太選手(94期=福井・33歳)。打鐘前から仕掛けて主導権を奪い、そのまま逃げ切って別線を完封するという、非常に強いレースを見せています。オリンピックの疲労が抜けて本調子を取り戻してからは、まさに“最強”の存在となりつつある。このシリーズはその後も連勝で勝ち上がり、16連勝で決勝戦の舞台に上がりました。
当然ながら決勝戦では、押しも押されもしない大本命に。しかも、近畿からは寺崎浩平選手(117期=福井・28歳)と古性優作選手(100期=大阪・31歳)も決勝戦に勝ち上がっています。自転車競技の強化指定選手でもある寺崎選手は、これがうれしいGI初優出。準決勝で荒井崇博選手(82期=佐賀・44歳)が失格となったことで、繰り上がりでの決勝戦進出となりました。
繰り上がりとはいえ、寺崎選手が準決勝でみせたスピードには痺れましたよ。主導権争いをする新田祐大選手(90期=福島・36歳)と吉田拓矢選手(107期=茨城・27歳)を尻目に、最終ホーム手前からの一気の加速であっさり先頭まで出切ってしまうんですから、驚異的です。そんな寺崎選手が、決勝戦では脇本選手の前を回る。そして、競輪人生で初のライン3番手を古性選手が固めるという、超強力布陣で臨みます。
それに立ち向かうのが、4車がひとつにまとまった北日本勢。ラインの先頭を任されたのは、強力な機動型である新山響平選手(107期=青森・28歳)です。番手を回るのは小松崎大地選手(99期=福島・39歳)で、近況好調である守澤太志選手(96期=秋田・37歳)が3番手。そして成田和也選手(88期=福島・43歳)が4番手と、こちらもラインの戦闘力はかなりのものです。
そして、単騎を選択したのが松浦悠士選手(98期=広島・31歳)と吉澤純平選手(101期=茨城・37歳)。レース巧者の松浦選手には北日本ラインと同様、圧倒的な強さをみせる近畿勢をいかに切り崩すかが期待される一戦となりました。関東地区から唯一の勝ち上がりとなった吉澤選手も、なんとか一矢報いたいところ。多勢に無勢ではありますが、だからといって何もできずには終われません。
西武園は、400mバンクにしてはみなし直線が短くカントも浅いですから、基本的には先行有利。それだけに、主導権争いがどうなるかも注目されます。近畿ライン、とくに脇本選手に力を出させないために、各選手がどのような戦略をもって挑むのか…そのあたりも非常に楽しみ。台風直撃による順延で決勝戦が月曜日となりましたが、スタンドにはそれを感じさせないほど多くのファンが詰めかけて、固唾をのんで見守ります。
では、決勝戦の回顧にいきましょう。スタートの号砲が鳴ると同時にスッと出ていったのは、1番車の古性選手。ここは車番通りに、近畿ラインの前受けとなりました。その直後の4番手につけたのは単騎の松浦選手で、同じく単騎の吉澤選手もそれに続きます。そして、北日本ラインは後方6番手から。初手の並びは、レース前に予想された通りのものとなりました。
最初に動いたのは、後方に構えた北日本勢。新山選手がゆっくりと上昇して、外から近畿ラインを抑えにいきました。そして赤板の通過前に先頭に並びかけると、寺崎選手は突っ張って応戦する構え。先頭誘導員が離れる前から主導権争いがスタートしますが、ここで見事なテクニックをみせたのが松浦選手。外からくる北日本勢のほうに意識が向いて、近畿ラインの最内にわずかなスペースができた“隙”を見逃しませんでしたね。
赤板通過前から最内を狙っていた松浦選手は、スッと入っていって寺崎選手の直後のポジションを奪取。近畿ラインの分断に、早々と成功します。前に入られてしまったミスを挽回しようと脇本選手も前を追いますが、それを察知して外からブロックにいったのが、北日本ライン3番手の守澤選手。これで内に押し込められた脇本選手は、後方に下げざるをえなくなってしまいました。見事な連携プレイです。
その間も、前では寺崎選手と新山選手の主導権争いが続いていましたが、赤板過ぎの1センターで、新山選手の番手にいた小松崎選手が少し離れて、新山選手だけが外で浮くカタチになってしまいます。松浦選手が近畿ラインの分断に成功したのをみて、おそらくは戦略を変えたのでしょう。小松崎選手はまずは松浦選手の後ろにつけて、その後に新山選手を前へと迎え入れます。
そして迎えた打鐘を、「⑥②・⑧④③⑦・⑨①⑤」という隊列で通過。単騎の吉澤選手は松浦選手の動きには連動しておらず、分断された近畿ラインの後方につけています。こうなると先頭の寺崎選手は、序盤からかなり脚を使っているのに、もはや自分のためのレースしかできない。逆に、絶好の展開が転がり込んできたのが新山選手で、松浦選手が仕掛けたところで捲りにいけば、優勝まで十分に狙えるカタチです。
そのまま隊列は変わらず、最終ホームを通過。先頭までかなり距離のある後方に置かれた脇本選手にとって、きわめて厳しい展開です。2コーナーを回ったところで先頭の寺崎選手の脚が鈍ると、松浦選手はすかさず番手捲りに。時を同じくして、後方からの捲りを脇本選手が仕掛けて、前への進撃を開始。前の松浦選手に仕掛けを合わされているにもかかわらず、次元の違うスピードでグングンと前に迫ります。
それを察知した守澤選手と小松崎選手が、3コーナー手前で進路を外へと振ってブロック。しかしそれでも、脇本選手の進撃は止まりません。最終2センターでは小松崎選手の外を回って、前をギリギリ射程圏に。ここで守澤選手は、内へと進路を切り替えました。前では、先頭をひた走る松浦選手の直後を、新山選手がピッタリとマーク。誰が勝つのかまったくわからない大混戦で、最後の直線へと入りました。
直線に入っても先頭の松浦選手は脚が鈍ることはなく、先頭をキープ。それを直後から追った新山選手は、主導権争いで脚を使わされたのもあって、伸びがありません。その内からは守澤選手がいい脚で突っ込んできますが、それを凌駕する鋭い脚で、外から力強く伸びてきたのが脇本選手。ゴール前では松浦選手がハンドルを投げてひと伸びしますが、ゴールラインでわずかに前に出ていたのは…脇本選手のほうでした。
破竹の17連勝で、競輪ダービーに続く特別競輪優勝を成し遂げた脇本選手。他のラインが、その力を少しでも削ごうと全力で立ち向かい、その結果として脇本選手にとって最悪の展開を作りあげたにもかかわらず、それを結局は“個”の力によってねじ伏せました。いやもう、お見事としか言いようがないですよ。まさに次元の違う走りで、「脇本一強時代」の到来を改めて感じさせられた結果といえるでしょう。
競輪選手として最高の立ち回りをして、それでもその上をいかれてしまったのですから、松浦選手は本当に悔しい。それでも、ファンを魅了するような素晴らしい走りをしたことに変わりはありません。中野浩一さんや滝澤正光さんのように、一時代を築いた“最強”の選手が登場したとしても、他の選手はそれをいかに負かすかを考えて、戦ってきた。そしてその繰り返しが、いつもファンを熱くさせてきたんです。
レース後のコメントによると、新山選手も近畿ラインの分断を考えていたようですね。今回はそのシナリオにはなりませんでしたが、どの選手も「脇本雄太にどう対抗するか」を考えて、徹底的に包囲網を敷く。近畿には古性選手もいますから、その強力な連係は常にマークされます。脇本選手が“最強”だとしても、けっして楽ではありませんよ。次なる戦いがどうなるのか、今から楽しみです。
3着の守澤選手も随所でいい働きをしていて、勝負どころでの判断や最後の伸びも申し分なし。ビッグタイトルとはなかなか縁がなく、レース後には「今回もまた3着」とのボヤキも出ていたようですが、S級S班の名に恥じない走りをしていたと思います。その他のどの選手も、優勝を目指して全力を尽くしている。GIの決勝戦にふさわしい、またこんなレースが見たいと思わせてくれるような一戦でしたね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。