2022/06/20 (月) 18:00 22
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが岸和田競輪場で開催されたGI「第73回高松宮記念杯競輪」を振り返ります。
2022年6月19日(日) 岸和田12R 第73回高松宮記念杯競輪(GI・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①古性優作(100期=大阪・31歳)
②諸橋愛(79期=新潟・44歳)
③佐藤慎太郎(78期=福島・45歳)
④成田和也(88期=福島・43歳)
⑤荒井崇博(82期=佐賀・44歳)
⑥小松崎大地(99期=福島・39歳)
⑦山田庸平(94期=佐賀・34歳)
⑧園田匠(87期=福岡・40歳)
⑨郡司浩平(99期=神奈川・31歳)
【結果】
1着 ①古性優作
2着 ⑦山田庸平
3着 ⑧園田匠
6月19日には岸和田競輪場で、高松宮記念杯競輪(GI)の決勝戦が行われました。このシリーズの特徴は、東西に分かれて準決勝まで戦うという独特なシステム。そして勝ち上がった東日本と西日本の代表が決勝戦で激突する…という、「東西対決」の色が濃いレースなんですね。準決勝も通常とは違って、東西各2レースの合計4レース。勝ち上がりが2着権利なので、より激しくシビアな戦いが繰り広げられることになります。
その準決勝は、なんと4レースのうち3レースで落車事故が発生という苛烈なものに。決勝戦進出が通常よりも「狭き門」となるので致し方ない面はありますが、それにしても多かったですね。競輪界の“横綱”であるS級S班は、守澤太志選手(96期=秋田・36歳)をのぞく8名が出場していましたが、決勝戦に駒を進めたのは3名だけ。これも、勝ち上がりの過程がいかに激しいものだったかを示しているといえるでしょう。
決勝戦は、三分戦で単騎が1名というメンバー構成。先行に強いこだわりを持つ選手は不在ながら、機動型はいずれも好調モードで、展開次第で誰にでもチャンスがある混戦模様となりました。なかでもデキのよさが感じられたのは、北日本ラインの先頭を走る小松崎大地選手(99期=福島・39歳)。準決勝でも打鐘前から仕掛けて主導権を奪う積極的な内容をみせていました。
北日本ラインは、準決勝でも小松崎選手と連係していた佐藤慎太郎選手(78期=福島・45歳)が番手を回ります。今年の競輪シーンを牽引しているといっても過言ではないほどの存在感を発揮している佐藤選手だけに、ここも当然ながら有力でしょう。そして、ライン3番手が成田和也選手(88期=福島・43歳)。オール福島勢という結束の固さも、このラインの魅力ですね。
同じく3名が勝ち上がったのが九州勢で、こちらは山田庸平選手(94期=佐賀・34歳)が先頭を任されました。番手を回るのは荒井崇博選手(82期=佐賀・44歳)で、3番手を園田匠選手(87期=福岡・40歳)が固めます。とはいえ、九州勢は揃いも揃って「準決勝での落車がプラスに働いての勝ち上がり」で、“運”を味方につけていると言えなくもないですが、内容的には見劣るんですよね。
南関東から唯一の勝ち上がりとなった郡司浩平選手(99期=神奈川・31歳)は、関東の諸橋愛選手(79期=新潟・44歳)とのコンビで決勝戦に挑みます。郡司選手はここまで番手からのレースでしたが、初日の東日本特選や2日目の青龍賞での好走は前に助けられての結果ではなく、内容的にも高く評価できるもの。自力勝負となる決勝戦でも、十分に期待できるデキにありました。
そして最後に、単騎となった古性優作選手(100期=大阪・31歳)。地元での開催というのもあって番組面で恵まれていたとはいえ、勝ち上がりの過程ではかなりの強さを見せていましたね。レースの流れに対して、臨機応変に対応できるのは大きな強み。昨年のグランプリ同様に、単騎でも問題なく力を出せるという見立てでした。唯一の地元代表としても、ここで無様な走りはできませんからね。
前置きが長くなりましたが、そろそろ決勝戦の回顧に入りましょうか。スタートの号砲が鳴ると複数の選手が積極的に出ていきましたが、車番の有利さもあって、まずは諸橋選手が先頭に。前に郡司選手を迎え入れて、このラインの前受けが決まります。直後の3番手に、北日本ライン先頭の小松崎選手。単騎の古性選手は、その後ろの6番手から。そして後方7番手に九州ライン先頭の山田選手というのが、初手の並びです。
初手の並びに意外性はなく、おおむね戦前の想定通り。レースが動き出したのは赤板(残り2周)の手前からで、後方にいた山田選手がポジションを押し上げていき、先頭の郡司選手を抑えにいきます。先頭誘導員が離れたところで前に出ますが、郡司選手は全力ではなく「軽く」突っ張る構え。これをみた山田選手は無理せずに引いて、中団5番手にポジションを下げます。
この一連の動きによって、小松崎選手は6番手、古性選手は最後方9番手に。このまま打鐘を迎えるわけにはいかない小松崎選手は、打鐘前からカマシ気味に仕掛けていって、先頭の郡司選手を叩きにいきます。当然ながら古性選手も、この仕掛けに追随。しかし郡司選手も、このタイミングで引くわけにはいきません。
打鐘過ぎのホームでは郡司選手が、今度は「全力」で突っ張って応戦。小松崎選手だけを前に出して、その番手のポジションを奪いにかかります。しかし、飛びついた相手は現役屈指のマーク屋である佐藤選手。そうやすやすとポジションを奪えるわけもなく、最終バック手前まで続いたこの争いは、佐藤選手に凱歌が上がります。この時点で、郡司選手や諸橋選手の勝ち目はなくなったといえるでしょう。
ここで満を持して動いたのが、前のもつれる様子を中団からうかがっていた古性選手。最終バック手前からのスピードに乗った仕掛けで一気に捲っていき、3コーナー手前では先頭の小松崎選手を射程圏に入れます。この力強い捲りにうまく乗じたのが、後方に置かれる展開となっていた九州勢。ギュッと密集して一団となった外を、古性選手のスピードに乗って前へと襲いかかります。
通常ならば、小松崎選手マークの佐藤選手が古性選手の捲りをブロックしにいくところですが、郡司選手とのバトルでかなり脚を削られていた佐藤選手に、そこまでの余力はありませんでしたね。最終2センター過ぎでは、逃げ粘る小松崎選手を古性選手が捲りきって先頭に立ち、最後の直線へと入ります。
古性選手マークから外に出した山田選手がジリジリと伸びてきますが、先に抜け出した古性選手との差は詰まらない。山田選手の外にいった園田選手や、さらに外を選択した荒井選手も、山田選手を差せるかどうか…といった伸びしかありませんでした。結局、古性選手がそのまま押し切って、念願である地元でのビッグ制覇を達成。ゴール後、古性選手は右手を大きく振り上げて、ガッツポーズです。
前がもつれる展開になったとはいえ、文句なしに強い内容で全日本選抜競輪に続くGI優勝を成し遂げた古性選手。昨年末のグランプリもそうでしたが、単騎での立ち回りの巧さは本当に素晴らしいですよ。驚かされたのが、道中で最後方9番手の位置になったにもかかわらず、「北日本が絶対に動く」と読み切って冷静さを失わなかったこと。小松崎選手が主導権を奪いに動かなかった場合は、惨敗まであった流れでしたからね。
地元でのビッグで、しかも自力勝負ができる自在型ですから、我慢しきれずに動きたくなるところ。しかし古性選手は、北日本が前の郡司選手を叩きにいくという判断からブレることなく、最後まで自分の“読み”を貫いた。高い能力やデキのよさも後押ししたのはもちろんですが、このレース最大の勝因はここにあったと私は思います。
前受けから正攻法のレースで優勝を目指した郡司選手や、そうはさせじとばかりに叩きにいった小松崎選手も、内容のあるいい走りをしていましたよ。残念ながら結果は出せませんでしたが、そこに至る過程において、彼らを信じて応援してくれたファンを納得させられる積極的な走りができていた。競輪という競技は、結果を出すことも大事ですが、それと同じくらいに“過程”が大事なんですよ。
そういう意味では、このレースにおける九州ラインの走りを、私はあまり高く評価できません。接戦となった2着争いは、僅差で山田選手。3着に園田選手、4着に荒井選手と、2〜4着を九州勢が占めたとはいえ、あくまで結果オーライ。ラインの誰かが優勝できるようなレースをできていたかといえば、答えは「否」でしょう。
準決勝での勝ち上がりも、前述したように落車が有利に働いてのもの。最後まで“運”を味方につけていた…と言えなくもないですが、追い風が吹いている時だったからこそ、山田選手には優勝できるような走りやレース運びをしてほしかったですね。結果は上々といえるものですが、過程がもの足りないというか。すべてのラインが優勝を目指して奮闘するようなレースでなければ、ファンは感動させられません。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。