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すっぴんガールズに恋しました!

【柳原真緒】「師匠がいてくれたから」市田佳寿浩と二人三脚で狙うガールズケイリンの頂き

アプリ限定 2022/06/21 (火) 12:00 44

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。6月のクローズアップ選手は柳原真緒(25歳・福井=114期)。福井で育まれた非凡な才能、師匠市田佳寿浩との出会い、現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!

扉
小林莉子(左)と児玉碧衣(右)をおさえてガールズケイリンコレクションを優勝 今最も勢いがある柳原真緒(やなぎはらまお) に迫ります

投てきで五輪を目指した学生時代

 福井県福井市で生まれた柳原真緒は、2つ上の姉の影響もあって活発な少女だったそうで、小学生の時はバドミントンとソフトボールに夢中になった。野球を見るのも大好きで、阪神タイガースの試合を楽しみにしていたTORACO(女性タイガースファン)だったとか。

幼少期
おもかげそのまま 幼少期の柳原真緒 (本人提供:上段右は姉)

 中学に入り、陸上部で公園の外周をランニングしている時に柳原の人生を変える最初の出来事が起こる。砲丸投げをしていた近所の知人からたまたま声を掛けられたのがきっかけで砲丸投げに挑戦。そこで初めて体験した砲丸投げの面白さにはまると投てきの才能が一気に開花。県大会で優勝すると、全国大会出場をも果たし、いつしか五輪を夢見るようになった。高校では福井市から約50キロメートル離れた敦賀市の県立敦賀高校へ進学。毎朝5時に出発して朝練習に参加するなど、県内屈指の陸上強豪高の厳しい練習に揉まれた。やり投げに転向し、全国大会にも出場する活躍を見せたが、度重なる怪我により柳原の体は悲鳴をあげていた。

陸上
敦賀高校時代は投てき競技で五輪を目指した(本人提供)

柳原真緒の運命を変えた市田佳寿浩との出会い

「大学に進学して陸上を続けたい。オリンピックに出たい」そう目標に突き進んできた柳原だったが、高校3年の時に人生を変える2つ目の出来事が起こる。師匠となる市田佳寿浩(76期・引退)との出会いだ。怪我の早期回復に効く酸素カプセルのあるジムへ通っていたころ、とあるトレーナーと知り合う。そのトレーナーこそが市田佳寿浩の練習を見ていた人物で、ちょうどその時に2018年に福井で開催される国体の自転車競技選手を探していたという。その話に興味を持った柳原は、自転車競技の先にガールズケイリンというものがあることを知り、“競輪選手”になりたいという気持ちが湧きあがってきた。“市田佳寿浩に教えを請いたい”と門戸を叩くが、トレーナーが課した市田にお願いしに行ける条件はとんでもなく高かったと振り返る。

「トレーナーさんからは“ハロンで12秒台、1000メートルタイムトライアルで1分20秒を切る。この2つがクリアできたら”と言われました(笑)」

 自転車競技は全くの未経験だったが、やると決めたからには迷いはなかった。高校3年生の秋の国体まで陸上競技を全うすると、自転車モードに切り替えて練習をスタート。「道具は全て浦部さんのおさがりで練習をさせてもらいました」と、浦部郁里(102期)の支えがあったからこそと語った。

浦部
当時福井所属だった102期 浦部郁里に感謝

在校1位 卒記チャンプ 輝かしい成績をおさめた競輪学校時代

 浦部の手厚いサポートもあり、市田佳寿浩弟子入りへのノルマ“ハロン12秒台、1000mTT1分20秒台を切る”をクリアすると、翌年秋の日本競輪学校114期の試験に向けたトレーニングが始まった。

「自転車のタイムに関しては練習をすればするだけ縮めていくことができましたが、入学筆記試験のSPIが課題でした」と柳原は苦笑いしながら振り返る。SPIの猛勉強の成果があらわれ、柳原は無事114期の試験に合格。競輪選手への第一歩を踏み出した。「114期の試験結果が出て合格だとわかったときはうれしかったですね。師匠の所へ報告にいくと“プロになってからどういう選手になるか。そこを見据えて競輪学校で頑張れ”と声を掛けてもらいました」

同期橋本佳耶と
同期橋本佳耶(左)と

 競輪学校での競走訓練は内容と結果にこだわった。師匠の市田佳寿浩は76期の在校1位で卒業。柳原真緒も在校1位で卒業記念レースを迎えた。伊東温泉競輪場で行われた卒業記念レース。決勝戦の特別選手紹介が行われたとき、観客席には市田佳寿浩の姿があった。

「師匠の姿が見えてめちゃくちゃ緊張しました」

 だが、緊張で高ぶる気持ちをエネルギーに変えた柳原は、3番手確保から直線勝負で逃げこみをはかる佐藤水菜、番手を回った野本怜菜を外からとらえて、見事卒業記念レースを優勝。最高の結果で師匠の期待に応えてみせた。

 競輪学校卒業後はプロデビューに向けてひたすら練習の日々。「一番練習をした時期かもしれないですね。そのころの記憶はあまりないんですよ」と話すほど、デビュー前の練習に没頭していた。

同期比嘉真梨代と
同期比嘉真梨代(右)と

意気揚々とデビュー…もプロの壁は高くて厚かった

 プロデビューは18年7月7日の奈良競輪場。114期の在所1位で卒業記念チャンプと大きな期待を背負ってバンクへ向かったが、先輩たちの壁は高くて厚かった。立ちはだかったのは1期生の加瀬加奈子。レースでは加瀬をたたいて主導権こそ奪った柳原だったがゴール前で加瀬に差されて2着。ほろ苦いデビューとなった。ただ、続くデビュー2場所目の豊橋2日目では奥井迪の逃げを番手まくりで捕らえて初勝利。力のあるところを見せ、初優勝も時間の問題かと思われたが、なかなかうまくいかない。

 デビュー5場所目の松山最終日の決勝では初の失格。さらに次の函館最終日の決勝でも1位入線後に失格を喫してしまう。しかし柳原は下を向くことはなかった。師匠の教えをしっかり守り焦らず自分のレースに徹した結果、デビュー10場所目の11月15日に広島競輪場で初優勝を達成した。ここで流れを引き寄せた柳原は12月松阪、前橋と2場所連続優勝を果たし、激動のデビューイヤーを締めくくった。

 2019年も順調に勝ち星を積み重ねていき、11月の競輪祭(GI)開催中に行われる「グランプリトライアル」の出場権も手にした。しかし直前10月の大宮で落車。右鎖骨を骨折するアクシデントに見舞われた。

「グランプリトライアル前の落車だったので、体はもちろん、心も痛かったです。でも手術して2日後には練習を開始しました。師匠から“長く休まないほうがいい”とアドバイスをもらっていたので」

 満身創痍で臨んだグランプリトライアルは7、5着。決勝進出とはならなかったが、最終日の選抜戦で執念の白星をつかみとった。

過去もの

どうやったら児玉碧衣さんに勝てるのか…

 20年はスタートダッシュに成功。1月末に久留米で行われたコレクショントライアルで1、2、2着。5月に静岡で開催されるガールズケイリンコレクションの出場権を自分の力でつかみ取ったが、新型コロナウイルスの影響でG1日本選手権競輪とガールズケイリンコレクションの中止が決まった。

 開催中止に加え、4月の大垣出走後、6月の福井まで2か月もあっせんが空いてしまった柳原は当時のことを「本当にショックでした。トライアルで勝ち上がってつかんだコレクションの出場だったので。練習でも身が入らず、街道で落車してしまったこともありました。大怪我には至らなかったですが、集中力を欠いていた時期だったのかもしれません」と振り返った。

 一度は中止となった5月のコレクションは関係団体の努力により9月に伊東競輪場で開催されたが4着。「師匠と展開をいろいろ考えていきましたけど、開催の空気に自分のメンタルが飲まれていましたね。緊張のせいで位置取りも失敗。だけどいい勉強になりました」コレクションの悔しさをバネにして臨んだ11月のグランプリトライアルでは3、1、3着。グランプリの夢舞台があと一歩のところまで近づいた。

 2021年は年頭から師匠とウエイトトレーニングを強化したことで、フィジカル面が飛躍的に向上した。一年を通して安定した戦歴を残した柳原の行く手を阻んだのは女王・児玉碧衣だった。小倉のグランプリトライアルで2、1、2着。またしても夢舞台にあがることができなかった。

「小倉のグランプリトライアル決勝は本当に悔しかった。そのあとからですね。練習中は常に(児玉)碧衣さんの顔を思い浮かべて練習するようになったのは。碧衣さんにどうやったら勝てるか。そればかり考えている日々が続きました」

小倉

念願のビッグ制覇 柳原にとって師匠の存在とは

 そして2022年、努力が結実する。1月四日市のコレクショントライアルは児玉碧衣に屈して3着に終わったが、4月にビッグニュースが舞い込んだ。「昨年のグランプリ女王・高木真備引退」の報。高木真備の引退でコレクション出場枠が1つ空いたことで、柳原真緒の繰り上がり出場が決まったのだ。

「姉から(高木)真備さんの引退記事が送られてきて。そのニュースの2、3日後、JKAからコレクション繰り上がりの連絡がきました。これは“競輪の神様がくれたチャンス”なのかなと思いました」

 5月いわき平のガールズケイリンコレクション。繰り上がり出場でプレッシャーはない。車番も外の7番車。初手の位置も選べない。どっしり構えて、前を走る児玉碧衣の仕掛けるタイミングだけを見て、焦らず走った。児玉碧衣、小林莉子の後ろから吸い込まれるように伸びると、ゴール線を一番で通過。2回目の挑戦でコレクション初優勝を果たした。

「優勝はうれしかったです。お祝いの連絡もすごくて、いわきから東京に戻る電車の中はずっと、お礼のメッセージを打っていました。翌日福井へ帰って、市田さんに優勝報告をしに行き“おめでとう、よかったな”と言っていただきました。ようやく優勝できたんだなと実感したのと同時に、普段の開催も負けられないと強く思いました」

 柳原にとって師匠は特別な存在だ。

「尊敬しかないです。鎖骨を折ったときに落ち込んだりしましたけど、師匠がこれまでレースで落車をして怪我をした時の話を聞くと、くよくよしていられないと思います。怪我に強い師匠がそばにいてくれたから、落車をしても休むことがなかったんだと思います」

市田
「そばにいてくれたから」柳原にとって師匠・市田佳寿浩は特別な存在だ

狙うはただひとつ ガールズケイリンの頂点(ZENITH)

 今年の後半戦はグランプリを見据えた戦いになるかと思ったが、本人はさらなるレベルアップに余念がない。

「もっと自分のレベルを上げていかないとグランプリで勝負できないです。7月のフェスティバルではまだ1回も決勝に乗ったことがないですし、やることはまだまだあります。4月の岐阜で同期の佐藤水菜と対戦したけど、2着に負けている。もっとトップスピードを上げていきたい」と気を引き締めた。

 コレクションの優勝賞金で自分に買ったのは腕時計「ZENITH(ゼニス)」。スイスの高級腕時計ゼニスの意味は「頂点」だ。ガールズケイリン界の頂点に立つために柳原真緒は師匠と二人三脚で突っ走る。

ゼニス
ZENITHの腕時計 柳原真緒はガールズケイリンの“頂き”を狙う

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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