アプリ限定 2022/05/23 (月) 12:00 21
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。5月のピックアップ選手は南彩乃(24歳・和歌山=112期)。19歳でデビュー、結婚、出産、そして復帰。ママさんレーサーの現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
小林(南)彩乃は生産量全国一を誇るだるまで有名な群馬県高崎市の出身。兄、姉、弟と4人きょうだいの3番目として健やかに育った。小さいころから体を動かすことが大好きで、バスケットボール、陸上、体操と運動で目立つ少女だったという。中学校に入ると新体操部に所属し3年間打ち込んだ。ボール、ロープ、フープ、クラブ、リボンを巧みに駆使する姿は、まるで漫画『タッチ』の浅倉南のようだったとか。ただ、高校進学時に選んだ部活は新体操ではなかったという。
「当時父が趣味で始めた自転車“ロードレーサー”が輝いて見えて。“自転車競技は部活動でもあるよ”と友人からの進言もあって、自転車部のある高校を選びました」
地元高崎に自転車競技部のある高校はいくつかあったが、有名な競輪選手(稲村成浩、金子真也、木暮安由他)がOBということで前橋工業の名前が小林の目に止まった。
「前橋工業高校で自転車競技をやりたい」
その一途な思いは成就し、前橋工業高校で自転車競技生活をスタートさせた。自宅から学校まで片道10キロ、毎日30分かけて自転車で通学した。部室に制服を置き、行き帰りはサイクルジャージで通ったそうだ。
そんな小林が高校一年の冬にガールズケイリンと運命的な出会いを果たす。それが前橋競輪場で行われていた“愛好会”だ。“愛好会”とは選手会所属選手がプロを目指すアマチュアを指導するイベントで、同級生の父だった石井謙児(69期・引退)に連れられて前橋競輪場へ向かった小林は、そこでプロの脚力を間近で見て感激。その時にガールズケイリン選手になると心に誓ったのだ。
その夢をかなえるため、男子選手に混じって練習に明け暮れる毎日を送った小林は着実に力をつけていった。高校3年生の夏に参加したJOCジュニアオリンピックカップ『女子ジュニア 2km個人パーシュート』で2位、翌年1月に行われたアジア・ジュニア自転車競技選手権大会『チームパーシュート』で2位と、華々しい活躍を見せた。
高校を卒業すると、112期生として日本競輪学校へと進んだ。112期の高卒組は小林の他にも大久保花梨や坂口楓華がおりタレントが揃った期だったが、日本競輪学校での1年間は楽しかったと振り返る。
「1年間、みのたん(鈴木美教)と同部屋だったんです。これが一番よかった。2人でいつも一緒にいた。朝や夜の自主練習も一緒にやっていました。みのたんのおかげで1年間の学校生活を乗り切れたと言っても過言ではないですね」
競輪学校時代にはナショナルチームの活動に参加していたこともあり、「海外遠征に行くこともあったので、適度に息抜きができました」と笑いながら話す。
競輪学校時代の集大成は卒業記念レース。仲良しの鈴木美教と「2人で決勝に乗ろう!」と約束をして臨んだが、小林は3、2、2着で決勝に乗れたものの、在校成績5位で期待された鈴木は2、3、5着で決勝を逃してしまった。その影響か、南の卒業記念レースは奮わず7着。在校成績も11位に終わったが、本当のスタートはこれからだと、前向きにとらえていた。
卒業後はデビューに向けて、群馬の男子選手に鍛えてもらったそうだ。木暮安由(92期)や天田裕輝(91期)など、前橋競輪場に集まる朝練グループで朝の6時からみっちりとしごかれ、2017年7月に地元前橋でデビュー戦を迎える。
「デビュー戦が前橋になったことは嬉しい反面、緊張もしました」
走り慣れたはずのバンクでのデビュー戦だったが、結果は6、7、3着。悔しさだけが残った。
2場所目の久留米、3場所目の岸和田も決勝に乗れず、モヤモヤした気持ちばかり溜まっていったが、そんな小林に手をさしのべてくれたのが師匠の櫻井学(84期)。櫻井は高校時代の“愛好会”から長きに渡り小林のことを見守り続けてきてくれた恩人なのだ。
「競輪学校時代は同期だけのレース。デビューしてからは先輩と走るので流れが全く違った。このままじゃダメって悔しくなって泣いてしまったときに、師匠が“一緒に練習をしよう”と声を掛けてくれた。当時の師匠は支部長をしていて、公務も忙しかったのに、自分の練習に付き合ってくれた。その甲斐あって4場所目の小倉で初めて決勝に。本当に師匠のおかげです」
デビュー年は14場所走って、5回決勝に進出し、2年目は車券に欠かせない選手へと成長した。1着こそなかったが2、3着に入る安定感を武器に、5月の青森から6場所連続で決勝進出と存在感を見せ、10月の弥彦最終日一般戦で念願の初勝利も挙げ、競輪選手として波に乗り始めた。
小林にとって南潤の存在は切り離せない。111-112期の同期とはいえ、競輪学校時代は男女同士の私語は禁止。当時は全く知らない存在だったというが、デビュー年の2017年9月の和歌山開催に参加したときの出来事が2人の距離を縮めるきっかけとなった。
「和歌山開催は同期が自分と、引退した高橋知里さんだけ。地元の潤君からおみやげをもらったことがきっかけでした。連絡先を知らなかったのでDMでお礼を言って、何回かやりとりをしているうちに『LINEで話そう』ってことになって。そこから一気に距離が近くなってお付き合いすることになりました」
交際を始めると2人の成績はグングン上昇し、小林は2018年3勝、2019年には5勝を挙げ、南潤も2018年4月にデビューから298日(グレード制導入以降当時最速)でG3を優勝。順風満帆な2人は2020年1月29日に結婚した。
2020年3月の佐世保出走後に産休に入った小林は同年11月に第1子を出産。2022年4月の岸和田で小林彩乃から南彩乃へと登録名を変え、現場復帰を果たした。競輪と育児の両立は並大抵のことではないが、家族間の理解と協力のおかげで成り立っていると語る。
「お互いの両親が協力をしてくれているので、競輪選手と育児の両立ができています。先輩のママさんレーサーたちは本当に偉大です。潤君は選手を辞めて育児に専念してほしい部分もあるみたいですが(笑)」
和歌山と群馬の練習環境に恵まれていた事も、順調に復帰できた大きな要因だった。
「復帰するときに、和歌山に移籍して選手登録も小林彩乃ではなく南彩乃で走ることを決めたのも自分の判断です。和歌山は練習環境がすごくいい。“南彩乃復帰計画”と銘打って、潤君以外の選手がいろいろ練習に付き合ってくれた。今は120期の吉川美穂さんと一緒に練習することが多いですね。布居光ちゃんもバンクで会えば一緒に練習をします」
「もちろん群馬も大好き。この春は実家に戻って親に子供を見てもらい、前橋競輪場で練習させてもらった。群馬も後輩選手が増えてきて活気がある。環境に恵まれているし、いい結果を残したい。引退をするまでに1回は優勝をしたい。この目標はデビューしたときから変わらない。まずは産休前の成績を残せるように頑張っていく。育児とガールズケイリン選手の両立をしていきたい」ときっぱり言い切った。
最後にガールズケイリンを走り続ける理由について聞いてみた。
「大好きなガールズケイリンで自分が走っているところを子供に見てほしいから」
1期生の加瀬加奈子を筆頭にママさんレーサーはたくさんいる。競輪選手と育児の二刀流は簡単なことではないと思うが、家族や仲間に支えられながら、とびっきりの笑顔で突き進む南彩乃の挑戦をこれからも応援したい。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。