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毒熱!闘う競輪記者マッチーが行く!

【1月後半 GIII回顧】大宮・松山・豊橋記念で見えた競輪選手の横顔

2021/02/02 (火) 11:45 11

闘う競輪記者・町田洋一氏による大宮競輪「東日本発祥倉茂記念杯(GIII)」、松山競輪「金亀杯争覇戦(GIII)」、豊橋競輪「ちぎり賞争奪戦(GIII)」の振り返りをお届けします。

大宮記念の鈴木庸之の真意は

 少し最近のレースを振り返ってみたい。競輪記者という立場上、自分が疑問に思った事は後で選手本人に聞くことができるし、答え合わせが出来る。そのストレスがないから、休日に行く競輪場でも一度もヤジを飛ばした事がない(プロ野球観戦ではビールの飲み過ぎで、何度もあるが)。

 ひとつ疑問に思ったのは大宮記念の決勝。鈴木庸之が平原康多に飛び付きも考えていたと言うが、どこまで本当か分からない。鈴木は難しい選手だし、人の裏を欠くコメントも好きな選手。悪い意味での難しい選手でなく、読みづらいと言ったところか。これは我々記者の間でも共通認識を持っている。

 もし、あそこで平原に飛び付いていたら、いくらガチンコの別線と言っても大事件になる(平原は人格者だし気にしないだろうが)。俺はそれぐらいシビアな選手だという事をアピールしたのかもしれない。逆に、尖った走りが魅力だった諸橋愛だが、最近は少しレースが大人しい。これもどこかで会ったら、鈴木選手に聞くつもりだ。

なかなか胸の内が読めない鈴木庸之

人情味を垣間見た松山記念

 松山記念は地元の2段駆け。松浦悠士にしてみれば、正々堂々と地元勢と闘って優勝を狙いに行った。普段連係している仲間だし、遠慮がないと言えば嘘になるだろう(もちろん、それは本人は言えないだろうが…)。悪役のプロレスラーが、反則や凶器攻撃を封印して、リングに上がったのと一緒だ。これを非難するファンもいるが、人情味があるのが競輪の良さだし、ある意味の忖度もある。

いつもの味方とも正々堂々と戦った松浦悠士(左)

豊橋記念優勝・吉田敏洋について

 豊橋記念は、うるさ型の吉田敏洋が優勝。現地に行けず、生で聞いたコメントではなかったが一次予選でのレース後の話しが面白かった。「竹内雄作とは、そこいらのルーキー(言わずもがな)と今まで連係してきた歴史が違う。下手なレースは出来ないから緊張した」。あのSNSで揶揄されている、噂のスーパールーキーをちくり…。余計な事を言わない方が競輪選手も我々社会人も良いが、そこが吉田の人間性でもある。

 二次予選は松浦悠士の後ろで岡村潤との競り。番組マンも岡村には真杉匠を付けたし、この競りは賛否両論ある。前橋のGIで深谷知広の後ろを岡村に競られているし、いわくつきだ。岡村も深谷が静岡に移籍して考えるものがあったのだろう。個人的に、この競りの見解はあるが、個人攻撃になってしまうのでやめておく。どうあれ、納得しなければ文句を言わず、競輪選手なら競れば良いだけだ。現場にいなかったが吉田の性格を考えると、相当カリカリきていたはずだ。それが、優勝に繋がった要因のひとつかもしれない。

ちぎり賞争奪戦・優勝インタビューでコメントする吉田敏洋

 どうあれ、吉田は感情を表に出してくれるし、後輩にも厳しい事を言う”昭和の選手”。嫌われたくないから”良い人”でいようとする人が多い世の中で、数少ない叱れる選手。言われる新人選手も煩いと思わず、その場の返事だけでなく、きちんと耳を傾けて欲しい。俺みたいに53歳になると呆れられて、誰からも何にも言ってもらえなくなるので(笑)。本当、言われている内が花ですよ、新人諸君! 


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毒熱!闘う競輪記者マッチーが行く!

町田洋一

Machida Yoichi

基本は闘うフリーの記者。イー新聞総合プロデューサー、アオケイ・企画開発パブリストの肩書きも持つ。自称グルメでお酒をこよなく愛す。毒のある呟きをモットーにして、深夜の戯言も好評を得ている。50代独身で80代の母親と二人暮らし。実態はギャンブルにやられ、心がすさみ、やさぐれている哀しき中年男である。

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