2021/01/27 (水) 12:00 10
深谷知広(31・愛知=96期)のデビューは2009年7月、地元の豊橋。3連勝で圧倒すると、そのまま9連勝でチャレンジ卒業。A級1、2班戦も9連勝と、デビューから18連勝でS級へ、そしてS級初戦の大垣FIも連勝で決勝に勝ち上がった。決勝は榊枝輝文(44・福島=79期)の強襲を食らい2着で連勝は止まったが“怪童”が競輪界に登場したインパクトは強烈だった。
現在の絞られた肉体とは違い、ややポッチャリしていたことや、あどけない笑顔は“怪童”のニックネームがピッタリだった。師匠・金子貴志(45・愛知=75期)の人格もあり、その物語にファンはのめり込んでいった
この2人の最大の感動のシーンは、やはり2013年7月弥彦で開催された寬仁親王牌だろう。金子、悲願のGI初優勝だ。稀代の競り屋・飯嶋則之(42・栃木=81期)が深谷の番手にジカ付けで勝負に来た。金子の優勝は、その時点で遠いと思われた。
金子は深谷のスーパーダッシュにつけ切り、飯嶋との並走をしのいだ。ゴール寸前、わずかに…。深谷と並んでゴール、写真判定となり、2人は出走前控室に戻ってきた。愛知の仲間も2人を囲んで、写真判定の発表を待つ。
深谷の心境としては、もちろん勝っていたいという思いもあっただろうが、性格を考えると金子の1着ゴールを願っていたように思う。「金子さん…」と。
競輪選手の大目標であるGI優勝を果たすと、ラインの仲間や、戦う相手を問わず、みなが祝福する。その中でも金子が優勝した後の祝福は、直後だけでなく、その後の開催でも誰もが「おめでとう」と声をかけ続けた。金子もそのことに驚いていた。
不遇の時代も長い。若いころから飛び抜けたダッシュ力があり、後ろが離れることも多かった。“殺人ダッシュ”と呼ばれ、ラインが崩れてしまうため、カマシを封印させられていた時期もあったと聞く。逃げては、つぶれる時期が長かった。とにかく中部の先頭で、ラインを引っ張り続けていた。
深谷は2011年6月に前橋で開催された高松宮記念杯で、デビュー後684日という史上最速の記録でGI制覇を成し遂げている。金子も深谷も、口ではなく肺でしゃべっているような、穏やかな小さな声で話す。そのトーンは、聞いている側の心も穏やかにしてくれる。
2013年末の立川グランプリは、「SS11」という新選手会騒動の只中にあり、混乱の中で行われた。何を考えればいいのか、みなが動揺していた。直前のGI競輪祭も深谷の逃げに乗って制していた(深谷2着でワンツー)金子は、グランプリも深谷の先行を追い込んで優勝した。
この先、特に2014年の競輪界はどうなってしまうのか、と多くの人が心を乱していた。その波立つ思いを金子の優勝が沈めさせた。「今回のグランプリは金子さんが勝ってくれてよかった」といろんな人から聞いた。“金子さん”は、そんな人だ。
深谷は1月6日付けで愛知から静岡に移籍となった。「愛知に、中部に居続ければ、楽だと思う。居心地はいいし。でも移籍が難しいことなら、そっちに挑戦したい」。ナショナルチームに所属、また生活環境の変化も要因だが、困難な何かを乗り越えた先に、得られるものがあると考えている、
新しく、静岡という土地、南関という地区で自分の位置を築くことは容易ではない。宿舎内のちょっとした生活も変わる。今の深谷は、引っ越したり、転職したりした時のような気持ちだろう。常に、注目の男だ。
豊橋記念の冠名はちぎり賞争奪戦。「ちぎり」とは馬印の模様のことで、豊橋市の徽章となっている図柄だ。この、千切り、は木と木を接合させる部品のようなもので、2つのものをつなげるという意味を持つ。深谷と金子の千切り、また、契り。今シリーズ、どんな物語が待っているのか、存分に味わってほしい。競輪では、ダッシュに離れることを、千切れる(ちぎれる)とも言うが、ここでは深くは触れないでおこう。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。