2022/02/28 (月) 12:00 21
今年は取手競輪場で行われた全日本選抜競輪。優勝への思いも一層強まる関東でのGI、決勝の平原選手は単騎、最後方の9番手から。結果は8着に終わりましたが、この走りにも「悔いはない」とし、悔しさを糧に次へと進みます。
netkeirinをご覧の皆さん、平原康多です。
今回は23日に終わったGI、第37回全日本選抜競輪を振り返ってみます。勝ったのは大阪の古性優作君でした。インを突き伸びての優勝でした。強かった、おめでとう。
初日の特選ですが、古性君より先に動こうと思っていた結果、最終2コーナー4番手からまくり、勝つことができました。直前の静岡記念を走ってセッティングで気になったことがあり、練習していたんですが、この競走で使えることがわかりました。何というのかな、一歩目の力の入り方が違うセッティング、でしょうか。
2日目のスタールビー賞は南関勢が先行し、5番手に山崎賢人君(長崎)から切り替えた松浦悠士君(広島)、そして自分でした。最終2コーナー過ぎにまくろうと動いた瞬間、前の松浦君も動き、結果的に追走する形になってしまいましたが、これはホントにドンピシャの同じタイミングだったんです。この日はバックが凄い向かい風でした。その中でまくった松浦君の強さを実感しましたね。ゴール前で交わし1着で準決に進みました。2日間終わって、悪くないという感じでした。
迎えた決勝。深谷知広君(静岡)はいましたが、今回は関東のGIでもあり、悔いなく終わりたい気持ちが強く、自力で戦うと決めていたので単騎で臨みました。前を取りに行ったのですが9番車の松浦君も早く中四国勢が前。自分はどこにも入れてもらえませんでした。ここでどうするか? 選択肢は2つありました。1つは新田君の横で並走する。もう1つは最後方まで引いて一発を狙う…。レースが終わって振り返れば新田君の横で並走した方が良かったかとも思いますが、あくまでもそれは結果論であり、走っている時は引く判断を間違ったとは思っていません。
9番手になってからの走りについても悔いはありません。単騎の9番手だから一度動くのがセオリーだと言う人もいますが、自分は優勝するために走っています。どうすれば優勝できるのか? いったん抑えに行って飛び付く策もありましたが、それでは優勝できません。ならばこの位置で一発にかけようと思っていました。もちろん負けたのは悔しい、まして関東のGIだからこそなおさらですが、この結果を次に生かしていきたいと思います。
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。