2022/01/31 (月) 18:00 24
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが高松競輪場で開催された「玉藻杯争覇戦」を振り返ります。
2022年1月30日(日) 高松12R 開設71周年記念 玉藻杯争覇戦(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①古性優作(100期=大阪・30歳)
②松浦悠士(98期=広島・31歳)
③香川雄介(76期=香川・47歳)
④小川真太郎(107期=徳島・29歳)
⑤佐藤慎太郎(78期=福島・45歳)
⑥原誠宏(91期=香川・36歳)
⑦山田久徳(93期=京都・34歳)
⑧池田憲昭(90期=香川・39歳)
⑨中川誠一郎(85期=熊本・42歳)
【初手・並び】
←②⑤(混成)①⑦(近畿)④③⑧⑥(四国)⑨(単騎)
【結果】
1着 ⑦山田久徳
2着 ①古性優作
3着 ⑤佐藤慎太郎
1月30日には高松競輪場で、玉藻杯争覇戦(GIII)の決勝戦が行われました。このレースを2年連続で制している松浦悠士選手(98期=広島・31歳)など、ここには4名のS級S班が出場。宿口陽一選手(91期=埼玉・37歳)は準決勝で敗れてしまいましたが、古性優作選手(100期=大阪・30歳)と佐藤慎太郎選手(78期=福島・45歳)は、キッチリと決勝戦まで駒を進めています。
地元である四国勢は4名が勝ち上がり。しかし中四国で連係するカタチは選ばず、松浦選手とは別線となりました。先頭を任されたのは、四国勢で唯一の機動型である小川真太郎選手(107期=徳島・29歳)。番手が香川雄介選手(76期=香川・47歳)で、3番手に池田憲昭選手(90期=香川・39歳)。そして最後尾を原誠宏選手(91期=香川・36歳)が固めます。
数の上では四国勢が圧倒的に優勢ですが、いわゆる「地元番組」に助けられた面が多々あり、相手も超強力。先頭を走る小川選手も、そこまで調子がいいという印象は受けませんでしたね。この強力な相手に、どのような“策”を用いて対抗するかが問われる一戦となりました。たとえ主導権が取れたとしても、そこからが非常に難しいですよ。
浮いたカタチとなった松浦選手は、佐藤選手との即席コンビを結成。クレバーな走りをする松浦選手の後ろに、マーク選手として最高の力を持つ佐藤選手がつくんですから、このラインは強力ですよ。とはいえ、中国と四国は基本的には仲間ですから、別線になったとはいえ、この両者がつぶし合うような展開は考えづらい。そこには、ある程度の「遠慮」や「配慮」みたいなものが働くことが多いですね。
あとは当然ながら、松浦選手が佐藤選手のために走ることもありません。捲る展開となるならば、「自分が優勝できて佐藤選手には差されない」タイミングで仕掛ける必要がある。当然ながら思いきった仕掛けがしづらくなるので、前を走る側としてもけっこう難しいんですよね。しかも、多少は遠慮する相手である四国ラインもいるわけですから、松浦選手はけっこう乗り難しい面があったと思います。
2名が勝ち上がった近畿ラインは、古性選手が前で、山田久徳選手(93期=京都・34歳)が後ろ。以前にもお伝えしたように、古性選手はグランプリを勝って常に1番車となることで、これまでとは違った競輪のカタチを身につける必要があります。デキはけっこうよさそうでしたが、ここも「前受け」が濃厚でしょうから、そこからどのようにレースを組み立てるかが問われてきます。
そして最後に、単騎の中川誠一郎選手(85期=熊本・42歳)。彼の場合は、とにかく道中では動かずにじっと脚をタメて、あとは展開がハマるかどうかです。展開が向きそうなら買い、厳しそうなら消し……というシンプルな取捨選択でいいので、車券的には付き合いやすいですよね(笑)。そう展開が向くとも思えないので、ここは「あって3着まで」というのが、レース前のジャッジでした。
では、レース回顧に入りましょう。スタートが切られてまず飛び出していったのは、意外にも松浦選手。古性選手もそれなりに出していたので、控えようと思えば控えられたと思うんですが、それでもスタートを取りにいきましたね。その後ろの3番手に古性選手がつけて、5番手に四国ラインの小川選手。そして最後尾に中川選手というのが、初手の並びです。前受けをせずに済んだんですから、古性選手は大喜びでしょう。
レースが動き出したのは、赤板(残り2周)通過の直前になってから。後方にいた小川選手が前を「切り」に行こうと動き出したのに合わせて、3番手にいた古性選手も進路を外に出して、前を抑えにいきます。赤板を通過して先頭誘導員が離れたときには、各ライン先頭の3名がキレイな横並びに。ここでは、小川選手が前を取りきって、古性選手は5番手に。前を完全に塞がれた松浦選手は、7番手まで下げました。この間も、中川選手だけはいっさい動かずに最後尾をキープ。この後はとくに動きはなく、淡々とした流れのなかで打鐘を迎えます。こうなると、後方に置かれた松浦選手は、かなり早くから捲り上げるしかない。打鐘過ぎの2センターから全体のペースが一気に上がって、先頭の小川選手が全力で駆け始めます。
挽回を期する松浦選手は、最終ホームの手前から発進。スピードに乗った捲りで中団を取っていた古性選手の横をスムーズに通過して、1センターを過ぎる頃には前を射程圏に入れます。中川選手もこの動きについていきますが、前とは少し車間が空いてしまいましたね。ここで、四国ラインの後ろにいた古性選手が、佐藤選手の後ろにポジションをスイッチ。中川選手は、その後ろにつけます。
四国ライン番手の香川選手が軽くブロックしますが止められず、2コーナー過ぎには松浦選手が小川選手を捲りきって先頭に。この時点で、地元の四国ラインはかなり厳しい。そしてここで、もう少し後で動くと思われた古性選手が、早々と前を捲りに動きます。最終バック手前の直線で捲りにくるとは、さすがに佐藤選手も読み切れなかった様子。まったく止められずに佐藤選手の外を通過して、最終バックでは松浦選手に並びました。
松浦選手もブロックして抵抗しますが、3コーナー手前では古性選手が先頭に立ち、近畿ライン番手の山田選手も外から強襲。直線に入ったところで松浦選手は力尽きて、今度は佐藤選手が前を追いすがりますが、差は詰まりません。古性選手が粘りきるか、それとも山田選手が差すか……という優勝争いとなりますが、最後のハンドル投げ勝負で少しだけ前に出たのは、山田選手のほうでしたね。
僅差の2着に古性選手が粘って、3着に佐藤選手。4着は中川選手で、松浦選手は最終的に6着という結果に終わりました。これで通算3度目の記念優勝となった山田選手は、古性選手の思いきった仕掛けにもしっかり対応して、最後もいい伸びを見せましたね。展開が向いたというのもありますが、最後の最後で古性選手に競り勝てたのは、力があるからこそ。いい内容の勝利だったと思います。
古性選手は惜しい2着でしたが、あのタイミングで松浦選手を捲りにいって、際どい勝負にまで持ち込むんですから、さすがですよ。臨機応変に動いて、うまく流れに乗る競輪ができたのが、近畿ワンツーを決められた要因でしょうね。初手で前受けをせずに済んだのは、本当に大きかった。古性選手“らしさ”が出せた競輪で、最後は山田選手に差されたとはいえ、自分でも納得のいくレースだったんじゃないでしょうか。
四国ラインはハッキリと力負け。かなり楽な展開で主導権が奪えて、それでいて後方にいた松浦選手に最終2コーナー過ぎで捲られてしまったのですから、仕方がありません。松浦選手が早めに仕掛けたことで、小川選手にとって厳しい展開になった面はありましたが、そのタイミングが少し遅くなっていても結果はおそらく変わらない。かなり極端な競輪でもしなければ、優勝争いに持ち込むのは難しかったでしょうね。
そして……もう「わからない」という言葉に尽きるのが、今回の松浦選手の走り。そもそも、初手で前受けするというのが、私にはまったく予測できなかったことなんですよ。あのクレバーな松浦選手ですから、そこから勝つ算段があったのは間違いないんですが、その内容が私にはまったくわからない。解説者として番組に出ていたとしたら、おそらく何も言えずに黙ってますよ。それくらい、今回の走りは“謎”なんです。
この出場メンバーで前受けからレースを組み立てると、かなりの高確率で後方7番手からの競輪となる。相手関係によっては、それでもひと捲りで勝ててしまう選手ではありますが、ここは古性選手がいますからね。何か作戦があったにもかかわらず、それがうまく機能しなかったのか、それともよほど自分のデキに自信があったのか……う〜ん、天才の考えることは、私のような凡人にはわからないということなんでしょうか。
レース後の「自分の仕掛けで負けたんだから力負け。何も言うことはありません」というコメントには、悔しさや今回の敗北についての自戒の念が込められている印象ですが……いや、ここまで「わからない」と思うことって、滅多にないんですよ。それくらい意外で、松浦選手らしからぬ走りだったというのが、私の率直な感想ですね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。