2021/10/06 (水) 12:00 11
10月7〜10日の4日間、熊本の選手、また熊本のファンにとって特別な時間がある。感動や歓喜だけではない、悲しみ苦しみ、失望感と期待感。何もかもが入り乱れ、スパークする。感情は物語を書くための血の色をしたインクになる。
熊本大地震が起こったのは2016年4月のこと。
その後、再開、いや廃止、再開しかない、いや、再開できない、そのまま…。拷問のような日々だったが、今やっと2024年の再開は確定している。熊本の2024年は…遅れてやってくる。
「熊本競輪場で走ることが、本当の意味の復興」
中川誠一郎(42歳・熊本=85期)が訴え続けた言葉は、やっと3年後に実現される。震災からは8年。やっと…だ。
誠一郎さん、それまでまだ元気に走っていてよ。もちろん、今のまんまで。
久留米で代替開催の記念が行われると決まり、まずうれしかった。これが盛り上がって、熊本の声が上がれば再開への道は加速するだろうと思った。
だが…この大会にあっせんされた熊本勢はたった5人だった。「なんでみんな呼ばんとですか! 」「どぎゃなっとっとか! 」。血も涙もないんか…。
熊本で半世紀以上、専門紙を出しているのがコンドル社だ。当サイトの直筆コラムが激熱な武田一康社長と、身悶えしたことを覚えている。だが、この5人(写真左から、中本匠栄、服部克久、中川誠一郎、徳永哲人、本郷雄三)は大奮戦した。
中川は“優勝しかない”というプレッシャーをはねのけて優勝。昨年までの5大会、その内、3回優勝している。私も取材に行かせてもらうことができた時、中川と武田社長の握手を撮影できてうれしかった。社長、泣いてたな…。
中川のデビューが2000年8月。ちょうどその時が私の競輪生活の始まりだ。熊本からすごいのが出てきた。卒記チャンプ。ぶっちぎりの勝利を続け、上位へと駆け上がっていった。85期のデビュー時はまだB級があった。
競輪の先輩と一緒に熊本競輪場に行った時のこと。これはA級戦だったな。甲斐賢治(64期=引退)が後ろだったと思うが、先輩は「地元やし付いていくやろ」と中川ー甲斐を勝負していた。2車単しかまだなかったな。気持ちよく離れた。「カイ〜〜〜! 」と叫びながらホームスタンドで膝から崩れ落ちた先輩の情けない姿を鮮明に思い出す。
しかし中川は、記念で苦戦してきた。こんなにヤジがひどいのか…と思ったこともある。私も後輩を連れて行った時に中川が大敗し、日を間違ったと反省したことがある。
熊本競輪場は「滑走路」と呼ばれた日本一長い直線を持つバンクから400バンクに生まれ変わる予定だが、目をつぶればどんなシーンでも思い出せる。
永遠に表に出すことのない写真と思っていたが、この機会しかない。「社長、ごめんなさい」。謝ります。出しますけん。
2016年大会の準決のメンバーが出て、中川が脇本雄太(32歳・福井=94期)につく番組だった。「ワッキー、セイちゃんを決勝に乗せて」は、みんなの思いだった。
そんなやり取りをしていた時、武田社長が「よろしくお願いします! 」と、そこにいるみんなを沸かせる気持ち1%、中川が決勝に乗ることがどれだけ大事で熊本競輪再開につながるのかを伝えたい気持ち99%でポーズを取ってくれた。
武田社長ほど熊本競輪のことを思っている人はいない。
ワンツーが決まり決勝へ。そして中川が優勝。まだ書きたいことは山ほどあるが、これくらいにしておこう。物語はまだまだ、これからだ。
Twitterでも競輪のこぼれ話をツイート中
▼前田睦生記者のTwitterはこちら
前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。