2021/09/30 (木) 18:00 25
今回のコラムも前回に続き「近畿」がテーマ。競輪では各選手がレースを優位に進めるためラインを構成しますが、ベースになるのが選手の所属地区。他地区に比べ、レース中での意思疎通が出来ていると言われることの多い「近畿の競輪」について、村上義弘選手が語ります。
前回は、地元・近畿、しかも我がホームグラウンドの向日町競輪場で4日間開催された平安賞(GIII)の話を中心に、自分の思うところをいろいろと書いた。
特に、最終日のレース直前、親交のある騎手の武豊さんの言葉を思い出し、気持ちを奮い立たせたというエピソードは、大きな反響を呼んだようだ。
もし自分の連載コラムが、読者のみなさんの心に少しでも響いていたとしたら、これほどうれしいことはないが、今回も引き続き、テーマとして「近畿」を取り上げてみたい。
“近畿の絆”や“近畿の結束力”など、長年、競輪選手を続ける中で、メディア関係者や他地区の選手たちから発せられたそうした言葉を、何度も耳にしてきた。おそらくそこには、「近畿の選手たちは、レースに臨んだとき、他地区よりも、しっかりと意思統一を図っている」というような意味が込められていると思う。
ただ、実のところ、近畿の選手の間で、「近畿全体でまとまっていこう」とか、「レースに向けて意思統一を図っていこう」とか、お互いに声を掛け合ったことはほとんどない。もし、他地区を上回る“近畿の絆”や“近畿の結束力”が存在するとしたら、自然と築かれてきたのではないだろうか。
こうした近畿のスタンスは、自分が知る限り、かつて同じ京都に所属していた松本整さん(45期)が現役だった頃から変わっていない。
“心の師匠”として、ずっとお手本にしてきた松本さんからは、他の選手たちと同じく、さまざまなアドバイスを受けてきた。しかし、そのとき、近畿全体をまとめていこうとする意識は一切感じられなかった。あくまでも、「競輪選手としてどうあるべきか? そのためには何をすればいいのか?」という視点から、一人ひとりが厳しく指導してもらっていたそうした中、先輩後輩関係なく、切磋琢磨しているうちに、お互いにライバルとして認め合い、リスペクトする気持ちが生まれてくる。もちろんレースに臨んだときも消えることはなく、「同じ近畿の選手として、何をすることがベストなのか?」と、誰もが同じ方向を向いて考えながら、ペダルを漕ぎ続ける。そんな日々の繰り返しがあったからこそ、いつしか近畿全体のまとまりにつながっていったのだろう。
そして、競輪選手としてはベテランになった自分もまた、松本さんと同じように、アドバイスを求められれば、長年の経験にもとづいて答えるようにしている。外部の人たちの中には、「村上義弘は怖い」というイメージを持っている人もいるかもしれないが、自転車から降りれば、後輩たちとも、ざっくばらんに付き合っているつもりだ。
このコロナ禍では、以前のように、一緒に食事をすることができないため、携帯電話のメールで相談を受けることも多い。その際、よくしているのがその選手の成長に関する話であり、たとえば、「もっとこういうトレーニングをこなして、これぐらいのレベルに達しないと、これから先は勝てないかもしれないぞ」というふうに、アドバイスしたりしている。
そのうえで、近畿の選手たちが活躍してくれることは本当にうれしいものだが、最近うれしくてしかたなかったのが、古性優作(100期・大阪)が8月のオールスター競輪でGI初制覇を果たしたことだ。
もともと、古性のことは競輪学校時代から知っていた。たまたま卒業記念レースで見た走りが強く印象に残り、「こういう最後まで諦めない選手が、いつか日本一になってくれればいいな」と個人的に注目していた。
そのことについては、デビューから数年後に、本人にも話したことがある。
自分と同じように、古性は、デビュー当時から大きな期待を背負うような選手ではなかった。しかし、自分のウィークポイントを一つ一つ潰すとともに、セールスポイントを伸ばしていくことを意識し、地道に努力を積み重ねてきた。競輪学校時代の諦めない気持ちも、変わらずに持ち続けてきた。そして、ついに日本一の座を掴むまでになったのだ。近畿の先輩として、これほど誇らしいことはなかった。
優勝後のインタビューの中で、古性はこんなふうに話したという。
「近畿地区では村上義弘さんの存在が大きい。追いつくことはできないが、少しでも近づけるように、村上さんのレースを見て、勉強している」
ありがたい言葉ではあるが、自分としては、もうすでに追い抜かれたと思っている。
近年の近畿は、どちらかと言うと、ベテラン勢が結果を残してきた。しかし、ここへ来て、脇本雄太(94期・福井)や古性たちの活躍が目立ってきたことにより、ようやく若返りが始まってきたと言える。彼らがまた、下の世代に多くのことを伝えていけば、近畿から、いい選手が育っていくことだろう。
特に、東京五輪における脇本の奮闘は、大いに刺激を与えたことは間違いない。
自分の競輪選手生活に後悔はないが、しいて挙げるならば、若い頃に、世界に出て戦うという環境が整っていなかったことが残念でならない。
だからこそ、寺崎浩平(117期・福井)や南潤(111期・和歌山)など、今の若い選手たちには、チャンスがあれば、どんどん挑戦してほしいと思う。日本の競輪の枠だけにとどまらず、世界のレベルを体感することによって、成長にもつながってくるからだ。
そして、いつの日か世界一の称号を手に入れてほしい。
これが、一競輪選手として、後輩たちに託す大きな夢である。
(取材・構成:渡邉和彦)
村上義弘
Yoshihiro Murakami
1974年京都府生まれ、花園高出身。日本競輪学校73期卒。代名詞は「先行日本一」「魂の走り」。KEIRINグランプリ2勝、日本選手権競輪4勝を含む特別競輪13勝。実績だけでなく競輪に向き合う姿勢や常に全力を尽くすレーススタイルは、選手・ファンから絶大の信頼を得ている。ファンの存在を大切にし続ける競輪界のレジェンド。